第151話「深夜の攻防」

「あぁ、ごちそうさま」


 夢魔は足元に転がる少女達を見ながら舌舐めずりする。

 三人は見るも無残な姿で転がっており、夢魔によって精気を吸い尽くされた後だった。

 辛うじて息をしているがかなり衰弱しきっており、今すぐにでも治療しなければ危険な状態だ。


「さて、そろそろ来る頃だろうか?」


 夢魔は何かを待つ様に辺りを見渡す。

 その視界には何も写っては居ない。

 だが確信があった。

 何者かが来るという予知めいた確信が。

 それを裏付けるかの様に夢魔の死角に一瞬影が写る。

 その瞬間――。


「ぬぅううん――――っ!!!!」


 突然夢魔が居た場所目掛けて豪腕が振るわれた。


「――――っと」


 ほんのコンマ数秒速く夢魔はその場を離脱するが、拳の一部が掠るほど脅威の速度と肉迫だった。

 夢魔は今や大妖クラスの妖魔ですらなかなか手が出せない領域まで成長している。

 その夢魔に対してその人間はそこまでの攻撃を放ったのだ。

 キョウと言う例外中の例外があるにせよ、その人物の実力の程はただの一撃でわかり易すぎるほど表されていた。


「ふむ、いい反応速度だ。連日の事件は伊達じゃないということだね、サキュバス君」

「漸く部隊の到着……ではないな。貴殿単機でここに?」

「如何にも。こんな森の中では己一人の方が遥かに速いのでな」


 手甲に包まれた両拳を握りしめ、無精髭の男はにやりと笑う。

 夢魔は近場の木の上付近から、用心深く男の姿を観察する。

 暗がりでも且つ服の上からでも分かるはち切れんばかりの筋肉。

 装甲戦機が主流となった現代の戦場において、必要以上の筋肉をつけるものは少ない。

 元より術式や異能力の飛び交うのが常の魔境。

 過度な筋力強化を行うよりも、術式の一つでも極めた方が遥かに効率がいいのが当然であろう。

 時間が無限で無い以上、掛ける時間は限られているのだから。


「……、か」


 夢魔は相手が既に完成されている事を理解した。

 強者とは一般論じょうしきから逸脱しているものなのだから。

 その証拠と言わんばかりに、気を抜くと即座に殺されかねない圧力を醸し出していた。


「……………」


 夢魔は幻術によって己の位置をずらし、その場から離脱しようとする。

 術発動までにかかる時間はほんの一秒足らず。

 その僅かな間隙、夢魔の意識が目の前の男から術の方に振り分けられた。

 隙と言うにはあまりにも小さなものである。

 事実夢魔は男を視たままで、動きがあれば見逃す事は無いはずであった。


「――はっはっ、余所見とは余裕ですな」

「っ?!」


 だが無精髭の男は僅か一秒足らずの合間に夢魔の眼前に迫ると、その豪腕を振り抜く。

 筋肉隆々の見かけとは裏腹に、まるで重力を感じさせない軽やかな動きで接近し、即座に攻撃に移ったのだ。


「くっ――」


 片腕でガードしながらも、夢魔は地面へと叩き落されてしまう。

 両腕の手甲に施された術式により、例え大妖クラスの妖魔であろうと肉を裂き、骨を軋ませる威力まで増幅された一撃。

 その威力も去る事ながら、何よりも彼女が不覚を突かれたのはその気配の在り方だ。


「気配だけをその場に置き去りにしたのか。流石は歴戦の退魔師だな」

「長く戦場に身を置いていると、身につかなければ死ぬ技量が多くありましてな。自分などは偶々運良く生き残っただけのこと。流石でもなんでもありませんな」


 世間話でもするかの様な口調のまま、男は追撃を止めない。

 空中でダンスでもする様に軽やかなステップを刻み、鋭く追い立てる。

 曲芸とでも言うべきその移動の仕方に夢魔は思わず舌を巻く。


