第97話「五行流転」

 翌日の放課後。

 校舎から離れた位置にある森の中にある一角。

 ちょっとした広場になっている場所に僕らは集まっていた。


「今回審判をさせていただく飛鳥ひとりです。どうぞ宜しくお願い致します」


 2メートル近い体躯の飛鳥さんが、体を折り曲げ丁寧にお辞儀をした。

 普段は美鈴さんが審判をしてくれているが、今回ばかりは僕の決闘相手である。

 それ故に飛鳥さんが審判をしてくれると言う訳だ。

 対する美鈴さんは既に妖魔化し、戦闘態勢に入っている。

 溢れ出る妖気は交流戦の時以上に、強さを増しているのは気の所為ではないだろう。

 前回はアレでも手を抜いていたのか、或いは今回特別やる気があるのか。

 判断はつかないが、前回よりも苦しい戦いになる事だけは明らかだ。


「試合を始める前に一つ説明があります。今回の決闘では周囲の被害を考慮して、結界の中で戦ってもらいます。流石にお二人の力を考慮すると、人払いをしても被害が出ないとは言い切れないので」


 割と恐ろしい事実を淡々とした口調で話す飛鳥さん。

 その内容に僕は恐怖を覚えた。

 二人の力とは言うが、僕のみの力で辺りに影響が出るわけがない。

 つまりこの言葉の意味は、美鈴さんの本気が甚大な被害をもたらす事を表していると言う事である。


「キョウくん、始まる前に言っておくわ。私は

「は、はぁ……」


 僕は全身に冷や汗を掻きながら、逃げたくなった。

 退魔の力を使える僕なら兎も角、今の僕に美鈴さんと戦う力なんて無い。

 嬲り殺しが良い所だろう。


「それでは準備はよろしいでしょうか?」


 飛鳥さんの言葉と共に予め地面に用意されていた術式が起動し、大掛かりな結界が発動する。

 ほんの僅かな間に、僕らは結界の中へと閉じ込められていく。

 僕は飛鳥さんの言葉に首を横に振りたくなりながらも、何とか気力を振り絞る。

 本気の美鈴さんと決闘すれば、僕も自分の事をもう少し分かるような気がするのだ。

 その為には逃げるわけには行かない。

 僕は結界の外に皆と居るヴァーミリオンさんに視線を送った。

 ヴァーミリオンさんは僕の視線を受け、無言で頷きを返してくれる。

 僕は覚悟と決め、首を縦に振った。


「それでは始め――」


 飛鳥さんが開始の号令をした瞬間。

 結界を覆い尽くすような膨大な量の妖気が美鈴さんの体から溢れ出す。

 交流戦の比ではない、文字通り隔絶した妖気量。

 これが朱さんや識さんと同格?

 


