第85話「退魔の術」

「暁理さん、ハクさん、紫雲さん……」


 僕は複雑な胸中のまま、疾走する。

 僕を待つ識さんの元へと。

 僕らがあのまま美鈴さんと戦っても勝ち目はない。

 だから暁理さん達は僕の為に囮となってくれたのだ。

 ただ識さんの元に辿り着く間の時間を稼ぐ為だけに。

 それだけに僕は一瞬たりともスピードを緩めず、振り返らず駆け抜けた。

 皆の託してくれた思いを無駄にしない為に。


「――っ。来たか」

「識さんっ!!」


 所々ジャージが破け、血を流している識さんに僕は急いで駆け寄る。

 見ただけで明らかに軽傷ではないとわかった。


「大丈夫なんですか、その怪我っ?! それにあっちでも暁理さん達が大変で……」

「解る、視れば大体わかるから言葉にしなくてもいい。この傷もあの結界から無理やり出るための必要経費みたいなのものだ。だから気にするな」

「でも……」


 ペタンとお尻を付けて座り込む識さん。

 その様子からかなり消耗しているのが見て取れる。

 暁理さん達は識さんと合流できれば勝機があると言っていたが、今の識さんを連れて美鈴さんと戦って勝てるだなんて到底思えなかった。

 何よりこれ以上識さんに無理はさせたくないのが僕の本音だ。

 そんな僕を識さんは手招きする。


「いいか、よく聞け。あの美鈴って奴に勝つには、私じゃ無理だ。いや私一人じゃ何とか逃げきれるかもしれないが、この試合形式ではまず勝てない」

「えぇ?! じゃあ、どうしたら?」

「お前がやるんだ。あいつと互角に戦えるのはお前しか居ないんだよ」


 識さんの言葉に僕は目を瞬かせる。

 僕が美鈴さんと互角に戦えるだって?

 暁理さん達のサポートありでも出来る気がしなかったのに、そんな事が可能なのだろうか。


「今から私はキョウに残りの妖気全てを注ぎ込み、ドッヂボールの時の理事長がやったことの再現をする。だが恐らくそれだけじゃ足りないだろう。最後はキョウ、お前の意思だ」

