第98話「ステージCLEAR」

「うっそ……」


 結界の外で見ていたクリスティナ達は、悲鳴を上げるのも忘れて呆然とする。

 朱やヴァーミリオン、ドッジボール決勝戦、先の交流戦、その全てで退魔師の状態になったキョウは相手を圧倒した。

 そのキョウが今目の前で為す術もなく美鈴に負けたのだ。

 クリスティナ達は改めて自分達とキョウ、そして美鈴との間にどれほどの力の開きがあるのか理解し、愕然とした。


「退魔師の力を発揮できなくさせた上で、速攻で勝負をかける。良い判断で模範解答よ」


 そんな中、一人分の拍手の音が辺りに響き渡る。

 他でもないくうだ。

 いつも通りの無表情ながらも、その顔は本気で相手を褒め称えているように見える。


「……てっきり私は睨まれるのかと思っていたけれど、素直にその言葉を受け取っておくわ」


 拍手をするくうに、美鈴は困惑しながらも御礼の言葉を述べる。

 事実美鈴はキョウを倒すために長い時間を掛けて研究し、準備していたのだ。

 相手の意図こそ不明だが、成果を褒められて悪い気はしない。

 だから美鈴はほんの少し気分が昂ぶり、くうの表情の変化を見過ごしてしまった。

 悪魔のような無慈悲なまでに残酷な笑みを。


「認めるわ、あなたは強い。だからこれは心からの賛辞よ。――――――

「ステージクリア? 随分変わった言い回しをするのね」


 くうの言葉に美鈴は疑問を懐きながらも、その賛辞を受け取る。

 勝敗は決したのだから、多少の難癖や言い掛かりの類だろうと、軽く流すことにしたのだ。

 しかしくうの言葉はそこで止まる事は無く――。


「――――さあ、はどうする?」


 ほんの僅かに口角を上げ、くうは嗤った。


 †



 くうが新たなステージの幕開けを宣言した瞬間。

 止まったキョウの心臓が鼓動を開始し始める。

 ドクンッ、ドクンッ、と体内に流れる『血』をフル稼働させ、血管に巡らせる。

 それはまるで回路のようなもの。

 全身の血管を術式そのものの媒体とし、エネルギーである血を巡らせ続ける。


『外法――』


 深く、暗く、怨嗟と憎しみの入り混じった詠唱こえが辺りに響き渡る。

 意識はどこまでも溶けて行き、ただ感情と本能のままその術式はうねりを上げ続ける。

 より殺し合いに相応しい体へと変貌する為に。


「何……?」


 異変に気づいた美鈴が、ソレを止めるわけでもなくただ後退る。

 本能だけが逸早く気付いたのだ。

 ソレが何なのかを。


「――――――」


 キョウの体が大きくひしゃげるように曲がる。

 そして全身から泥の様に赤黒い粘液が噴出し始めた。

 赤黒い泥は意思を持つかの様に形を変え、キョウを中心にみるみると膨れ上がっていく。

 質量保存の法則など無視するかのように、放出される泥が体積を何十倍へと肥大化させる。

 同時に泥からは無数の白い骨が生え始め、新たな骨格の様なものを形成し始めた。

 彼女にとっての完全妖魔化が本気であるのであれば、此れこそが彼の本気。

 ここに、一つの超越した生物が生まれる。


「まさか、まさかまさか――っ」


 美鈴が悲鳴の様な声を上げた視線の先。

 赤黒い体躯の人外。

 各部位は見覚えのある特徴をしていながらも、既存のどの生物とも違う様相。

 ソレは全長6メートルを優に超える無貌の怪物であった。

 ソレは妖魔にとって忌むべきモノ。

 ソレは妖魔であって妖魔でないモノ。

 骨肉を啄む夜の鳥。

 全ては妖魔を倒す為に。

 ただその目的の為に生まれ、その目的の為に消された者達。


『――偽骸装 -混沌獣神鵺カオスキマイラ-』


 たった一つ使えるキョウの退魔の術が、此処に発動する。


「あっ…………」


 ソレと眼があった瞬間、美鈴は遥か後方に退避する。

 恐怖したのだ。

 己の想像を超える化け物の存在に。

 そして何よりソレが妖気の桁外れの量に。


『ウォオオオオオオオオ―――――――ッ!!!!!』


 結界を揺るがす大音量の咆哮が放たれる。

 それは攻撃ではなく、いわば産声。

 ソレが行動を始める狼煙だ。

