第110話「隷属の腕輪」

 ――夜。

 時刻はもう0時を疾うに超えた辺りの時間。

 僕は日課のランニングの帰り道を走っていた。

 日課の修行はきよさんとの約束で、雨の日も風の日も雪の日も欠かす事無く続けている。

 その継続こそが力になるといつも口酸っぱく言われたものだ。

 だから僕はこんな時間でも走っていた。


 ――今日もクリスティナさんの役に立てた……と思う。


 僕はボヤケる記憶を探りながら、クリスティナさんの事を思い浮かべる。

 一緒に修行を始めてから、前にもましてクリスティナさんは積極的に話しかけてきてくれていた。

 男性が苦手なはずなのに、僕にだけは普通に近づいてきて、色んな表情を見せてくれる。

 そんな状況に、僕は顔がにやけるのを止められない。

 間違いなく僕とクリスティナさんの関係は前進していると言えるだろう。

 そこで僕はふと思う。

 このまま親しくなり続ければ、、と。

 今のくうやピーちゃんの様な、家族に近い関係になるのだろうか。

 それとも山の様に頂点に達したら後は下がるだけなのだろうか。


「――っ」


 僕が首をひねろうとした瞬間、巨大な二つの妖気を感知する。

 それもそれなりに近い位置だ。


「……何だかちょっと胸騒ぎがする」


 僕は予定していたランニングルートを変更し、その妖気の元へと駆け出す。

 妖気に近づけば近づくほど胸騒ぎは増していき、焦燥に比例するかの様に体は加速する。

 そして――。


「クリスティナ……さん?」


 月明かりだけが頼りの中、僕はその姿を木々の間から捉える。

 力なくうつ伏せに倒れており、辺りにはクリスティナさんの物と思わしき血が飛び散っていた。

 そしてその手足は通常ではあり得ない方向を向いており、一目で折られたとわかった。

 僕はソレを見た瞬間、頭が真っ白になる。


「次はどうしようかな? ボコった顔の写真はとったし、次は恥ずかしいところの写真でも取ろうかな?」


 先日真さんと一緒に居た女の人が携帯片手に、楽しげに何か騒いでいる。

 だがその姿に見覚えがあったのは上半身だけ。

 その人の下半身は大きな百足となっていた。

 だがそんな事はどうでもいい。


「あっ、もっといいこと思い付いちゃった。この角折って大人の女にさせてあげよう。どうせお前ユニコーンだから処女でしょ? いやぁ、私天才だね。安心して、記念となるお前の膜貫通式はちゃんと動画で撮っておくから」


