第113話「上は天国、下は血の池地獄」
「えっと、一つ聞いてもいいですか?」
深夜の森を眼下に収めながら、僕はクリスティナさんに尋ねる。
重力を感じさせない動きでクリスティナさんは上空を疾走し、凄まじい速度で足元の光景が流れていく。
これでも全力からは程遠い状態なのだろう。
何故なら現在僕はクリスティナさんにお姫様抱っこされている。
こんな速度で動いているにも関わらず、揺れや振動が殆どないのだ。
「なんでも聞いてください。私はあなたのものですから」
「ものだなんて、そんな……」
真上から覗きこむ様に慈愛の表情をするクリスティナさん。
その表情と顔の近さから、僕はドギマギする。
雰囲気がまるで別人と言うか、妖気が完全に別物なので混乱するのだ。
クリスティナさんなのにクリスティナさんではないような感覚。
頭の中では分かっていても全く慣れない。
そもそもいつものクリスティナさんでもこの距離は恥ずかしい訳である。
クリスティナさんの態度も相まって、僕は物凄くこそばゆかった。
「え~と、その格好と妖気は、一体何なんですか?」
僕は純粋な疑問をぶつける。
非常事態で今まで突っ込まなかったが、どうしてこんな姿になってしまっているのかは謎でしかないのだ。
「私も詳しいことはわかりません。ですが一つ確かなことを言うなら、これはキョウさんがくださった力です」
「僕があげた力?」
僕はクリスティナさんの言葉に首を傾ける。
そんな覚えは全く無いからだ。
と言うより僕にそんな力があれば、当然ドッヂボールや交流戦で使っているはずである。
いつの間にか身に付いた能力なのだろうか。
その割にきっかけも何も思い浮かばない。
「私もそれ以上のことはわからないので、後でくうさんにでも聞いてみましょう。彼女なら恐らく知っているはずです」
「そう……ですね」
僕はなんとも言えない気持ちになりながらも、頷く。
どうして僕は自分の事なのに、くうより知らないのだろう。
いつもの事ながら呆れて溜息しか出ない。
「私もキョウさんに一つ聞きたいことがあります」
「?」
「咲恋さん……と言いましたか。あの方を見てキョウさんはなにか感じませんでしたか?」
「何か……ですか」
クリスティナさんに言われ、僕は咲恋さんとの出会いを思い出す。
昼休み、一人昼食を手に入れる事すら出来なかった僕は、購買部で咲恋さんと出会った。
黒灰色の髪、聖母の様な優しげな雰囲気。
そして――。
「初めてきよさんとあった時のような、懐かしいというか、不思議な気持ちになりました」
「きよ理事長の様な……ですか」
クリスティナさんは考えこむような素振りを見せる。
そんなにも咲恋さんの事が気になるのだろうか。
くうといい、クリスティナさんといい、僕には二人が咲恋さんをここまで気にする理由がよくわからなかった。
「あの……咲恋さんに何かあるんですか? くうも咲恋さんだけはダメだって言うんですけど」
「……あの時はくうさんの言った意味がわかりませんでしたが、けれど今ならわかります」
クリスティナさんはその光景を思い出すかの様に、体を強張らせる。
その様子は恐怖、と言うよりはどちらかと言うと畏敬の念に近いのかもしれない。
しかし、これほど強い力を持つ様になったクリスティナさんが、何を恐れると言うのだろうか。
正直今のクリスティナさんには全く勝てる気がしないと言うのに。
「あんなに禍々しい妖気を見たのは初めてです。それも質が悪いことに、あれは恐らくこのランクに到達しなければ理解する事すら出来ない程強大な妖気なのでしょう」
「? それが悪いことなんですか?」
「いえ、本質が善か悪かで言えば善なのでしょうね。しかし、それによって周りが善い方に転ぶとは限りません。あの方はただそこに居るだけで周囲の生き物を破滅や混沌に導く様な、そんな非常に危険な能力を持っています」
クリスティナさんは申し訳そうな顔をしながらも、咲恋さんを危険と断じた。