「ふっ、これではどちらが人間か分かりはしないな」


 夢魔は羽を広げると辛くもその追撃を避ける。

 そしてすぐさま妖気と膂力を強引に使い、徐々に体勢を立て直す。

 幾ら男の技量が優れ、術式と手甲に備わったギミックにより肉迫出来る様になったとは言え、所詮人間は人間。

 基本的な身体能力に隔たりがある以上、不意打ちでもなければ夢魔に攻撃を当てる事は難しいのだ。


「では、追いかけっこと行こうか」


 力任せの強引な加速で攻撃を振り切ると、夢魔は全速力で逃走を開始する。

 勝ち目が薄く諦めたか、或いはリスクを恐れて後退するのか。

 そう思える程に夢魔の様相は逃走だけに集中していた。

 状況を考えれば逃亡も一理あるだろう。


 不意打ちを受けたとは言え、現状だけ見れば依然夢魔の方が有利である。

 このままの状態で勝負を続ければ9割以上夢魔の勝利が見えているだろう。

 何故ならスペックが違う。

 身体能力、スタミナ、特殊能力、妖気量。

 全てにおいて夢魔が圧倒している。

 だが、その要素をすべて覆す切り札が退魔師には存在するのだ。

 即ち装甲戦機である。

 自身のスペックに大妖クラスの能力をそのままプラスできる対妖魔兵装。

 大妖クラスと普通に戦闘が可能な者が使用すればどうなるかは、論ずるまでもない。


「なるほど、そうきますか。これは気を引き締めてかからねば」


 対する男は巨体に似合わぬステップ捌きで、夢魔を追う。

 ここに深夜の追走劇が始まるのであった。



 †



 闇夜に紛れ動く影。

 目深くフードを被り、一見して誰だか判別がつかない様相をしている。

 その人物は月光を避ける様に、影から影へと移動を続けていた。


「勢いで承諾してしまったが、本当にこれで大丈夫なのだろうか」


 シルヴィアはフードを軽く上げながら、周囲を警戒する。

 彼女の疑念も最もだろう。

 極力気配と妖気は消しているが、それでも退魔師の持つ探査機に引っかからない保証はどこにもない。

 寧ろ引っかからない方がおかしいと言える。

 何故ならシルヴィアは今退魔師達が血眼で探し回っている相手なのだから。

 それでも彼女がこうして行動を起こしているのは、白澤である識の言葉あってこそだ。

 シルヴィアは識達との会話を思い出す。


『シェイプシフターにせよ、ドッペルゲンガーにせよ、この手の変身能力には制約が存在する。特に見掛けだけではなく中身のうりょくまでコピーできるやつはな』

『それでその制約とは?』

『簡単な話だ。より情報を入手する……つまり物理的に接触する必要があるんだよ』

『物理的接触か。しかし、そんなもの絞りきれないほどあるが』

『予め潜入されてた場合はそうだろうな。だが今回に限っては有り得ないんだよ』

『有り得ないとは?』

『能力でコピーできるのは。筋肉・臓器・脳・妖気すべてを完全に一致させるからこそ記憶も固有能力も使える。だが、そこに成長はない。考えても見ろ、一ヶ月前のお前と今のお前。果たして同じ生き物といえるのか?』

『なるほど、それが事実であれば確かに変な話になってくるか』

『そうだ。今回の事件はお前が帰ってきた直後から始まっている。つまり犯人はその短い時間の間にお前に物理的接触を図ったことになるんだよ。つまり――』


 シルヴィアは回想から立ち戻り、視線を戻す。

 即ち、この学園唯一の出入り口である正門である。


「あぁ、確かにタイミング的に彼女が一番怪しい」


 正門を預かる神クラスの妖魔。

 スフィンクスの妖魔である彼女こそが、最もシルヴィアに接触しやすかった存在である。

 おまけに彼女ならば誰よりも早くシルヴィアの帰還を知る事が出来る。

 もし仮に彼女が入れ替わっていたとすれば?

