第111話「リ・バース」

 ――憎い。


 生まれてこの方これほど憎いと思った事は無い。

 怒りなど疾うに超越し、破壊的な衝動だけが我が身に渦巻いている。


 ――あぁ憎い、憎くて憎くてどうしようもない。


 この身を蝕むのは毒などではない。

 どうしようもなく燃え盛る憤怒の炎である。

 角の先から足先まで燃やし尽くしてもまだ足りない。

 あの桃とか言う女も、あの琉杭とか言う男も。

 全て全て憎くて仕様が無い。

 あんな女が汚らわしい手でキョウさんに触れているのだ。

 あぁ、汚れる、汚らしい。

 一分一秒とてこの先の光景を見たくない。


「……………」


 だと言うのに私の体は一向に動かない。

 爆発しそうなほど憤怒の念を込めているのに、何ら変化は訪れない。

 何なのだこの体は。

 何なのだ私は。

 連日修行しても何も変わらない、結局足手纏のままだ。

 横に立つ資格は疎か、後ろを歩く事すら出来ない。

 出来る事と言えばただ見守り、帰りを待つ事だけ。


 ――あぁ憎い、憎くて憎くてどうしようもない。


 私は無様に横たわる事しか出来ない

 無能と言う罪があるのであれば、今すぐ私を殺して欲しい。

 

 こんな種族ユニコーンの力など要らない。

 ただ一人の友人を、好きな人を護れない私など消え去ってしまって構わない。


『どうせキョウさんなら、いつも通り退魔師化してすぐに片付けてしまうでしょう』

「…………黙れ」

『よしんばそれが叶わなかったとしても。キョウさんにはあの鵺と言う切り札もある。だからもう強くなろうとしなくてもいいのでは?』

「……黙れ」

『例え見守るだけになってもキョウさんは私のことを嫌いになったり――』

「黙れ――っ!!」


 囁く私を私は叩き潰す。

 あの時キョウさんは泣いていた。

 これから奴隷になる恐怖から?


 ――いいや、違う。


 キョウさんは笑っていた。

 私を悲しませない為の演技?


 ――いいや、違う。


 キョウさんは心から泣いていた。

 私と別れるのが

 キョウさんは心から笑っていた。

 

 自分のこれからの境遇など一切厭わずに、ただ私だけを想って。

 だから赦せない。

 この人を哀しませた全てを。

 これ以上この人を哀しませはしない。


「――この涙の為に私は総てを捧げる」


 私の憤怒の念は頂点に達し、祈りへと昇華していった。



 †



 その祈りはどこに通じたのか。

 天に御座す神にか。

 いいや、神は助けない。

 ならば地に潜む悪魔にか。

 いいや、悪魔は彼女ようまなど見ていない。

 ではその祈りはどこに?