 同時に辺りの空間から大量の妖気が鵺に喰われ始める。


「――っ」


 反射的に美鈴は水龍を向かわせる。

 先手を取らせてはいけない、と本能的に理解したのだ。

 それは概ね正しく、ただ一つ誤算があるとすれば――。


『――――』


 鵺に水龍が向かった瞬間、鵺の体から幾つもの氷柱が伸び、氷の羽を形成する。

 そして飛沫を上げ、向かい来る水龍は勿論の事、水面全てを凍結させた。


「嘘……?!」


 美鈴は愕然としながら次々と術式を発動させていく。

 空を覆い尽くす勢いで、幾何学的な術式が浮かび上がる。

 その数、数十を超えまだまだ増え続けていく。

 起動した術式からは無数の刀剣が射出される。

 それが数十を超える術式から放たれるのだ。

 まさしくつるぎの雨と呼ぶに相応しいだろう。

 何百何千を超える殺戮の雨が、ただ一体の化け物を殺す為だけに降り注ぎ続ける。


『――――』


 対する鵺は再び体を変貌させ、己の頭から三本の角を出現させた。

 次々と襲い来る剣の雨に、鵺は防御する事無く前進を始める。

 回避など最早必要ないとでも言う様に、降り注ぐ雨の中へ自ら体を晒しているのだ。

 それもそのはず、降り注ぐ剣は


「その体、まさか朱の?!」


 美鈴は三本の角と、鋼よりも遥かに硬い皮膚を見ながら驚愕する。

 降り注ぐ剣は、鵺に触れる度にまるで硝子の如く壊れていく。

 文字通りその程度の硬度差があるのだろう。

 そして今回の変貌はそれだけではない。


『――――』


 鵺の体から霧のようなものが噴出すると同時に、その霧が無数の杭に変わっていく。

 かつてヴァーミリオンがキョウとの決闘で使った能力である。

 それもただ再現しているのではない。

 より膨大な鵺の妖気を受け、本来の使用者であるヴァーミリオンよりも大きく、太く、禍々しく変貌している。


「ヴァーミリオンの力までっ?! とすると始めの氷の力は雪女の子の力かしら?」


 血を求める枯渇の杭は獲物目掛け、一斉に発射される。

 その数百を超え、一本一本が丸太の様に太く長い。

 突き刺さりでもすれば一瞬で血を吸い尽くされるだろう。

 だが、美鈴はそんなものにも目をくれず、ただ一点に意識を集中し続ける。


「この力……まさか白鴉はくあの一族の?! でも、こんな規模の大きさの術なんて聞いたことがない!!」


 体の周りに幾重もの障壁を張り巡らせ、上空を疾走しながら美鈴は唇を噛む。

 白鴉と言う名の一族が使う似た様な術式は美鈴も知っている。

 妖魔の血肉を喰らい、自らの肉体にその能力を再現すると言う術。

 だがそれはほんの一部だけの話だ。

 他人の臓器を移植すれば拒絶反応が出る様に、その身の一部でも妖魔にしようとすれば想像を絶する苦痛を伴う。

 目の前の存在ぬえの様に、全身を妖魔よりも更に妖魔らしい化け物に変えるなど、狂気でしかないだろう。


「これが、あなたの本当の姿だとでも言うの?!」


 跳躍だけで鳥居を破壊し、立ち塞がる金属龍を鉄屑へと変えながら迫るキョウを見て、美鈴は叫ぶ。

 鵺となったキョウの瞳は怒りと憎しみ、そして強い闘争心が宿っており、会話の余地などありえないことを伝えている。


『十二の天なる将よ、我が呼びかけに応じ、ここに顕現せよ――!!』


 美鈴の詠唱とともに上空に巨大な魔法陣が出現する。

 前回交流戦で美鈴が呼び出した十二体の式神、十二天将だ。

 その一体一体が大妖クラスの妖魔に匹敵するスペックを誇り、完全妖魔化した美鈴の能力の高さも相まって前回よりも御神体オリジナルに近しい状態で顕現している。


「………………」


 十二天将によって発生した強力な結界が鵺を閉じ込める。

 その結界の強さは、識の様に壊し方が分かっている場合は兎も角。

 真向からぶつかる場合、酒天童子である朱の怪力を持ってしても破るのは難しい。

 だが――。


『――――――ッ!!!!!!』


 鵺は構わず真っ向から突進を続ける。

 その額には新たに銀色に輝く角が生えている。

 クリスティナの持つユニコーンの角だ。

 その角が持つ能力は『絶対貫通』。