「僕の意思?」

「そうだ。自分でその力を引き出さなくちゃいけない」


 僕は力という言葉にどきりとする。

 もしや識さんが言っているのは退魔師の力のことだろうか。

 それならば僕は……。


「嫌なら別にいい。正直私もこれ以上頑張りたくないしな。大人しく降参しようぜ」


 識さんは僕に強制はせず、だらんと寝っ転がった。

 あくまで僕の意思を聞きたいのだろう。

 僕はその言葉で線維を奮い立たせる。


「それは、絶対にダメです。僕がここで諦めちゃ、なんの為に紫雲さん達は……」


 そうだ、ここで僕が諦めてどうする。

 皆がどんな思いで僕を送り出してくれたかは、感応していたから良く分かっている。

 皆僕達の勝利を信じて疑ってなかった。

 だったらここが僕の踏ん張りどころだろう。

 僕は顔を上げ、両目でしっかりと識さんを見据える。


「じゃあ覚悟決めようぜ。お前も、私も、このまま終わらせる訳にはいかない」

「……はい!!」


 識さんは立ち上がると僕の側まで歩いてくる。

 そして少し顔を赤らめた。


「?」

「あ~っと、これはあれだ。その、なんていうかあれだ、再現のためだ。だからその、そう言うんじゃないから」


 そっぽを向きながら識さんは僕をゆっくりと、そしてどこか恐恐に抱きしめる。

 僕は識さんの柔らかな胸と髪に顔を埋めながら、その体温と妖気に包まれていった。

 とても暖かく優しい妖気。

 僕は徐々にゆっくりになっていく識さんの心臓の音を聞きながら、瞼を閉じた。


『――――――』


 ぐるぐると落ちていくような、上昇しているような奇妙な感覚に包まれる。

 でも確かに向かっている。

 目的地へと。

 回転し始めてどの位時間がたったんのだろうか。

 僕は止まったという感覚と同時に目を開いた。


「ここは……」


 上でもあり、下でもあり、白でもあり黒でもある。

 言葉では表現できない曖昧模糊な空間に僕は立っていた。

 確かなものなど何もない。

 ただ一つ、目の前に居るを除いて。


「「君は僕?」」


 僕らは同時に目の前の相手に話しかける。

 鏡に話しかけているかのように、僕らは対象的な動きで全く同じ動作をした。

 傍から見れば鏡に向かって、独り言を言っているように見えるかもしれない。

 だが僕には分かる。

 これは僕であり、今の僕とは違う僕だと。


「「僕は慰魔師/退魔師の僕」」

「「そうか、やっぱり僕か」」


 僕と僕は同じタイミングでほぼ同じ言葉をぶつけあう。

 顔も口も声も脳も心臓も共に同じ。

 ただコインの裏表のように、磁石のNとSの様に僕らには境界があるだけだ。

 だから建前や説明など必要ない。

 僕らは互いに心の奥底では理解しており、わからないことは見て見ぬふりをしているだけなのだから。


「「僕は君を認めることも、受け入れることも出来ない」」

「「でも、そんな事なんかよりも僕には大切なモノがある」」

「「だからお願いだ、僕に力を貸して/協力してほしい」」

「試合に勝つために」「美鈴さんを倒すために」


 僕らは互いに矛盾をはらんでいると分かりながら、お互いを直視する。

 見つめれば見つめるほど自分というものが溶けてなくなりそうになる。

 でも目を逸らすことはしない。

 例えどうなろうとも僕には果たすべき想いがあるのだから。


「「――――」」


 僕らは互いに手を伸ばし、その手が触れた瞬間。

 僕は入れ替わった。



 †



「どうやら……成功、したみたいだな」


 息も絶え絶えな様子で識さんは僕にそう言う。

 それもそのはず。

 あんな状態で全妖気を放出したのだ。

 座っているだけでも、相当に体力を消耗するだろう。


「はい、全部識さんたちのお陰です。お礼、何か考えといてくださいね。頑張って叶えますから」

「そういうのは、いいんだよ。私達の願いは……一つだ。――――勝て。勝ってあの女狐の鼻を明かしてくれ」

「それは勿論です。勝つのは僕、いや僕達ですから」


 僕は精一杯の笑みを識さんに向ける。

 負ける気など端からない。

 勝負事である以上、勝つ気でやるし、勝つと思っている。

 例えそれがどれだけ強い相手であろうとも、だ。


「あぁ、行って来い。結果をここで寝っ転がりながら悠々自適に待ってるさ」

「はい、楽しみにしていてください」


 そう言うと僕は全身に妖気を纏わせて駆け出す。

 時間を稼ぐという意味ではここで待ったほうがいいのだろうが、ここで戦えば識さんを巻き込んでしまう。

 それに逃げて勝つだなんて性に合わない。

 だから僕は美鈴さんの元へと向かう。

 美鈴さんを倒すために。


「――見えた」