 何やら騒いでいる女の人を無視して、僕はクリスティナさんの元に走り寄る。

 こんな人などどうでもいい。

 今の僕にとって重要なのはクリスティナさんだけだ。


「……おい、何だテメェは?」

「お? キョウ君じゃん、こんな所でどうしたの? 一人でいたら危ないよ?」


 二人を無視して、僕はクリスティナさんの元へ行こうとする。

 だが、女の人はそれを阻止するかのように僕の前に立ちふさがった。


「ねぇ、聞いて――」

「邪魔です。どいてください」


 笑顔振りまく女の人を躱し、僕は進む。

 しかし、逃さないとでも言うようにその長い体で僕の周りを包囲する。

 だが

 足に気を込めると、邪魔な障害物を跳躍して飛び越す。


「ちょ、ちょっと。私の話を聞いて……」

「大丈夫ですかクリスティナさん」


 ぐったりとしているクリスティナさんを、僕は優しく抱き起こす。

 意識はあるのかクリスティナさんは何かを言おうと口を開くが、細い息が漏れるだけで言葉はない。

 その顔はかなりの暴行を受けたのだろう、大きく腫れ上がっていて普段の面影すら殆ど無い程。

 全身は荒い刃物で切り裂かれて、手足だけを念入りに叩き折られていた。

 僕は奥歯を噛み砕くほど力で強く噛みしめる。


「あなた達がクリスティナさんを……」


 僕はクリスティナさんを抱いたまま、二人を睨む。

 僕の中で黒い炎がメラメラと燃え上がる。


 ――許せない、許せない、許せない。

 僕の友達にこんな事をするなんて絶対許せない。


「まって、私達が来た時からこうなってたの」

「信じられません。それにクリスティナさんの角を折ろうとしてた時点で許せません」

「おい、こんな奴もういいだろ」

「ダメよ。この子は連れて行きたかった子だし、それにこの子は理事長の関係者よ? 人質として使えるわ」


 理事長と人質と言う言葉に僕の体は反応する。

 この期に及んでこの人達は何を言っているのだろう。

 僕が遅れを取ると思っているのだろうか。


「だったら連れて行きゃいいだろうが、何をまどろっこしい事してやがる」

「でもこの子すっごく強いのよ。交流戦でうちの生徒会長をあと一歩のところまで追い詰めてたし……」

「はっ、こういう手合はもっと簡単な方法があるだろうが」


 大きい方の百足が僕の前に出る。

 僕はクリスティナさんを後ろに庇いながら対峙する。

 僕一人だけならどうとでもなるだろうが、今はクリスティナさんがいる。

 より慎重に戦わなければならない。


「おい、その獣女が大事だったら俺達と取引しろ」

「取引?」

「その女の体には今毒が回っている。


 僕はその言葉に動揺する。


 ――毒?


 僕は改めてクリスティナさんを注意深く観察する。

 外傷も酷く、呼吸も弱々しい。

 衰弱は著しくこのままでは危ない事は確かだ。

 だが外観だけでは毒かどうかは僕には判断できなかった。

 もし男の話が本当なら、クリスティナさんはこのまま死んでしまうだろう。


「その解毒剤をください」

「あぁ、いいぜ。テメェがこれを自らつけるってんならな」


 大百足はそう言うと口から腕輪を吐き出す。

 そして僕にそれを拾うよう指示する。


「……これをつければ解毒剤をくれるんですね?」

「あぁ、嵌めることができればな」

「どういうことですか?」


 男の言葉に僕は聞き返す。

 腕輪は少し悪趣味なデザインだが、普通の装飾品であり拘束具の類には見られない。

 これを嵌めさせて何の意味があるのだろうか。


「その腕輪はな、隷属の腕輪と言ってつければ。そしてその腕輪を付ける条件はそれを知った上で自ら納得してつける事だ」

「奴隷……呪いの腕輪……」


 奴隷と言う言葉が僕の中でぐるぐる巡る。

 これを付ければ僕は彼らの奴隷になってしまうのだと言う。

 どの程度の自由が許されるかわからないが、戦闘は厳しくなるに違いない。

 この場における最善は今すぐに男と女を倒し、解毒剤を奪う事。


 ――だけど解毒剤の場所もわからないし、戦闘中に壊れない保証もない。

 それに時間の問題もある。


「――――」


 僕はちらりとクリスティナさんに視線を向ける。

 瀕死の外傷を負った上に、死に至る毒が回っているのだ。

 その苦痛は想像を遥かに超えるものに違いない。

 であれば、僕の取れる選択肢は一つだ。

 そう、何を迷う事があるのだろうか。

 僕にとって友達とは、自分よりも大事なものだ。

 だったらその程度の代償何でもない。

 クリスティナさんさえ救われてくれるなら、僕は奴隷になろうとも構わない。


「わかりました付けます。だから解毒剤は必ずクリスティナさんに使ってください。そして命の保証も……」

「あぁ、本当に付けれるんならいいぜ。おら、早く付けてみろよ」


 催促する大百足から視線を切り、僕はクリスティナさんと向き合う。

 この二人の目的が何なのかは知らないが、きっと碌でもないものだろう。

 それに奴隷になれば、僕が僕でいられるかすらもわからない。

 だとすればこれが僕にとって、クリスティナさんと最後に交わす会話になるかもしれないのだ。


「クリスティナさん……」


 僕は動けないクリスティナさんと目線を合わす。

 互いにおでこがぶつかりそうなくらい近い距離で、瞳を見つめる。

 この大切な宝物を網膜に焼き付ける為に。


「入学式の日、隣の席になった時から本当に綺麗だって思っていました。決闘の時も、その後の僕の部屋での出来事の時も、ずっとずっと。この銀色の髪と銀色の角は一生僕の眼に離れること無く焼き付いています」


