第112話「罰」

 

「? どうかしましたか?」


 地に伏せるしかない二人も、キョウも何かを感づいた様子はない。

 クリスティナのみがその人を感知できたのだ。

 何故ならその人は彼女の領域内にある異物きょうしゃだから。

 麒麟かのじょの領域の特性は


『不殺生の戒律』


 彼女の領域内でその戒律を破れば、罰則とそれに伴う存在の捕捉が行われる。

 その存在は一切の身動ぎ動作もせず、周囲の草木、虫、小動物など全てを間接的に殺し尽くしてしまった。

 そして戒律を破った者が強ければ強いほど、強烈に違反者として刻まれる。


「あらあら、まさか感知されるとは……。本当に使い勝手の悪い能力と自嘲するべきか、流石はランクSの神獣と褒めるべきか。ここは後者でしょうか?」


 クリスティナの視線の先、木の後ろから現れたのはキョウ達にとって見覚えのある人物であった。

 黒灰色こくかいしょくの髪を腰まで伸ばし、顔に浮かべるは聖母の様な微笑み。

 即ち元生徒会長の咲恋だった。

 咲恋は悪戯がバレて見つかった子供の様に、舌を出しながら笑う。

 その様を見て、キョウと大百足の二人は気が抜けた様に緊張を緩めた。

 贔屓目に見ても咲恋は可愛らしく、その仕草は和やかな雰囲気を醸し出す。

 ただクリスティナだけがキョウを庇いながら警戒した眼で見つめているのだ。


「しかしなるほどなるほど、あの忠告はこう言う事態になるから、だったわけですね」

「――っ」


 他の誰にも聞き取れないくらいの音量で、何かを呟きながらゆったりとした足取りで進んでくる咲恋。

 それを見て、クリスティナはキョウを抱えて後方に跳躍する。

 最早その瞳は大百足の事など眼中に無く、能力すらも解いてしまっていた。

 それだけクリスティナの眼から見た咲恋は異常なのだ。

 だがその光景をどう捉えたのか、その咲恋に声を掛ける者が居た。


「た、助けてください。散歩していたらあの角女に急に襲われて……」


 桃は人化の法を掛け直すと、咲恋の足元まで擦り寄る。

 出来る限り弱者に見える様、声色を変えて恐怖の最中にいる様に演出に余念もない。

 嘘は言っていない為、事情を知らなければ騙される者もいるだろう。

 咲恋は柔和な笑みを浮かべたまま、彼女に視線を送る。


「この首の傷もその時にやられたんです。どうか助けて下さい」

「あらあら、これはひどい怪我ですね」


 体を曲げて傷を覗き見た咲恋は、呑気な声を上げる。

 まるで転んで膝を擦りむいた子供を見る様な態度だ。

 そんな咲恋に桃は少しイラッとしつつも、言葉を重ねる。


「そうなんです、だからあいつに罰を……。天罰を与えてください」

「罰……ですか」


 桃の言葉を反芻する様に呟きながら、咲恋はクリスティナ達に視線を向ける。

 二人の様子を窺うような、何か思案するような視線だ。


「なるほど、これは確かに罰を与えなければいけませんね」


 じっと二人を見つめていたその瞳が突如好奇心に輝く。

 真面目なのか気まぐれなのか、真意こそ不明だが咲恋はキョウとクリスティナに罰を与えようとしているのだ。

 その言葉が嘘ではないと理解した瞬間、クリスティナは能力を発動させる。

 先程桃達を抑えこんだように、今度は咲恋も抑えこもうとしたのだ。


「――なっ?!」


 だが咲恋に起こった変化は髪が僅かに浮き上がるくらいで、動作に支障はない。

 咲恋はその状態のまま、まるで散歩するような気軽さで歩き始める。


「これは……重力操作の系統の能力でしょうか。私以外に効いていない所を見ると、私の能力ものと違って使い勝手が良さそうですね」


 咲恋は能力を受けながら、冷静に現状を分析する。

 その体は今質量を羽毛の如く軽くされ、その上で何らかの見えざる斥力の腕が咲恋を抑えこもうとしているのだ。

 本来であれば吹き抜けるそよ風すら、脅威となりえるはずだと言うのに咲恋の足取りは淀みなく歩き続ける。

 いやそれどころか開放されたかの様に清々しくさえ見えた。


「あなたは一体……。いえ、本気で私達に罰を与えようと言うのですか?」


 キョウをギュッと抱きしめながら、クリスティナは問いかける。

 勿論この程度で麒麟クリスティナの打つ手が無くなった訳では無い。

 だがこれ以上来ると言うのであれば、戦闘嫌いの麒麟でも本気で戦わざる負えなくなる。

 詰まる所これはクリスティナにとって最後のチャンスなのだ。

 そんな覚悟のクリスティナの前に、咲恋は立つ。


「はい、悪い事をしたのであれば罰を受けて反省しなければいけません」

「そんなっ?! 僕達は何も……。冗談ですよね、咲恋さん?」

「いえいえ、冗談ではありませんよ」


 ニッコリと笑いながら、咲恋はキョウの言葉を否定した。

 キョウはその言葉を聞いて尚、信じられないと言う様に咲恋を見つめ続ける。

 その言葉を皮切りに、クリスティナはただ黙って妖気を増幅させていく。