 そう仮定すると筋は通るのだ。


「手段は選ばなくなったとは言え、正直騙し合いは好みではないんだ。だからどうなのだ、シェセパ殿。貴方は何者かに操られてはいないか?」

「消灯時間は疾うに過ぎている。火急の件でなければこの門を開くこと能わず。早急に立ち去るが良い」


 シェセパと呼ばれたエキゾチックな雰囲気の女性は、いつぞやと同じく正門中央の台座に鎮座したまま、シルヴィアを見下ろす。

 その表情は普段通りのまま、業務を遂行し続けるのみ。

 しかしその瞳がロープから覗くシルヴィアの顔をしっかりと捉えると、目の色が変わる。


「…………汝は件の夢魔か」

「そうだと言えば?」

「――当然拘束されると知れ」


 言葉を放つと同時に、シェセパから伸びる蛇の尻尾がシルヴィアを捕らえようとする。

 かつて白鷺唯羅を捕縛した速度よりも、更に速い速度で周囲を取り巻き収束。

 だが蛇に縛られたのはローブだけであった。


「我が尾より逃れるか。先日よりも遥かに強くなっていると見える」

「このところ非常に調子がいい。激流のように暴れまわっていた妖気が、とても馴染んでくれる」


 ローブを変わり身とし、シルヴィアは後方に逃れる。

 零れ出る髪は薄い桜色であり、数日前よりも更に魔王アステリシアに近い色へと変色していた。

 もはやその力はAランクを突き抜け、シェセパと同じくSランクの領域まで到達している。

 その覚醒とも言える強化の理由は『色欲の魔王』であるアステリシアの血を受け入れ続けている事に起因するが、一番の理由は彼女の精神構造自体が成長した事が大きい。

 二体の魔王達が語った事ではあるが、悪魔の力の源は想いの強さだ。

 彼女自身言語化する事は難しいが、彼の本性の一端と龍神アレを見た事により、その想いは通常では到底到達し得ない領域に昇華しつつあるのだ。

 勿論シルヴィア自身はその事について自覚がない。

 いや自覚がないからこそ、その想いに呼応した血がどこまでも彼女に力を与え続けているのだ。


「――だが、ここは我が『領域』にて創られし聖域。侵入も脱出も我の思うがまま」


 シェセパがそう言うと正門周辺を囲う様に障壁が張り巡らされていく。

 常時完全妖魔化している彼女は、当然の如く領域も常時展開されている。

 本来であれば神クラスの妖魔の領域は異空間を創り上げる事となるのだが、彼女の場合は些か特殊な様相を呈していた。

 スフィンクスとは守護神獣である。

 聖域に立ち入る侵入者を呪い、無法者を裁く。

 故に正門と融合する形で領域は展開されているのだ。

 その領域特性は『聖域化』。

 これがスフィンクスの妖魔である彼女の能力。

 その呪いはあらゆる能力値を低下させる。

 そして侵入した時点で犯罪者である以上、王の代行者として裁きを下す。

 即ち――。


「――――ッ!?」


 シェセパの両目が急に発光した瞬間、シルヴィア目掛けてレーザーが放たれた。

 真夜中だと言うのに辺り一面太陽が出現したかの如き光量に包まれる。

 シルヴィアは幻覚で位置をずらしていたお陰で直撃は逃れたが、それでも溢れ出る超熱量に身を焦がす。

 呪いで弱体化しているとは言え、神クラスの妖魔となったシルヴィアの肌は今や対戦車兵器弾が直撃しようとも傷一つつかない強度を誇る。

 その強靭な肌を熱量のみで焦がすというのだ。

 まともな攻撃でない事は一目瞭然だろう。

 だがそれもそのはず。

 何故ならコレは超圧縮された太陽光である。

 夜であろうが関係なく、圧倒的な熱量を以て万象を焼き尽くす殲滅光。

 スフィンクスの妖魔である彼女が仕える王の内の一つ、つまりは太陽神の力なのだから。


「こんな狭い空間で――」


 閉鎖された聖域内で撒き散らされる熱量に堪らず、シルヴィアは翼を広げて距離を取ろうとする。

 そのシルヴィア目掛け、シェセパは視線を動かす。

 当然太陽光レーザーを照射した状態で。

 視線が一筋の光刃となり、シルヴィアの体を真っ二つに焼き切る。


「……詰まらぬ幻影なり。姿を晒せ、我の声に応えよ、『汝の居場所はどこだ?』」