「――――」


 その祈りはクリスティナの肌に零れ落ちたキョウの涙へと吸い込まれる。

 想いは共鳴し合い、ここに一つの超越を見せた。


「は?」


 マヌケな声を上げたのは桃だった。

 視界の隅で立ち上がれるはずのない存在が立ち上がったのだから。

 解毒剤を投与しているとは言え、両手足の骨は完全に折れている。

 気合や努力で立ち上がれる次元ではないのだ。


「てめぇまだ何か――っ?!」


 立ち上がったクリスティナの体から、クリスティナとはが流れ出始める。

 神聖にして荘厳、揺り籠の様に全てを包み込むような、暖かな妖気。

 しかしその量は尋常ではなく、その場に居る二人の妖気を足しても遥かに足りない。

 まるで小さな龍脈でもあるかのように、超大の鳴動を見せている。


現格超越ランクアップ


 祝福する様に、讃歌を詠う様に、クリスティナはどこまでも優しげな声で詠唱する。

 親愛、友愛、情愛、慈愛。

 その声は生き物に対する愛で溢れていた。

 何故なら


原初再誕プライマル・リ・バース――――――――麒麟』


 その名を唱えた瞬間、辺り一帯は光りに包まれる。

 瞼を焼くような強烈な光ではなく、降り注ぐ月光の様に優しく総てを包み込んでいく。

 過去より再誕せし一つの超越が、ここに降臨した。


「ここは……? それにこれは『領域』?! Aランク以上の妖魔が完全妖魔化した時にしか創れないはずじゃ?」


 目を開くと二人は樹海の深く奥にある様な、人の手の入っていない澄んだ湖のほとりに居た。

 そこでは全ての草木・生き物が誰に憚れる事無く伸び伸びと生息している。

 そしてその湖の中心には、この領域の主が男の子を抱えて立っていた。


「てめぇ、私のキョウ君をいつの間にっ?!」


 桃は己の手にキョウが居ない事にすぐさま気づき、その相手に吠える。

 だがその人物は桃に一切興味が無いかの様に、慈愛の眼差しでキョウを見つめ続けていた。

 その体は黄色の鎧を身に纏い、主を守る騎士の様に静謐に佇んでいる。

 伸びる髪は黄金となり、微笑む様相と相まって壮麗な美しさを醸し出していた。

 これが生まれ変わったクリスティナの新しい体である。


「こんな腕輪など……」


 ユニコーンの時とは違い、短くなった金色の角でクリスティナは腕輪を破壊する。

 本来隷属の腕輪は対となる主の腕輪の命令がなければ外れない。

 だがそれをクリスティナは腕輪に掛けられた呪いごと、力技で壊したのだ。


「クリスティナさん?」


 キョウはその妖気と容姿に困惑した声を上げる。

 顔立ちはクリスティナの面影を残しているが、その妖気は最早完全に別物である。

 それもそのはず、クリスティナの身に起こったのは唯の奇跡などではない。

 言わば生まれ変わりとも言うべき、DNAレベルからの新生を遂げたのだ。

 その纏う妖気は最早大妖クラスすら超越し、一つの頂点へと到達していた。


「はい、あなたのクリスティナです」

「? あなたの?」

。永遠に側に仕え、忠誠と愛の全てを捧げます」


 キョウは何の事か分からず、ますます混乱する。

 クリスティナはその様を見て愛おしげに微笑む。


「何勝手に壊してんだてめぇ!!」


 そんなクリスティナ達に桃は長い尾を叩きつける。

 電柱数本分もある尾が、鞭の如くしなりながら迫るのだ。

 頑丈なキョウであっても、まともに受ければどうなるかわからない攻撃。

 だが――。


「へ?」


 桃の攻撃は見えざる何かがあるかの様に、途中で止められる。

 それも結界の様なもので弾かれたのではなく、まるで空気に阻まれたかの様に止まったのだ。


「あなた達もこれ以上の争い事はやめましょう。罪を認め、反省する気持ちがあれば私は赦します」

「赦すだ?! 何様だよてめぇ」


 湖の水を巻き上げ、自ら突撃する桃。

 その速度は矢の如く速い。

 その巨体も相まって宛ら暴走特急が突っ込んでくる様なものだろう。

 勿論妖魔である彼女の体は電車などより遥かに硬い鱗で覆われている。

 直撃すればミンチは避けられない。

 だがその突進も見えない何かに阻まれ止まる。

 いや、押し戻されているといった方が正鵠を射ているだろう。


「この領域では誰かを傷付けるような行為は禁止しています」

「ほぉ、面白しれぇじゃねぇか」


 クリスティナの言葉に琉杭の妖気は爆発する様に増えていく。

 限界の鎖を引き千切り、本来の姿に戻ろうとしているのだ。


現界突破リミット・ブレイク

大妖降臨プライマル・リバース――――――――大百足』


 辺りの木々を踏み潰し、その巨体は君臨する。

 その足は既に大木より太く、その体は学園に巻き付いても余りある大きさ。

 それは一見すると神話の龍に見えなくもない禍々しさだった。


「交渉は決裂ですか。残念です」

「言ってろ、獣女が」


 湖ごと潰すような勢いでその尾は叩きつけられる。

 キョウ達からすれば、それは小さなビルが倒れてきたに等しい質量だ。


「えっと、クリスティナさん?!」

「大丈夫です、安心してください」


 クリスティナはキョウの頭をそっと撫ぜ、もう一方の手を大百足に向けて翳す。

 すると大百足の攻撃がみるみると減速し始める。

 そしてキョウ達の頭上にくる頃にはほぼ静止した速度まで落ちていた。


「言ったはずです。この領域では誰かを傷付けることを禁じていると」

「それが俺の攻撃を防いでる正体か? 使。もし誰かを傷付ける事が完全に禁止されているなら、

「…………」

「つまりその言葉はフェイクか、大した強制力もねぇ能力ってこった」


 琉杭は何度もキョウ達に攻撃を叩きつけながら、喋り続ける。

 勿論その攻撃はキョウ達に届く事はないが、心なしか少しずつその距離が縮まっていた。

 だがそれを前にしてクリスティナは少し落胆の表情を見せる。


「それ程の力を持ちながら、どうしてキョウさん達を襲おうとするのですか。あなた達の目的は一体……?」

「目的? 単純な話だ。あるべき世界の姿を取り戻すだけだ」

「あるべき世界の姿?」


 琉杭は攻撃の手を緩め、二人を見下ろす。


「てめぇは妖魔のくせにに何の疑問も持たねぇのか? 家畜にんげんが我が物顔で俺達の土地を踏み荒らし、逆に俺達を管理しようと画策してやがる。可笑しいだろうがよ――ォ!!」


 琉杭が咆哮すると同時にその体の周りの草木が枯れていく。

 これが琉杭の持つ『領域』の特性。

 範囲内を自身の毒を満たし、刻一刻と毒に侵させる。

 草木が枯れたのは毒に当てられたせいだった。


「奴らが俺達より強いならまだ分かる。だがなぁ、奴らはいつ俺達に勝った? いつ俺達があいつらに負けた? 奴らはただ神クラスの妖魔共に保護されてるだけじゃねぇか」

「それがあなた達の戦う理由……ですか」


 憤る琉杭を前に、クリスティナはわずかに視線を伏せる。

 その間にも辺りは毒が徐々に充満していく。

 琉杭がべらべらと懇切丁寧に自分の目的を話しているのは、時間稼ぎの為である。

 現在の様な非交戦的なクリスティナの戦い方は即ち、琉杭を有利にする事に他ならなかった。


「あぁそうだ。俺は認めねぇ。こんな猿と交尾を強要される学校も、家畜と仲良く共存する世界も、何もかも認めねぇ。人間かちくを家畜として扱って何が悪い。むしろ家畜扱いされることに喜びを覚えろよ。てめぇらはその為に生まれた存在だろうが」