 次の手を打つ為に必要があるからだ。

 そんな二人を他所に、咲恋はポケットから何かを取り出し――。


「こんな夜中に校外へ出歩いた罰です。二人には『逆事の間』の掃除を命じます」

「へ?」


 咲恋の言葉にキョウ達は呆気に取られた表情を浮かべた。

 そんなキョウ達の隙を突くかの様に咲恋は二人に接近すると、ポケットから取り出した物を手渡す。


「えっと……これは?」

「『逆事の間』の鍵です。ちゃんと掃除が終わるまでしっかり管理してくださいね」

「罰とは、これだけなのでしょうか?」


 困惑した状態で、クリスティナは咲恋に問いかける。

 かき集めた妖気など疾うに霧散しており、クリスティナは咲恋の意図をつかめずに居た。


「そうです、ちゃんと綺麗にするまで終わりませんから、しっかりと掃除してくださいね。後で私がチェックしますから。あっ、でも途中でお茶を呑んだり休憩したりする際は自由に部屋を使っても構いませんからね」

「はぁ……」


 未だ要領を得ないクリスティナは生返事を返す。

 キョウに至っては掃除という単語しか分かっていない状態だ。

 そんな二人を楽しげに見つめながら、咲恋はクリスティナの側に体を寄せる。


「……後のことは私に任せてください。この手の後処理は慣れていますから」


 咲恋はクリスティナにだけ聞こえるようにそっと囁くと、可愛らしくウィンクする。

 その優しげな声音にクリスティナは緊張が思わず解けてしまう。

 彼女が怪しいのは確かである。

 しかし、それを差し引いても信頼できるだけの暖かさがそこにはあったのだ。


「あなたは本当に一体……」

「曙学園生徒会長ですよ。――――元、ですけどね」


 クリスティナは咲恋に胡散臭い視線を向けつつ、もう何も言わなかった。


「キョウさん行きましょう。その罰とやらを実行しに」

「あ、はい」


 溜息と共に、クリスティナはキョウと一緒に歩き始める。

 その背中を見ながら、咲恋は思い出したかの様に声を掛けた。


「あっ、『逆事の間』はですので、多少大声を出しても大丈夫ですよ~」

「………………」


 聞こえたのか聞こえなかったのか、クリスティナはキョウを抱えると一跳躍で視界から消える。

 咲恋は夜目でも赤く見えるクリスティナの耳を見ながら、いたずらっぽく笑うのであった。


「何逃がしてんだよあんたっ!! あいつに罰を与えるって……」

「はい、ですから罰を与えましたよ?」

「ふざけんなっ!! アレのどこが罰だよ!!」


 咲恋に詰め寄り、激高する桃。

 その桃を見ながら咲恋は笑みを崩さない。

 いやそれどころか口元は三日月のように釣り上がり、嗤いへと変貌していく。

 何の為に彼女がここへ来たのか。

 目的は様々にあるのかもしれないが、一つだけ言えるとすれば彼女は責務を果たしに来たと言う事である。

 


「なっ、なんだよ……何笑ってんだよ!!」

「――罰と言いますが、では、……。?」

「てめぇ、全部知ってやがったのか――ッ!!」


 咲恋がそう言った瞬間、琉杭はその巨大な尾を咲恋へと叩きつけた。

 彼とて簡単に騙せるとは思っておらず、いつでも奇襲できるように準備していたのだ。

 おまけにクリスティナがこの場を離れた事により、体を覆っていた重力波の能力は既に消え失せている。

 即ち加減などはなく小さなビルの様な太い胴体と、大樹の如き太く鋭い脚が、剣山の様に咲恋へと振り下ろされた。

 純粋な破壊範囲のみで語るのであれば、この大百足は朱やヴァーミリオンすら凌ぐ。

 殺生石と言う切り札がある以上美鈴を超える事は不可能ではあるが、それでもがこの規模と言うのは、大妖クラスでも破格と言えるだろう。

 その光景を前にして、咲恋は笑みを崩す事無く見上げ続ける。


「――っ?!」


 琉杭は目の前で起きた事象に、困惑を通り越して驚愕した。

 先程の攻撃は間違いなく本気の一撃だった。

 大妖クラスの妖魔でも、まともに受ければ全身裂傷は免れない。

 よしんば避けたとしても体から分泌する毒に触れれば、数秒で窒息死か力なく横たわるはずなのだ。

 だが、引き起こされた事象は琉杭の想像を超える出来事だった。


「あらあら、危ないですね」


 咲恋はまるで眩しさから日光を遮るかの様な素振りで、大百足の体を受け止める。

 大百足の巨体からすれば枯れ枝以下の細さでしかない咲恋の腕だが、それが大した力を入れていないのにもかかわらず支えているのだ。


「てめぇもあの獣女と同じように能力で防いだか」

「能力? 言われてみればそうとも言えますね」


 一見すると騙し絵にしか見えない光景。

 琉杭でなくても能力で防いでいる様にしか見えないだろう。

 そもそも咲恋はまだすらしていないのだ。

 これが唯の純粋な膂力であるならば、最早悪夢を超えた何かだろう。

 だから琉杭は咲恋の言葉に少なからず安堵したのだ。

 


