第9話「もう我慢できない」
「だ、大丈夫です」
私は思わずそう答えてしまう。
キョウさんが心配そうに私を見つめている。
まだ殿方として成長しきっていないあどけない顔。
純粋で純真で穢してはいけない無垢な存在だというのに。
私は……私は……。
―――もう我慢できそうにありません!!
今直ぐキョウさんの胸に顔を埋めたい。
素肌に頬擦りしてキョウさんの匂いに包まれていたい。
それからそれから、キスをして。
果てはもっと大人な事を―――。
「…………はっ!!」
いけない。
つい道を誤るところでした。
私は首を振り、
それもこれも私がキョウさんの手に触れているからです。
慰魔師の力は妖魔の持つ暴力的な衝動を抑え込み、代わりに快楽を与えるというもの。
つまり、これさえ触らなければキョウさんの慰魔師の力も働かず、私も平静に戻るはず。
私は手を離そうとする。
「……………」
離そうとします。
「…………………」
は、離そうと、します。
「………………………」
は、離そうと……………。
――無理です。
石のように手が梃子でも動かない。
まさか私の意思がこんなにも脆弱だったなんて思いもしなかった。
でも、でも仕様が無いんです。
――だって。
「…………こんなにも気持ちいいのですから」
「――えっ?」
思わず私は心の声を口に出してしまう。
そしてそれを聞いたキョウさんの目がバッチリ私を捉える。
「―――――っ!!! な、何でも……ありま、せん」
その瞬間、私の顔は火が出そうなほど熱くなる。
恥ずかしくて、今直ぐにでも自刃したいくらいです。
でも体は言うことを聞かず、どんどんキョウさんの瞳へ吸い寄せられるように近づいていく。
理性を超え、本能がキョウさん……いえ慰魔師の体を求めているのです。
――あぁ、もう無理です。
「キョウさん………御免なさい」
護るべきあなたを、私は――。
†
「キョウさん………御免なさい」
蕩けた表情のクリスティナさんが僕の眼前いっぱいに映る。
両手を塞がれた僕に逃げ場はない。
――いや、突き飛ばしたりは出来なくはないけれど。
僕に好くしてくれるクリスティナさんを突き飛ばしたりなんて、僕にはとても出来ないし、やりたくもない。
いや、そもそもどう言う状況なのだろう、これは。
僕は状況を整理する。
クリスティナさんの足が痺れて、倒れこんできて、見つめ合っていたら、何だかすごいことになった。
両手はクリスティナさんに抑えられているし、上半身は大きな風船二つに押さえつけられいて、下半身は足と足の間にクリスティナさんの足が挟まっているし。
そして僕の頭は長くて固い何かに押さえつけられて…………ん?
その瞬間、僕は何かおかしいことに気付く。
「えっと、クリスティナさん? 僕の頭の上に硬い何か………あれ?」
僕がクリスティナさんに意識を戻すと、あれだけ近かったクリスティナさんの顔が見えなくなっていた。
そしていつの間にか、頭の押さえつけも消えていた。
その代わり、僕の目の前には巨大な圧迫感を感じる何かが二つ、鎮座していた。
――なんだろうコレ、一体どうなっているんだろうか。
「――ぎゅっ♪」
そんなことを考えていると僕は誰かに両手で抱きすくめられる。
大きなゴム毬みたいな風船が僕の顔面を覆う。
「もが――――っ?!」
――い、息が、く、苦しい。
物理的に口を塞がれ、僕は呼吸困難に陥る。
そしてそのまま僕は抱き起こされ、半ば強制的に立ち上がらせられた。
その瞬間、ガンッ、と言う衝撃音と揺れが僕を襲う。
「ぉふっ!?」
クリスティナさんが僕を抱き抱えたまま立ち上がった所為か。
足の重みは消え、僕も足が垂直に立つ。
いや垂直に立つというか、半ば宙ぶらりんだ。
足先を伸ばしてもやっと床につくかどうかの状態。
僕は今クリスティナさん(恐らく)によって宙に抱き上げられているのだろう。
「………………」
では先程の衝撃と音は何だったのだろうか?