しかし僕はその言葉に疑問を持つ。
今回の事だって咲恋さんには何だかんだと助けてもらったのだ。
少し助け方が意地悪だった気もするが、危険と言われる程のものではないはず。
だからこそ僕は咲恋さんの事を悪く言って欲しくはなかった。
「だからくうもクリスティナさんも咲恋さんには近づくなと?」
「いえ、私はそこまではいいません。私はキョウさんのものですから。私が言えることは一つ、どんな事があってもあなたを護るということです」
「えっと……はい」
まっすぐ優しげな瞳を向けるクリスティナさんから、僕は思わず目を逸らす。
この言葉は文字通りの意味なのだろう。
そう理解できるからこそ何だか猛烈に恥ずかしくて、顔から火が出そうなのだ。
心情はずっとクリスティナさんと一緒に居たいと思っているのに、嫌なはずはないのにどうしてだろう。
「さて、学校へと戻ってきましたね。早速『逆事の間』へ向かいましょう」
どこか浮き足立っている様に見えるクリスティナさん。
真面目なクリスティナさんの事だ、はやく掃除を終わらせたいのだろう。
それにしては少し様子が変だと思いつつも、僕はクリスティナさんを逆事の間へ案内するのだった。
†
「あら、まだ半分にも行っていないのに気絶しちゃったんですか」
引き千切った脚を片手に、咲恋は呑気な声を上げる。
辺りは血の海と化し、山の様に捨てられた脚が積み上がっていた。
その直ぐ側には耳と目を塞ぎ、震えの止まらない桃の姿があり、ここで行われていた行為の凄惨さを表している。
いや、行為などは大した事はない。
彼女は多岐にわたる手段で大百足の脚を千切り続けていたに過ぎない。
引き千切り、螺子切り、切断、自切、圧切……。
自身の興味の赴くままに、好きな方法を試し続ける。
ただただ相手に恐怖と苦痛を与える為に。
それを彼女は楽しみでも怒りでも悲しみでもなく、義務感で行い続けた。
「仕方ありませんね、先にこの子達を回収するとしましょうか」
咲恋は表情を変える事無く桃の方に振り返る。
目を閉じ、耳を塞いでいる桃はそれに気付けるはずもなく――。
「ひゃっ~~?! こ、殺さないでっ!!」
咲恋が桃のほっぺたを突っついた瞬間、情けない声を上げ、桃は泣きじゃくる。
大妖クラスの威厳はどこへやら、もう少し咲恋が突けば失禁しそうな勢いだった。
「大丈夫ですよ、私は素直な子には優しいですから」
「は、はひっ、素直にしますから、どうか命だけは……」
「そう、いい子ですね。じゃあ、この
咲恋は今も気絶している慰魔師達に視線を送りながら言う。
いくら彼女が強いと言っても体のサイズは普通の人間と変わらない。
詰まる所どれだけ頑張ろうと運べる人数に限界が有るのだ。
無論、慰魔師達の怪我の有無を問わないのであれば、可能ではあるが。
桃は死にたくない一心で首をカクカクと縦に降る。
「あっ、それからもう一つ聞いておきたいことが……」
「な、なんでしゅかっ?!」
噛んだ事すら気にせず、桃は背筋をぴんと伸ばす。
恐怖は体の芯まで浸透しており、最早一ミリたりとも歯向かうと言う気概はない。
足を舐めろと言われれば喜んで舐めるだろう。
「もう一人の大百足とあなたはどういう関係なのかな?」
「お、幼馴染です」
「そうなんだ、恋人じゃないのは少し意外ですね」
「か、体の関係は、あ、ありますけど、その……リューくんそういうの嫌がるから……」
視線を背ける桃に、咲恋は優しげな視線を送る。
周りの絵面さえなければ恋愛相談を受ける先輩後輩関係に見えるだろう。
辺りに無数に散らばる引き抜かれた脚と噎せ返るような血の匂いがそれら総てを台無しにしていた。
「なるほどね、じゃあ、そのリューくんに対してあなたを人質にとったら命をかけてあなたを護ってくれる?」
「護ってくれる……と思う。幼馴染だし、ずっと一緒に居たから……」
「そう、じゃあその言葉を信用しようかな」