 例えどれ程強固な結界であろうとも、防ぐ事は出来ない。


「くっ――」


 美鈴の表情が苦しげに歪む。

 物理攻撃は鬼の体によって阻まれ、こちらの防御はユニコーンの角によって破壊される。

 そして何より絶望的なのが空間を喰い尽くす勢いで巻き起こっている妖気吸収能力だ。

 キョウが行っていたものとは範囲も速度も違う。

 空間に溶けている妖気は勿論の事、物質化していても関係なく削りながら吸収している。

 小さな竜巻の如く鵺を中心に辺りの気を引き剥がしながら取り込んでいるのだ。

 十二天将が鵺に応戦しているが、破壊されつくされるのは時間の問題だった。


「十二神将でも時間稼ぎにすらならないなんて、本当に化け物としか言いようが無いわね」


 美鈴は殴り潰されていく十二天将達を見ながら、憎々しげに言葉を吐く。

 その周りでは枯渇の杭が狂ったように飛び回っているが、一つ足りとも美鈴に当たることはない。

 逸らしている訳でも、防いでいる訳でもない。

 この空間の支配者である美鈴には限定的ではあるが、五感全てを惑わし支配する能力ちからが有る。

 それにより鵺の五感を惑わし、自分の幻影を追わせているのだ。

 最強の矛と肉体を持とうとも、当たらなければ意味は無い。

 圧倒的優位な鵺が美鈴にダメージを与えられないのは、その一点があるからである。

 だがそれすらも――。


『―――――』


 ギョロッと鵺にが開眼する。

 顔に三つ、両脇にそれぞれ六つの都合九つの眼だ。

 前回美鈴を最も苦しめた、白澤の能力。

 全てを理解する知慧の瞳である。

 その瞳が幻影ではなく、美鈴本体を捉えたのだ。


「雪女に酒天童子、真祖の吸血鬼にユニコーン、そして白澤までも……。悪夢よ、こんなものが、こんな人間が存在するなんて――っ!!」


 鵺に補足された美鈴が悲鳴を上げる。

 枯渇の杭が一斉に美鈴の障壁を削り始めていく。

 鵺に幻覚は最早効かず、逃げることは叶わない。


『――――』


 最後の十二天将をユニコーンの角で貫き殺しながら、鵺は美鈴に向き直る。

 大妖クラス程度の妖魔など、最早相手ではないのだ。

 そんな領域など疾うに超越している。

 これは神の、いや


「来るな……、こっちに来るな――っ!!!!」


 常に優雅を纏っていた仮面など何処にも無かったかの様に、美鈴は必死の形相で逃走する。

 逃げながらも数百を超える術式が上空に出現し、鵺に襲いかかるが硬い皮膚と最強の矛、そして弱点を見ぬく瞳に対処される。

 そして唯一有利を誇っていた制空権でさえも、背中に生えた翼とヴァーミリオンの能力によって可能となる。


『――――』


 鵺は喋る事も無く美鈴の眼前に迫ると、その拳を振り下ろす。

 容赦などあるはずがない。

 いやそれどころか、美鈴と認識しているかすら怪しかった。

 鵺にとって妖魔は単なる獲物であり、種類・思想・善悪に頓着しないのだから。


「ぐっ――?!」


 幾重にも張り巡らせた障壁がまるで薄氷の如く割れ、貫通した拳に美鈴は吹き飛ばされる。

 そしてそのまま地面を跳ねながら転がっていく。

 障壁でかなり威力が抑えられたとはいえ、鬼の拳だ。

 寧ろ一撃で倒されなかっただけ拍手ものだろう。


「痛い――痛い、痛い痛い!! 負けるっ?! この私がっ?! こんなよくわからない怪物に?!」


 口の中を切ったのか、口端から血を流しながら美鈴は狼狽える。

 戦いでダメージなど生まれてこの方まともに食らったことなどないのだ。

 彼女はよくも悪くも

 努力すれば期待以上の成果を常に出し、望めばどんな物でも手に入った。

 だから生まれて初めて陥る絶望的と言う状況に、どう対処すればいいかわからないのだ。


『――――』


 鵺はそんな美鈴に間髪入れず拳を振り上げる。

 白澤の眼で弱点を見抜き、鬼の拳で獲物を叩き潰す。

 それこそ獲物がただの骨と血と肉になるまで、永遠と。

 混沌の獣は止まることなく稼働を続けるのであった。

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