「これは……」


 強大すぎる妖気を誇る大妖クラスの妖魔。

 その妖気はただ存在するだけで周囲に悪影響を及ぼし、環境すらも作り変えてしまう。

 それを縛る楔が、今解き放たれようとしているのだ。


現界突破リミット・ブレイク


 妖気の奔流に飲まれ、一歩も動けない僕の前で絶望の詠唱が響き渡る。

 最初から全力とは即ち、こう言う意味であり。

 そしてそれは同時に今の僕にはどうしようもない一手であった。


大妖降臨プライマル・リバース――――――――白面金毛九尾之狐』


 厳かに、静かに、それでいてどこまでも響き渡る澄んだ声。

 微かな鈴の音が祝福のように鳴り響き、主の出現を称えている。

 空間を満たす妖気は最早大妖クラスの域を超えており、それは一つの超越を意味していた。


「ここは……?」

「そうね、言うなれば、と言ったところかしら?」


 僕はに辺りを見渡す。

 僕はいつの間にか無数の鳥居が立ち並ぶ、石畳の上へと移動していた。


「そして早速で悪いのだけれど、キョウくん、あなたには負けてもらうわ」


 美鈴さんが説明するまもなく指を鳴らすと、鳥居の間の空間が歪む。

 そしてその場所がまるでダムの排出口の様に大量の水が流れ込んできた。


「なっ?! まっ――」


 僕は逃げる間も無く激流に飲まれる。

 上か下かもわからない荒波の中、僕の意識も水の底へと沈んでいくのであった。



 †



「――――」


 美鈴は鳥居の上に立ち、小規模な湖になった石畳を見下ろす。

 服装は白衣に緋袴と言う所謂巫女服。

 その上にちはやを着ており、その美貌をより際立たせる。

 これが完全妖魔化した彼女の戦闘衣装。

 伸びる九本の尾は後光の様に彼女を照らし、神の如き存在感を醸し出している。


「――来たわね」


 彼女の言葉と同時に水柱が上がり、中から誰かが飛び出してきた。

 言うまでもなく退魔師状態となったキョウである。


「いきなり水攻めとはひどいですね。それにこの水、あの時の――」


 キョウは美鈴とは別の鳥居に着地しながら、ずぶ濡れとなった己の体の調子を確かめている。

 退魔の力を使える証である妖気吸収だが、交流戦の時と同じくほぼ発揮していない。

 前回同様纏わり付く水の所為で、吸収が阻害されているのだ。


「えぇそうよ。最早雨として降らせる必要すらないわ」


 美鈴がそう言うや否や水面が盛り上がり、鎌首をもたげた龍のような姿となる。

 それが何十匹と出現し、水龍はそのまま意思を持つかのようにキョウへと突撃し始めた。


「――っ」


 キョウは素早く別の鳥居に飛び移り回避する。

 瞬間、彼の居た鳥居が衝撃により粉々に破壊された。

 だが彼がその威力に目を瞠る暇はなく、眼前には第二、第三の水龍が既に迫って来ており、止まることは許されない状況。

 また水龍一つ一つも本物の龍と見紛うサイズであり、回避は容易ではない。


「この水は厄介だけれど、それは美鈴さんも同じ。だったら近づければいい」


 彼は両足に気を掻き集め、鳥居から鳥居へ飛び移り始める。

 その背後では食い散らかさんと水龍が迫っており、ほんの僅かでも足を止めれば飲み込まれてしまうだろう。

 そもそも遠距離での攻撃手段に乏しいキョウにとって、近づく以外に勝機はない。

 勿論それは美鈴も分かっており、水龍がその進路を阻むよう迫りくる。


「よ――っと!!」


 キョウは空中で体を大きく捻り、曲芸もかくやと言った体捌きで正面から来た水龍をくぐり抜けていく。

 だがそれが出来るのも数回のみ。

 残る水龍はなけなしの気を両手脚に集めて、弾かざる負えなかった。

 幾ら彼の身体能力が高いと言っても、空中で回避行動はそうそう取れるものではないのだ。

 水飛沫で体は濡れ、更に気は減っていく。

 しかし、目的地も眼前まで迫っていた。


「さあ、美鈴さん。あの時の続きをしよう!!」

「――っ」


 一瞬の隙を突いてキョウは最後の水龍を突破し、美鈴の居る鳥居へと辿り着く。

 いや、辿


「え?!」


 突然体の制御を失い、キョウは落下する。

 目標を見誤ったわけでも、ましてや邪魔されたわけでもない。

 ただ、

 まるで何もかも幻だったかのように。

 キョウは重力に従い、そのまま水面へと落下する。


「言ったでしょ、ここはだって。ここでは私の思うがままなのよ」


 別の鳥居に座りながら、美鈴は淡々と言葉を吐く。

 キョウはそんなことはありえないと思いながらも、濁流のようにうねる水に流される。

 流石の彼も濁流の中で身動きを取るのは難しく、姿勢を安定させるだけで精一杯のようだ。


「――だったらそれ事消してしまえばいい」


 キョウは濁流に飲まれながらも、思いっ切り辺りの水を飲み込み始める。

 前回のように中から妖気を吸収しようと言うのだ。

 その様子を水上から眺めながら、美鈴が口元を釣り上げる。

 