僕は嫌な予感がした。
「ちょっ、ちょっとまっ!!」
僕はなんとか二つの球体から抜け出し、顔を出す。
魅惑の物体ではあったがいつまでもそこにはいられない。
「あっ………」
するとクリスティナさんのすごく残念そうな顔がまず視界に映る。
ちょっと罪悪感を感じる。
――ってそうじゃなくて。
僕は首を横に振る。
それに伴い、僕の顔の傍にあった二つの球体が揺れる。
「ひんっ!! キ、キョウさん……そんな激しく……」
「す、すいません!!」
悶えるクリスティナさんに僕は謝罪する。
――何をやっているんだろ、僕は。
荒い息を吐き出すクリスティナさんにドキドキしながら、僕は状況を整理しようとする。
依然として僕は抱っこされたままだ。
今僕はクリスティナさんを見上げる形でいる。
問題は僕の頭上。
僕は視線を天井へと向ける。
何か、銀色の長いものが……クリスティナさんの額から伸びていて、天井を突き破っていた。
僕はクリスティナさんの胸部をかき分け、自分の足元に視線を送る。
「そ、そんな乱暴に……」
「……………蹄だ」
僕は思わず思ったことを声に出してしまう。
本日見るのはこれで二度目だ。
――でもなんで?
ジンカノホウ?を解かないと出ないんじゃ。
僕は疑問に思い尋ねてみることにする。
「あの、クリスティナさん。ジンカノホウ?が解けてますけ……どぉっ!!?」
再び見上げると、クリスティナさんの潤んだ瞳が間近で僕を見つめていた。
それでいて飢えた肉食獣が獲物を目の前にした時のような、そんな様相にも見える。
クリスティナさんが人間を食べるなんて、あるはずがないと分かっていながら僕は少しドキッとした。
「……人化の法を維持するにはある程度の集中力がいるので、今のように興奮状態にあると解けてしまうのです」
そう言いながらクリスティナさんは、ゆっくりと僕を降ろしてくれた。
しかし、依然として僕らは抱き合ったままの状態。
――いつまでこの状態が続くんだろ? クリスティナさんの興奮状態が終わるまで?
でも一体何に興奮しているのだろうか。
僕はぼんやりと疑問に思いながらも、半ば夢見心地になりながらクリスティナさんに身を委ね続けていた。
すると突然クリスティナさんは僕の手を取り、自分の額へと導いていく。
「ユニコーンにとって角は生命と同じくらい大切です。だから私達の一族は
クリスティナさんの言葉に、僕は先ほどの決闘での出来事を思い出した。
――そう言えば僕は、その大切な角におもいっきり触って、宙に釣り上げたんだった。
僕はさっと血の気が引いていく。
もしや先程の肉食獣のような視線はそういう意味だったのでは。
「わわっ、すみません、すみません。悪気があったわけじゃ……」
必死に謝る僕にクリスティナさんは首を振り、熱に浮かされたような笑みを浮かべる。
「ふふっ、解っています。責めてなどいません、寧ろ貴方にはもっと触って欲しいのです。――――私にとって最も大事な部位を」
うっすらと涙を浮かべながら、クリスティナさんは僕に自分の角を握らせた。
「んっ…………どう……です、か?」
「えと……、すごく硬くて………すごく長い……です」
「――はうぅっ!!」
僕がそういった途端、クリスティナさんが悶える。
僕はすぐさま手を離した。
「だ、大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫……です。少し、破壊力が、ありすぎただけ……です。つ、続けて、ください」
――この行為にどう言う意味があるのかよくわからないけど、クリスティナさんはもっと触ってほしそうにしているし……。
僕は恐恐と、クリスティナさんの角を撫でる。
「―――ひゃぅんっ!!!」
「っ!!?」
僕はクリスティナさんの声にどきりとする。
でも今度は不思議と手を退けようとは思わなかった。
「…………………」
僕は無心で何度もクリスティナさんの角を撫で付ける。