キョトンとする桃を後に、咲恋は懐からメモ用紙を取り出すと何かを書き込み、琉杭に貼り付けた。
「えっと、何をしてるのですか?」
「書き置きです。『私が戻ってくる前に逃げたら彼女を殺しますって』」
咲恋は満面の笑みでそう言う。
相対的に桃の顔は真っ青になっていく。
その言葉が冗談か冗談でないかは、辺りの光景を見れば察しがつく。
「さあ、学園に戻りましょうか。あなたにも聞きたいことがありますし」
有無を言わさぬ笑みを浮かべたまま、咲恋はそっと桃の肩に手を置くのであった。
†
「これが『逆事の間』……ですか」
クリスティナさんは完全な和室である室内を、物珍しげに眺める。
学校内であって学校内でないような、そんな異質の雰囲気があるのだ。
かくいう僕もこの部屋に入るのは二度目だが、何だか現実感がない。
何度入ろうとも慣れはしないだろうと言う確信すらあった。
「時間も遅いですし、はやく掃除をしちゃいましょうか」
僕は入口付近で辺りを眺めているクリスティナさんに声をかける。
時間的にも普段ならとっくに眠っている時間だし、見知っている場所に戻ってきた所為かどっと疲れが出たのだ。
「………………」
「クリスティナ……さん?」
僕が訝しげにクリスティナさんを見ると、ちょうど後ろ手で部屋の鍵を閉める音がした。
他でもないクリスティナさんが鍵をかけたのだ。
でもどうして……。
「――キョウさん、先も言いましたが私はあなたのものです」
「えっと……?」
さっきから何度もその言葉を聞くが、イマイチ意味がわからない。
ものとはなんだろうか。
道具や所有という意味だろうか。
だとすれば僕はそんな事は望んでいない。
僕が望むのはあくまでクリスティナさんに友達として一緒にいて欲しいだけなのだ。
「あなたは先程自分の身を犠牲にしてまで私を救ってくれました」
「それはその……友達として当然のことをしたといいますか……」
頬を掻き、僕は照れる。
てっきり二度とするなとか、バカな選択をしたとか、罵倒されるかと思っていたのだ。
自分でも頭の悪い選択だとは分かっている。
でも、それでも僕は居てもたっても居られなかったのだ。
きっと何度人生をやり直そうと、僕は同じ選択をする。
僕の言葉から心情を察したのか、クリスティナさんは優しく僕の頭をなでた。
「本当に心から感謝します。そしてだからこそ、私もあなたに全てを捧げたいと思います」
「全て?」
僕が聞き返すと同時に、眼前にクリスティナさんの顔が広がる。
息がかかる距離まで接近してきた事で、僕の心臓は高鳴った。
「そうです。――――私の愛の全てを」
クリスティナさんがそう言った瞬間、僕の唇を柔らかい何かが触れる。
マシュマロの様に柔らかな感触に、僕の思考は一瞬真っ白になった。
「え? …………え?!」
僕は何が起こったのか理解できず、目を白黒させる事しか出来ない。
目と鼻の先には未だクリスティナさんの顔があり、幸せそうに微笑みながら頬を紅潮させていた。
「私のファーストキスです」
目を細めながらもはにかんで笑うクリスティナさんに、僕の脳は徐々に現実を認識し始めた。
キス? 僕はキスされたのだろうか?
仄かに唇に残る感触を僕は無意識に指でなぞろうとする。
だが、それはクリスティナさんによって阻まれた。
「そしてセカンドキスも……。私が捧げれるものは全部全部あなたに捧げます」
今度はゆっくりと、余韻を楽しむ様に唇と唇が重なる。
僕はその光景を何処か他人事の様に眺める。
決して嫌な訳では無い。
現実味が無い訳でも無い。
――むしろ逆だ。
何度もしてきた行為の様に、僕の体は自然とクリスティナさんを受け入れる。
まるで僕はその為に作られた存在であるかの様に。
僕はどこか変になっていく自分を感じながらも、傍観するように受け入れ続けるのであった。
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