『水生木』


 美鈴が術式を起動させた瞬間。

 キョウに異変が起きる。


「うっ?! うぉえっ?!」


 異物が気管に入ったかの様に、えずき始めたのだ。

 水中で苦しむキョウは全身の力を振り絞って、なんとか鳥居の柱へと辿り着く。

 そこで漸くキョウは自分に起きた異変を理解した。


「ぐっ?! 何だ、これ……」


 地上に出てキョウは己の口に手を突っ込む。

 そこからは何故かが伸びてきており、それが異変の原因であった。

 キョウは己の口の中から伸びる幾つもの蔓を引きちぎる。

 蔓はキョウの口の中だけでなく、肌に根を張り次々と成長し始めていた。

 そして養分を吸収するかのように、キョウの体から気を吸い上げる。


「ダメよ、よく分からないものを口に入れちゃ。特に相手の妖気がタップリ含まれたものは、ね」


 美鈴はその様子を笑いながら見下ろす。

 これら全ては美鈴の術式によって起こった出来事だ。

 水は植物に養分を与え、木を生む。

 五行を流転させ、性質を変換させたのだ。

 前回美鈴は手がなかったわけではない。

 ただ、慰魔師を傷付けてはならないと言うルール上しなかっただけなのだ。


「でも、水と違ってこんなもの、簡単に引き剥がせます」


 キョウは次々と巻き付いてくる植物の蔓を毟り取っていく。

 その言葉の通り、不定形の水よりも個体である植物のほうが取り除くのは簡単だ。

 違いがあるとすれば水とは違い、この植物は気を吸い成長するという点だろう。


「あら、そっちばかりに気を取られて大丈夫かしら?」

「――っ!!」


 足元から次々と襲い掛かってくる水龍に、キョウは大きくジャンブせざる負えない。

 その際、多少の飛沫が足に掛かる。


「飛沫から更に植物が――?!」


 飛沫を浴びるだけでも増え続ける植物に、キョウは事の厄介さを改めて認識する。

 直撃は勿論の事、掠るだけでもキョウの妖気は大きく削られ、更にはそこから生える植物によって体内の気すら奪われるのだ。

 逃げる事だけに優先すれば植物が剥がせず、植物を剥がすことに気を取られて水龍を喰らえば、ますます植物が増える。

 キョウは悪循環の真っ只中に居た。


「ははっ、ほんと酷いですねっ!!」


 キョウは掻きむしるように自分の肌を引き裂きながら植物を剥がす。

 半端に引きちぎっても増え続ける以上、根本から刈り取るにはこうするしかないのだ。

 すぐに水龍が襲ってくるが、キョウは襲われる方向を予知していたかのように見ないで回避する。


「でも固体化したせいで剥がしやすくなっていますし、何より僕の体について水を媒体にしているから妖気吸収能力が戻り始めましたよ?」


 キョウは濡れていない部分から大気中の妖気を吸収する。

 前回とは違い、雨ではないのだ。

 下の湖によって妖気は薄くなっているが、大本である美鈴の妖気の量と濃度が桁違いなこともあって、さほど支障なく吸収出来始めている。


「あ、後千切った蔓も吸収を収束すれば回収できますし、水だけのほうが良かったんじゃないですか?」


 キョウは千切った蔓を吸い潰しながら、美鈴に問いかける。

 美鈴はその言葉に返事をすること無く、術式を発動させる。


『木生火』


 その瞬間、キョウの全身が燃え上がった。

 水が木となったのと同様に、木を火へと変換したのである。

 それにより蔓の僅かな欠片が次々と発火し、燃え広がっているのだ。


「――っ?!!!!!!!」


 咄嗟の事態にキョウは辺りに転がり火を消そうとする。

 だがこの火は口の中からも出ている為、転がる程度では消えず、地獄のような痛みがキョウを襲う。

 水辺に飛び込めばこの火は消えるかもしれないが、それは即ち詰みを意味する。

 もう一度水を浴びる事態になれば、次に変換される火はこの程度では済まないからだ。

 無論この好機を彼女が見過ごすわけもなく――。


『火生土』


「むごっ?!!!」


 次に美鈴が術式を発動させると火は全て土に変わり、キョウの体を覆い尽くす。

 土は雪だるまのようにキョウを中心に次々と膨らんでいく。

 そしてそれが小さな小屋並みの大きさに成長すると、急激に圧縮される。


「ぐぉぇ?!」


 突然プレス機に掛けられたかの様な衝撃を受け、キョウは血を吐く。

 キョウが普通の人間なら、間違いなく全身複雑骨折及び内臓破裂で絶命していたであろう攻撃。

 勿論キョウの頑丈な肉体でも無事ではなく、筋肉は断裂し、骨は音を立てて軋んでいる。

 そこへ最後の仕上げとばかりに美鈴は更に術式を起動させる。


『土生金』


 その効果により土の中に埋まったキョウの周りの土が次々に金属へと変化していく。

 そして出来上がった金属製の磔にキョウを埋め込んだ。


「この程度では降参なんてしないわよね? 勿論失神なんてのも」


 身動きが取れず、血を吐いた状態で沈黙しているキョウの前へ美鈴は姿を現す。

 現在彼は、全身に火傷・打撲・骨折とかなりのダメージを負っている。

 状況は見るまでもなく明らかで、このまま何もしなくても美鈴が勝ちそうな勢いだと言うのに、彼女は手を緩めること無く新たな術式を起動させた。

 全ては確実な勝利の為に。


「流石のキョウくんも心臓に直接電気を流し込めば、気を失うわよね?」


 そう言うや否や、美鈴は超高電圧の電気を纏った手をキョウの心臓へ叩き込む。

 逃げる事はできず、発生し続ける雷を前に防御すらも意味しない。


「がっ――――――?!!!」


 強烈な電撃にキョウの体は痙攣する。

 いくら頑丈な体だからといって、心臓の鼓動を掻き乱されて平然と出来るわけがない。

 それでも美鈴は手を緩める事無く、創り出したいかずちを叩き込み続ける。

 やがて――。


「――――ぁ」


 彼は停止した心臓と共に完全に脱力し、意識諸共崩れ落ちるのであった。

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