「っ――――此処だ!!」


 シルヴィアは声を張り上げると、その鋭い爪で斬り掛かった。

 神クラスの妖気を纏った事により、シルヴィアの爪は神器と同クラスの斬撃を放っている。

 その威力は完全妖魔化した朱の体であろうとも斬りつける事が出来るレベル。

 だがその斬撃をシェセパは同じく己の爪で受け止めた。


「速度は上々、だが軽い」


 瞬き以下の間に巻き起こる竜巻の如き斬撃。

 それをシェセパはライオンの腕で受け止め続ける。

 無論レーザーは未だ止まっておらず、その上蛇の尾が一瞬でシルヴィアを取り囲む。

 攻めているはずなのに全く意に返していないシェセパに、シルヴィアは後退を余儀なくされた。


「噂通りの能力と言ったところか。『スフィンクスの問には何人も偽りなく答えなければならない』。成程、理事長もそれは重宝するだろうな」


 スフィンクスの持つもう一つの能力。

 それはと言うものだ。

『答の強制』それがスフィンクスの持つ能力であった。


「汝に無駄口を叩く余裕があるのか?」

「その問いに対する回答は『否』だが、余裕がなければ口を開いてはならないと、決められていない以上どうしようと私の勝手だ」

「愚かな、とは言わぬ。それが糸口になることもある故」


 超高熱のレーザーと質量を無視して無限に伸び続ける蛇の尾を躱し続けながら、シルヴィアは楽しそうに笑う。

 事実楽しいのだろう。

 強敵かつ自分好みの相手であれば、最早使命や目的を度外視して楽しんでしまう。

 ある意味退魔師状態のキョウと同じくらい脳筋思考だった。


「だが納得出来ないことがある」


 渾身の蹴りを片手で止められながら、シルヴィアは憤る。

 攻撃を止められた事ではない。

 ましてや台座から全く降りようとしないシェセパの態度に対してでもない。


「それほどの力を持っていながら、というのだ」


 シルヴィア達にとって最も怪しい人物はシェセパに他ならない。

 もし変身能力で成り代わっているのであれば、即ちこのシェセパを倒せた誰かが存在するという事。

 それもなんの痕跡も残さず、この学園の支配者であるきよ理事長並びに煌依校長の感知すらすり抜けている。

 それがどれほどの異常事態なのか、対峙しているシルヴィアには嫌でもわかるのだ。


「我が敗れる? 戯言なり、我が能力の前でもう一度答えよ。『誰が誰に破れたのや?』」

「何度でも答えよう。貴方がこの学園の侵入者に、だ」


 シルヴィアの言葉にシェセパは固まる。

 スフィンクスの能力は嘘偽りを許さない。

 謎掛けの伝承にもある様に、偽りの正解を出せばペナルティーを受ける事になる。

 そしてそれは例えその発言者自身が、その答えを真実と信じていようとも客観的真実をスフィンクスが知っていた場合、それは偽りとなるのだ。

 だが、何時まで経ってもシルヴィアにペナルティーが下る事はない。

 シェセパ自身に関する問いなのだ。

 客観的事実など語るまでもなく決まりきっているはずなのに、だ。


「…………否、あり得ぬ。そのような事実、我は知らぬ」


 シェセパは戦いの最中だと言うのに、能力をすべて解いてしまう。

 己が能力を誰よりも知っているが故に、理解してしまった為だ。

 シルヴィアはその隙にシェセパに近づく。

 攻撃する為ではない。

 彼女の目的は初めから一つ。

 即ち、犯人の特定だ。


 退魔師達に見つかるかもしれないリスクを犯して、何故シルヴィアが今夜ここへ来たのか。

 ただ探るだけなら他のメンバーでも問題なかったはずだ。

 だがそれでは識の言った通り確実ではないし、何より成り代わり以外の手段を用いられた時に対応しきれない。

 故に識は確実な手段を取ったのだ。

 夢魔であるシルヴィアの力で相手の精神・記憶に侵入すると言う方法を。


「さあ、見せてもらうぞ。お前の正体を」


 そう言うと同時にシェセパの記憶の中へと潜り込むのであった。

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