固くて、それでいて血が通っているように温かい。
クリスティナさんが体を震わせる度に、角も連動してビクンと震える。
僕は擦るように、拭くように、擽るように、ゆっくりと時間を掛けて撫で続けた。
「んっ………はぅっ………ぁっ………ひぃぁっ………」
その度にクリスティナさんは熱っぽい吐息を漏らす。
僕はこの声を聞く度に、ドキドキがどんどん強くなっていく。
――でもクリスティナさんの息もどんどん激しくなって。
「っぁ………ふぁ………あっ、あっ、ダメ……………んんっ!」
僕とドキドキと、クリスティナさんの息遣いが最高潮に達した時。
クリスティナさんの体は大きくビクンと震えると、脱力するかのように僕に体重を預けてきた。
「わわ――っ!! あ、あの、本当に大丈夫ですか?」
僕はクリスティナさんを受け止める。
どこか満足げな様子に僕はホッとしつつも、何故か気恥ずかしくなった。
「……キョウさん」
「は、はい」
突然名前を呼ばれ、僕は緊張する。
「こんな角と蹄と尻尾の生えた女の子は嫌いですか?」
クリスティナさんは角を僕の頭の上に載せ、トロンとした眼で僕を見つめてくる。
「き、嫌いじゃないです。む、むしろす、す――」
「……す?」
―――ゴンゴン。
僕が言い切る前に玄関の扉を叩く音がする。
僕とクリスティナさんは同時に扉の方に視線を送った。
「キョウ、決闘のことについて少し話……が―――」
僕の返事を待たずに入ってきたくうと僕達はバッチリ視線があった。
その瞬間僕達三人の時が止まる。
「…………………あった、確かにあったのだけれど、その必要はないみたいね。その
くうの言葉に僕とクリスティナさんはハッとする。
漸くマズイ状況を見られているのが飲み込めてきたのだ。
「あっ、いやこれは、その、色々と事情が……」
「これには深い事情がありまして」
僕とクリスティナさんは部屋の真ん中で抱き合ったまま、くうに弁明する。
それを聞いて、くうの目はますます軽蔑の色に染まっていく。
――えと、えと、くう、違うんだ。
何が違うか具体的に言い出せず、僕は心の中で再び弁明をする。
だけど現実の僕は何も言えず、金魚のように口をパクパクさせるだけだった。
「随分息もあっているようで。――――――――それじゃ」
くうはゴミを見るような眼で僕を一瞥すると、聞く耳持たず出て行ってしまった。
ドアを開けっ放しのまま。
「「…………………………………」」
あまりの出来事に僕とクリスティナさんは十秒ほど、くうが出ていったドアを呆然と見送っていた。
当然だけど廊下にはちらほら人が居て、中を覗きこんでは顔を赤くして通り過ぎて行く。
「………こほん」
どれくらい人が通りすぎた後だろう。
クリスティナさんは咳払いとともに僕から離れ、人型に戻る。
「「……………」」
僕もクリスティナさんも途端にさっきまでしてきたことを思い出し、恥ずかしさのあまりお互いに目を背ける。
――どうしよう、すごい恥ずかしいし、すごい気まずい。
最早友達がどうとか言えるよう状況ではなく、僕はひたすら気まずかった。
どうしてあんなことをしてしまったのだろう。
僕は自己嫌悪で落ち込む。
沈黙を続けて数十秒。
先に言葉を発したのはクリスティナさんだった。
「わ、私とキョウさんは友達です!! こ、これはユニコーン式の慰魔師に対する親愛表現なので何も、何も問題ありません!! ですのでその……………また明日!!」
クリスティナさんは顔を真赤にしながら、早口でしゃべると部屋から矢のように出て行ってしまった。
残された僕はと言うと――。
「………友達、か。えへへ―――」
開けっ放しの扉のまま、友達という言葉を噛み締めていた。
廊下を通る人が変人を見るような眼で、部屋の前を通り過ぎながら僕の一日目の夜は更けていった。
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