「そんな?! 人間を家畜扱いだなんて酷いです」


 どこまでも人間を見下している琉杭に、キョウは思わず抗議する。

 だがキョウの言葉に琉杭はせせら笑う。


「てめぇら人間も『』とか宣ってるじゃねぇか。何が酷い? どこが酷い? てめぇらが普段家畜にやっていることをやり返されて何が不満だ?」

「その理論で行くのであれば、あなた達は今の世界情勢を作り上げた元凶である神クラスの妖魔に不満をぶつけず、やり場のない怒りを自分より弱い者にぶつけているだけに見えますが? それに理由はどうであれ、キョウさん達を攫っていい免罪符にはなりません」


 キョウを片手で抱えたまま、クリスティナは琉杭に視線を送る。

 その表情には怒りの類はなく、あるのは慈しみの表情と少しばかりの憐憫。

 それはクリスティナが今も相手を敵とみなしていない証拠だった。


「説教でもする気か? てめぇも気に食わねぇなら掛かって来いよ。それともそのままご高説たれて無駄死するか?」


 琉杭はニヤッと笑うと、クリスティナの足元付近の水面に目を向ける。

 それと同時に二本の腕が水中から伸びてきて、クリスティナの両足を掴んだ。


「とった――っ!! 私も完全妖魔化した以上もう逃がさない。お前はここでもう一度キョウ君を奪われるんだよ」

「奪う? 私から? キョウさんを?」


 掴まれた足を微動だにせず、クリスティナは苦笑する。

 何故なら――。


「何が可笑しいんだよ!!」

「不可能だからです」


 クリスティナは掴まれた状態で、その場から普通に歩き始める。

 まるで桃に掴まれる事など意に介していないかの様に、淀みない足取りを続けていく。


 クリスティナは桃ごと優しく跳躍し、湖から彼女を引き上げた。

 桃は無様に岸に打ち上げられるが、素早く体勢を立て直す。


「んなもんやってみなきゃわかんねぇだろうがっ!!」


 全身に妖気を滾らせ、突撃してくる桃。

 その反対側では油断無く琉杭がクリスティナの死角から近づいてきている。

 完全妖魔化した大妖クラスの妖魔に挟撃されれば、今までのクリスティナであればどんな手段を用いろうとも為す術もない攻撃。

 その攻撃を前に、クリスティナは妖気を開放するを始める。

 彼らは一体何を勘違いしているのだろう。

 目の前の神獣がどれほど力を抑えるのに苦心していたか。

 彼女は草木も虫も殺したくはないのだ。

 故にその力は繊細に抑え込まれている。

 その抑え込まれていた妖気が、ほんの僅かに解けた。


「では――」


 その瞬間、二人の動きはピタリと止まる。


「――遺憾ながら力を示しましょう」

「ぐっ――」

「がぁっ――」


 クリスティナが両手をかざすと同時に、二人は地に伏せられる。

 まるで巨大な手で押さえつけられているかの様に。

 だが二人の体に土が付くことはない。

 押さえつけられていると言うのに、二人は宙に浮かされているのだ。


「てめぇ……ふざけんなよ。何だこの力はっ?!」

「一言で言うならそうですね。『愛』の力、でしょうか」

「愛だぁ?! 馬鹿にしてんじゃねぇよ!!」


 地に伏せたまま激高する二人から視線を切り、クリスティナはキョウに視線を送る。

 愛おしそうに、待ち望んだ存在を見るかの様に、好意と敬仰が入り混じった表情。

 最早それは恋慕の情を超え、信仰に近い視線であった。


「馬鹿になどしていませんが、今のあなた達に言っても無駄でしょうね。それよりもまだ抵抗するつもりですか?」

「当然だろうが――っ!!」

「そうですか、まだ力の差がわかりませんか……」


 無様に藻掻く事すら殆どできない二人をクリスティナは見下ろす。

 力の差は初めから歴然であり、クリスティナが少し手を翳すだけで二人はまな板の鯉も同然である。

 勝負はクリスティナが麒麟化した時点で着いており、現在の状況はクリスティナ……いや麒麟が生物を傷付ける事を嫌う為、手を抜いているだけなのだ。

 そこには文字通り埋めようのない格の差が存在する。

 唯の蟲である『魔』と『神』なる獣。

 存在の在り方からして違うのだ。


「もう少し反省――――っ?!」


 更なる反省を促そうと、妖気を込めようとしたクリスティナの手がピタリと止まる。

 そして緊張した面持ちでそちらの方に視線を向けるのであった。

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