 僕は土や血で汚れた角を指で拭って綺麗にする。

 クリスティナさんはこの角を自分の命と同じくらい大事だと言った。

 だったらこの角が汚されるのはクリスティナさんの魂が汚されるのと同じだ。


「あの日、友達になってくれると言って本当に嬉しかったです。僕にとって初めての友達で、嬉しくって嬉しくって。あれから暫くは夢だったんじゃないかといつも疑ってました」


 僕は目を閉じ、夢の様な日々を思い出す。

 まだ一ヶ月程度しか経っていないが、この一ヶ月は本当に楽しかった。

 初めての友達、初めての食堂、初めての放課後修行。

 走馬灯の様に綺羅びやかに記憶の中を駆け抜ける。

 僕は目頭が熱くなりながら、再び目を開ける。


「僕はクリスティナさんに出会えて、友達になれて、最高に幸せでした。クリスティナさんが初めての友達で本当に良かったです。だから――」


 視界が歪み、揺れる。

 それに伴い僕の両瞼から涙がポロポロと零れていく。

 その雫は僕の頬を伝い、クリスティナさんの頬へと落ちる。


「――さようなら」


 僕は心からの笑顔で笑うと腕輪を装着した。



 †


「…………よろしいのですか?」

「何がですか?」


 おおとり学園理事長、鳳凰院輝夜はから外を眺めながら言葉を返す。

 勿論先に問いかけた相手は紗耶華である。


「せっかく輪廻様と出会えたというのに、こんな簡単に逃がしてしまって……」

「ん~? うふふ、それは勘違いだよ紗耶華ちゃん」

「ちゃんは止めてください。もう子供ではないのですから」


 顔を赤くして訂正を求める紗耶華。

 見た目だけで言えば齢十にも満たない子供が、二十代の女性を子供扱いしている様に見えるだけに、この光景はシュールだった。


「こんなことも分からないようじゃ、まだまだ子供だよ。いい? リー様は自分の意志に反することを絶対やらない人なの」

「ですが先程までは……」


 紗耶華はここに来た時から嫌がっている様子しかなかった輪廻を思い出す。

 誰がどう見ても嫌々連れて来られた様にしか見えないだろう。


「うーんとね、リー様には今の人格と、過去の記憶があるの」

「それは知っています。鳳凰は輪廻転生する神獣。そしてその度に記憶をリセットすると……」

「実際には少し違う。転生時、リー様は新たに生まれる人格に影響しないように記憶との関わりをなくすだけで、過去の魂の記憶というのかな、それそのものが失われるわけじゃないの」