 視界の遥か果てに美鈴さんの姿を確認する。

 遠目からでもわかる妖気は質・量ともに決闘相手中最高最強の相手だ。

 相手にとって不足なし。

 僕は辺りの空間から妖気の吸引を始める。

 他のものは目に入らない。

 今は美鈴さんだけを見つめ続けて、戦意を滾らせていく。

 集めた妖気を脚部に回すと、一気に加速する。

 置き去りにされる風景、彼女に近づけば近づくほどその底なしの妖気が纏わり付く。


「さあ、僕と本気で勝負しましょう――!!」

「えぇ、私もそうしたかったわ」


 ぶつかる妖気と妖気。

 先に仕掛けたのは美鈴さんからだった。


「さっきのやり直しよ。今度は無様に捕まったりしないでね」


 再び出現する大量の式神達。

 僕はそんなものに目もくれず、無人の野の如く特攻する。


「よいしょ――っと!!」


 迫り来る式神を踏み潰し、穿ち、投げ捨て、弾き飛ばす。

 こんな雑兵いくつ増えようとも今の僕には関係ない。

 寧ろ僕にとっては妖気を吸収できる餌でしか無いのだ。

 僕は妖気吸収によって原型を保てなくなる式神達を足元に散らせながら、美鈴さんを見上げる。

 無論美鈴さんもこれで終わるなどとは露ほど思ってもいないだろう。

 こんなものただの小手調べ以下の準備運動なのだから。


「いいわ、それでこそ私も戦い甲斐があるというもの」

「それは僕も同じですよ――ッ!!」


 僕は襲いかかってきた式神を掴み、美鈴さん目掛け投げ捨てる。

 そしてそれを空中で踏み台にし、一気に美鈴さんのいる場所へと跳躍した。

 加速する体、その慣性に乗せて拳を繰り出す。


「「――――ッ!!」」


 妖気を込めた渾身の一撃。

 だが予想通り、拳は障壁がぶつかり遮られる。

 識さんはこれを弱点を見ぬくことで突破した。

 無論僕にそんな眼はない。

 だったら僕は僕のやり方で突破するだけだ。


『――収束』


 僕は妖気の吸収能力を拳へと収束させる。

 イメージとしては吸込口の小さくなった掃除機だ。

 全体の効率からみれば大幅に吸収量が落ちてしまうが、吸収力は格段に上昇する。

 妖気吸収だけを目的とするのであれば無駄であるが、今回のように一点を突破する場合は別だ。

 元々大気中にある妖気と違い、術式として使用された妖気はそれそのものに指向性があり吸収が難しい。

 しかし指向性を上回る勢いで吸引すれば術式ごと吸収、或いは術式の劣化を起こす事が可能なはずなのだ。


「よし、これで……」


 妖気を吸収したことにより、脆くなった障壁を僕はもう一撃攻撃することで突き破る。

 透明な障壁が、ガラス片のように粉々に砕け消えていく。


「成程、その吸収能力はそういったことも出来るのね」


 障壁を突き破られたというのに、美鈴さんは涼しい顔をして新しい術式を起動する。

 それにより僕を取り囲むように四方八方から鎖が飛び出してきた。

 僕はそれを足場に更に跳躍する。

 美鈴さんが上空に居る以上、僕も飛ばなければ攻撃できない。


「逃さないわよ」


 植物の蔓のように、あるいは蛇のように執拗に鎖が僕に追い迫る。

 僕はそれを空中で体の捻りだけで避けながら、かかと落としを美鈴さんに叩きつけた。


「――っ」


 即座に貼った障壁ごと、地面に落下する美鈴さん。

 僕はまだ追いすがっている鎖を蹴り飛ばし、更に追撃に向かう。

 このまま連打し、二度と飛ぶ隙を与えない。

 先手必勝、攻撃させないことが最大の防御である。


「これなら朱やヴァーミリオンが負けるのも納得だわ。キョウくん、君は本当に強いわ」


 障壁と掌底で僕の攻撃を捌きながら、美鈴さんは後退していく。

 その度に美鈴さんの両手から夥しい数の術式が起動していき、美鈴さんを強化している。

 美鈴さんのはそれほど高くはない。

 朱さんやヴァーミリオンさんは勿論の事、クリスティナさんやシルヴィアさんにすら劣っている。

 しかし

 それも全て夥しい数起動している術式の効果だろう。

 この身体強化術がその欠点を補っている以上、その術自体をなんとかしないことには穴がないのだ。

 だから識さんは攻めあぐねていた訳だ。


「だが僕はそれを突破できる」


 先程の障壁でそれは確信へと変わった。

 妖気吸収でその術自体を剥ぎとってしまえば、僕だけが強化され続ける状況を作れる。

 器用万能であり、遠中近いずれに於いても穴のない美鈴さんの唯一の突破口なのだ。


「『自分だけが強化され続ける状況を作れる』とでも考えていそうな顔ね。そうね、このまま私が何もしなければそうなるかもしれない。でもね、キョウくんの試合を間近で見てきた私が何の対策もしていなかったと思う?」