「障壁かなんかでも貼ってんだろうが、能力しか能がねぇ軟弱な妖魔の創った障壁程度、そのままぶち壊してやるよ」


 大百足の体がうねると、咲恋の体を押しつぶすかの様に前後から大百足の体が迫ってくる。

 咲恋の頭上には未だ大百足の体が横たわったままであり、咲恋は逃げる事も出来ずに押し潰される。

 そして身動きの取れなくなった咲恋の体に、大樹のような鋭い脚が次々と突き立てられた。

 それは宛ら鉄の処女アイアン・メイデンの様な光景。

 辺りには大量の血飛沫が飛び散り、夜の森を濡らしていく。


「は、ははっ、強そうな感じの割に雑魚じゃん。ね、ねぇリューくん」


 少し引きながらも桃は琉杭に声を掛ける。

 すると、大百足の体がぐらりと傾いていく。

 何故麒麟となったクリスティナがこれほど警戒しなければならなかったのか。

 何故大妖クラスである桃達が、未だに彼女の妖気を感知しきれていないのか。

 それは偏に彼女と彼らとの間に、隔絶する程のがあるからだ。

 それは天災の具現。

 


「――本当ですね、怖そうな見かけの割に随分と柔らかい体です」

「ふぇ……?」


 ぶちぶちと大百足の体を素手で抉り取りながら、咲恋はひょっこりと体を現す。

 その体には裂傷どころか、一遍の傷すらも存在しない。

 あるのは返り血と抉った肉片がこびり付いているだけであり、ダメージと言うものは皆無だ。


「グォオオオ――――ッ!!!!」


 体を抉られた痛みで大百足は七転八倒する。

 それにより、咲恋は踏み潰されそうになるが――。


「ダメですよ、男の子がそんな悲鳴をあげちゃ」


 咲恋が大百足の脚を掴むと、その動きはピタリと止まる。

 痛みや苦しみが消えたわけではない。

 単純に脚一本を掴まれる事によって、そこから全て押さえつけられたのだ。


「―――――」


 琉杭はあまりの出来事に絶句する。

 彼にとって、まさに悪夢と言う他ない光景だろう。

 先程の麒麟も単純な戦力で言えば絶望的な差がある。

 だがそれはまだ勝てる見込みがあったのだ。

 しかし、今の流杭には目の前の女を倒す算段が全く浮かばないどころか。

 そもそも戦闘という次元にすらたてていない。

 それだけ常軌を逸した存在であると、漸く理解したのだ。


「てめぇ……一体何だその能力ちからはっ?! これでもこっちじゃ誰にも喧嘩売られねぇくらいの強さだったんだぞ!? それをてめぇみてぇな女が……」


 琉杭の言葉に咲恋は思わず苦笑が漏れる。

 そもそもからして彼女と強さの話をするのであれば前提の時点で間違っているのだ。


「どうして曙と暁の妖魔のレベルが同じだと思ったんですか? こちらにはのAランク妖魔なんていっぱい居ますよ? そして曙学園生徒会長を務めるにはAランク程度を片手であしらえるくらいでないと務まらないんです」

「Sランク妖魔……てめぇは自分が神クラスの妖魔だと言うつもりか? はっ、馬鹿馬鹿しい。何の意味があってSランク妖魔がこんな学校に入学するんだよ」

「それはあなた達が知る必要はないです。それよりもいい加減降参しませんか? 殺さないよう加減するのは意外と難しいんですよ」


 咲恋はほんの僅かに怒気を込めて二人を睨む。

 彼女としては周囲を飛び回る羽虫に苛ついた程度のもの。

 だが瞬間、桃は平伏していた。

 本能が勝てないと思考を飛び越え、理解したのだ。


「ふざけんじゃねぇ!! 誰が降参なんぞ――」

「では聞き分けるまでゆっくりと教えこんであげましょう。幸い、脚はいっぱいあるようですし」


 ぶちりと、まるで雑草を抜くかの様な適当さで咲恋は大百足の脚を一本引き抜く。

 その瞬間噴水の様に血が吹き上がり、辺りに耳を塞ぎたくなる様な絶叫が響き渡る。


「さあ、何本目で降参するんでしょうね」


 両手を血に染め、咲恋は凄惨な笑みを浮かべるのであった。

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