 輝夜は身の丈のサイズに合っていない大きな椅子に座ると、トントンと指で机を叩く。

 紗耶華も座るよう促しているのだろう。

 紗耶華は少し渋る様な表情をしながらも、何も言わず席につく。


「だからリー様がここに来るのを嫌がろうとも、こうして来ている以上リー様の記憶は嫌がっていないということなんだよ」

「……要は過去に守護神獣として輪廻家に存在していた頃の輪廻様が私達に会いたかった、と言うことでしょうか」


 正解、とでも言うように輝夜は満面の笑みを見せる。

 その笑顔を見て紗耶華は安堵したようにそっと溜息をつく。


「そしてそんなリー様が形振り構わず出て行ったということは、今の人格と記憶が火急の要件が出来たと判断したということ。――――――だよね、きよ様?」


 輝夜はいつの間にか部屋の隅に居たきよに声をかける。

 紗耶華は察知どころか言われるまでいた事にすら気づかなかった事に驚きつつ、すぐに警戒態勢に入る。

 が、その表情と様相を見て更にぎょっとして固まった。


「……なぁ、お前たちはどういう時に哀しみ、涙するんだい?」


 目端から薄っすらと涙を流しながら、きよは笑顔で問いかける。

 その異様な光景に、紗耶華は言葉を繋げれない。

 何せその気になれば何千何万と言う人間を、何の感情も感慨もなく鏖殺出来る邪神が涙しているのだ。

 反応しろという方が難しい。


「そうですね、別れや喪失……大まかに分ければその類に起因するものが哀しみを生むのでしょうか」

「別れや喪失か……。だとすればあまり良くない出来事が起きているね」

「お帰りになられますか?」

「あぁ、急で悪いがそうさせてもらうよ。交換留学生に関しては唯羅って子がいれば後はなんでもいい」


 指で涙を拭うと、きよは外套を靡かせて出口へと向かい始める。

 そこで漸く紗耶華は我に返った。


「そこは本人の意志を確認――」

「来るさ、あいつは」

「っ?! 貴様、彼女に何かしたのかっ?!」

「何もしていないさ。ちゃんと確認するといい」

「待てっ、まだ話は終わってない!!」


 きよは紗耶華の静止を聞くこと無く姿を消す。

 紗耶華はきよが消えたあたりの場所を歯痒い表情で睨む。

 後には輝夜が呑気にお茶を啜る音だけが響くのであった。



 †



「くっ、はははっ、おいおい笑わすじゃねぇか。マジでハメやがったぞコイツ」

「ちょ、琉杭。早くもう一方の腕輪渡して」

「うらよ」


 桃は琉杭が吐き出した粘液塗れの腕輪をキャッチする。

 そして少し気持ち悪そうにしながらも腕に装着した。


「キョウ君、そんな女捨ててこっちにおいで~」

「……はい」


 キョウは桃の言葉にクリスティナをその場に寝かせると、桃の元まで歩いてくる。

 その瞳からは光が消え、何の感情も映していない。


「いい子ね~。ご褒美に私の手を舐めさせてあげる。嬉しいでしょ?」

「はい、嬉しいです」


 キョウは差し出された桃の手を、言われるがまま舐め始める。

 桃は舐められる度に恍惚に表情を歪め、快楽に震えた。


「んで効果は確認できたし、そこの獣女の処理はどうすんだよ。早速奴隷にでもヤラせるか?」

「はぁ? そんなことさせるわけ無いっての。それより早く解毒剤渡してあげて」

「おいおい、マジで渡す気かよ。腕輪つけさせたら約束なんて守る意味無いだろ?」

「この腕輪って人格殺すわけじゃないんでしょ? だったら約束破ればキョウ君が傷つくじゃない。キョウ君は大切な人質なのよ? 心が壊れちゃったらどうするつもり?」


 桃はキョウを抱きしめると、愛おしそうにその頬を撫ぜる。

 琉杭はその仕草を胡散臭そうに見ながらも、クリスティナに解毒薬を注入した。


「はい、キョウ君。これで約束は守ったからね~。安心して私に奉仕するのよ?」

「……はい」

「おい桃。お前目的を忘れてねぇか? 俺達がこいつらを攫ったのは娼館あそこで働かせるためだろうが。猿に情なんか持つんじゃねぇよ」

「わかってる、わかってるって。あっ、もしかして嫉妬してるの?」

「はっ、誰がするかよ。もういい、行くぞ」


 琉杭は苛ついた声を上げながら、有無をいわさず進み始める。

 桃もそれに続こうとするが、何かに気がついたかの様にクリスティナの前まで戻って来た。


「それじゃあキョウ君は私が貰っていくから。じゃあね負け馬さん、これからは残ったキョウ君の机で無様に腰振り続けるといいよ。それくらいなら許可してあげるから。――私はこれからキョウ君のありとあらゆる箇所をタップリとかわいがってあげるけどね」


 嫌味をたっぷりと載せ、桃は嘲笑う。

 そしてその場を後にするべく、キョウを抱き上げると進み始めるのであった。

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