 出した式神全てを消し、自分の妖気に還元させながら美鈴さんは笑う。

 僕はその笑みに嫌な予感を覚えながらも、手を止めない。

 両拳から術式ごと妖気を吸収し、その妖気を纏わせ叩きつける。

 一発一発毎に繊細な妖気コントロールと同時に全力で殴り続けば、当然の如く神経はすり減っていく。

 だがそれは美鈴さんも同じだろう。

 少なくとも僕は我慢比べに負ける気はなかった。


「じゃあ僕はその対策の上を行って美鈴さんに勝ちます」

「あら、頼もしいわね。それじゃあ見せてもらおうかしら」


 パンと美鈴さんが柏手を打つと同時に僕らの足元と上空に対となる巨大な魔法陣が広がる。

 今までの術式とは違う、明らかに大掛かりな術式。

 この術の規模から推測するに、美鈴さんの切り札だろう。

 そう思いながらも、僕は手を休めることなく美鈴さんに攻撃し続ける。


「雨?」


 ポツポツと降り始める水に僕は思わず手を止め、弾かれるように後退する。

 何故だかこの雨が僕にとってな予感がしたからだ。


「どうしたの、唯の雨よ?」


 美鈴さんの言葉を無視して、僕は雨の観察を行う。

 一見普通の雨だが、これは違う。

 濡れる度、僕の体から妖気が失われていっている。


「いや、それだけじゃない」


 

 辺りから妖気を吸い寄せようとしても、重くて殆ど吸い寄せれない。

 まるで雨に洗い流されているかのように、空間に満ちる妖気が足元の魔法陣へと落ちていく。

 一体これはどうしたことだろう。

 僕は困惑する中、思考を巡らせる。


「何をした、って顔しているわね。私は何もしていないわよ。それとも若しかして気の性質を知らないのかしら?」

「気の性質?」

「そう、気というものは主に三つの性質があるの。一つは流動する性質。二つ目はより濃い気へ集まろうとする性質。そして三つ目は大量に留まっていると周囲に影響を与える性質」


 人差し指を立て、説明するポーズを取る美鈴さん。

 言葉としては初めて聞いたが、原理としては何となく知っていた。

 だがそれだけでは妖気が吸収できなくなる原理がわからない。


「つまり今のキョウくんの置かれている状況で説明すると、雨の中には濃縮された大量の妖気があって、それがキョウくんの纏っている妖気に触れると、より濃度の高い雨の方に移行しちゃっているわけ。吸収できていないのも似たような理由よ。普段の気体然とした妖気ならともかく、術式として液状化して且つ超密度の妖気だと引き寄せる力より、そのまま落下する力が勝ってしまうようね」


 僕は美鈴さんの話を聞きながら辺りの妖気を確認する。

 ヴァーミリオンさんの時と違い、刻一刻と僕の周辺の妖気は削られていっている。

 そして僕の能力の要とも言える妖気吸収も殆どと言っていいほど吸収されていない。

 それもそのはず、大気に存在していた莫大な妖気も今やこの雨に吸収されてなくなっているからだ。

 一度物質化した妖気を吸収するのは難しい。

 収束すれば多少は吸収できるかもしれないが、それでもこの雨の中ではすぐに流れ落ちてしまうだろう。

 端的に言って僕は窮地に立たされていた。


「一つ聞いていいですか? どうしてこんなに気のことに詳しんですか」

「それは私が気の扱いに長ける妖魔の一族だから……。いえ、もっと分かりやすくいいましょうか」


 言葉を切り、美鈴さんは優しい眼差しを僕に向ける。

 まるで同胞でも見るかのような優しい眼差しを。

 僕は直感的に次の言葉を聞いてはいけないと察知する。

 何故ならそれは破滅の言葉だから。


「――退使


 雨音が静かに鳴り続ける中、美鈴さんはそう言って微笑むのだった。

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