第31話「天災」
キョウの部屋で起きた騒動より少し前。
黒灰色の髪を揺らしながら、一人の女子生徒が屋上で黄昏れていた。
彼女の名は咲恋。
立場的なもので言うのであれば前生徒会長で、この学園の御隠居的な存在。
人物像で言うのであれば温厚で慈愛あふれる聖母のような人物、と彼女を知る生徒は言うだろう。
事実彼女はその評通り、模範生として学校で通っている。
そんな彼女が日も暮れたこの時間に、ただ一人佇んでいればそれは絵になると同時に、不思議な光景に映るに違いない。
しかし、その評だけが彼女の全てといえば、それは当然誤りであり。
その行動も思いも、理由があって為されているに過ぎない。
「――――――」
彼女は無言のまま、風景を見つめ続ける。
その様は目に映る全てを愛でているようにも見えるが、彼女の瞳からはその思惑を推し量ることが出来ない。
蝶よ花よ、と愛でられた深窓の令嬢様な見掛けとは裏腹に、どこか老獪な雰囲気が滲み出ているのがこの咲恋という人物の特徴だろう。
彼女は今、楽しげに或いは何かに焦がれるように、屋上を見つめている。
恋人との逢瀬を待ち望む思春期の少女のように、若しくは片思いの異性の足跡を辿る乙女のように。
何時までそうしていただろうか。
ある時、咲恋はふと何かに気付くように、屋上の片隅へ視線を送った。
まるで悪戯をする子供を見つけたような目つきで。
「私に何か用ですか?」
微笑みと余裕を顔に貼り付けたまま、咲恋は優しく問いかける。
しかし、視線を向けてもそこには誰も居ない。
能力で透明になり、隠れているとかそう言う話ではなく、そこには何も存在してはいなかった。
では、何者も居ないかといえば、それもまた違うと言えるだろう。
何故ならもう既にそこには何かが居る。
依然感知も視認も不可能だが、何かが出現したのは確かだ。
矛盾する話ではあるが、事実として並べるのであればソレは咲恋の発言によって出現したと言うのが正しいだろう。
『――――』
何者かがそこに出現すると同時に、咲恋に向けて攻撃が放たれる。
加減を度外視した、純粋たる殺意の攻撃だ。
いや、殺意そのモノの概念といったほうがいいのかもしれない。
なぜならその攻撃は見えず感じず、それでも確かな必殺の攻撃として放たれているのだから。
「あらあら、随分とやる気の方が来たようですね」
見えない攻撃が咲恋に当たる瞬間、咲恋の姿が掻き消える。
『――――――』
ぐるんと、攻撃をした者の眼が動く。
攻撃は屋上の一角に当たり、その辺り周辺が根こそぎ消滅する。
咲恋はそれを離れた位置より見守っていた。
余裕の表情は今も普遍で崩れる様子がない。
敵の姿も攻撃も一切見えず感じないというのに、まるでそうなることが当たり前のように咲恋はその場に君臨し続ける。
「姿を見せてはくれませんか? 戦うにしても、話し合うにしてもお互いに顔を見てしましょう、ね?」
こんな状況だというのに、咲恋はパンと手を叩き、良い提案があるとでも言うように言う。
攻撃者からすれば、狂気としか思えない言葉だろう。
出てこいと言われて出るものは居ない。
だが、しかしその条件は飲まれる。
いや、飲まさせられたというべきか。
「――――――」
虚空より漆のように綺麗な黒髪に、血の様な真紅の瞳の女子生徒が出現する。
全身から天と地、全てを飲み干すような妖気を立ち上らせ、周辺の生物全てが発狂しそうなレベルの殺気を振りまいていた。
それは人の形をした別のナニカである。
その力、その身から発せられる殺気の凄まじさに、今の彼女を見たものは口を揃えてこう言うだろう。
――『天災』と。
曲がり間違っても挑むという気概を起こさない、神々しさと禍々しさが融合した妖魔がそこに降誕していた。
「………………ちっ」
それは他でもない、つい先程までクリスティナや朱とともにここに居た、くうだった。
その顔は一杯食わされたとでも言うように、少し苦々しい顔をしている。
あくまで無表情な彼女にしては、程度のレベルではあるが。
「初めまして、と言うべきなのでしょうね。私の名前は咲恋、以後どうぞよろしくお願いします」
津波のように怒涛にその身に降り注ぐ大量の殺気を受けながら、咲恋は悠然とスカートを持ち上げ、挨拶をする。
柳に風、糠に釘といった具合に、どこ吹く風だ。
くうを『天災』と評すのであれば、同じく彼女も『天災』なのだから、それは至極当然の出来事だろう。
ここに人の形をした二つの災害が対立する。
「――――――」
くうはそんな咲恋を見ながら、更なる妖気を開放する。
ただ淡々と敵を殺すために。
上限など無いように、開放する妖気の桁は跳ね上がり続ける。
溢れ出る妖気は空間を歪ませ、現実世界ごと軋ませていく。
「以後はない。お前はここで私が殺す」
くうは咲恋に手を
その瞬間、先ほどの十倍も大きな殺意の攻撃が咲恋目掛けて放たれた。
当然くうが姿を見せたからといって、攻撃は見えるようになっていない。
原理は不明だが、それは一切の干渉を跳ね除け標的を消し飛ばすのだ。
コレを前に攻撃も防御も無意味である。
遮るものがあろうとなかろうと差異無くソレは消失させる。
故にここで取る選択肢は一つ――。
「どうしてでしょうか。理由を聞かなければ私もわかりません。どうか理由を教えてくれませんか?」
咲恋は先程と同じく一瞬で姿を掻き消えさせると、別の地点に現れていた。
くうの攻撃に触れた校舎の一部が、跡形もなく消し飛ぶ。
単純にワープできるからと言って、普通こうはならない。
くうの攻撃は見えず感じられず範囲すらわからない。
突然出現する死の概念其の物である。
だというのに、咲恋にはまるで全て分かっているかのごとく回避してみせている。
数にしてみればそれはたった二回。
なるほど確かにそれは偶然かもしれない。
だがそれを偶然とは決して言い切れない何かが、咲恋からは発せられていた。
「……どうして、アイツに呪いを掛けた?」
無理やり口を開いているような歪さで、くうは言葉を口にする。
その際に無数の消失が咲恋を襲う。
だが咲恋は意に返さず、ワルツでも踊るかのように優雅にステップを踏み回避してみせた。
「ふふっ、ここは何のことでしょう、と誤魔化すのが正着なのでしょうが、アナタが相手だとそうもいきませんね。私の存在自体を見つけられたのはあの『眼』のおかげでしょうか?」
咲恋は楽しげに、何もない虚空のある一点に視線を向ける。
そこは日が落ち、星星が見え始める黄昏時の空。
何の変哲もない風景だろう。
しかし咲恋は、そこに在る何かの存在に本能的な畏れを抱きながらも、それに向けてニッコリと笑ってみせる。
「質問しているのはこっちが先。お前が質問しろといったのに、それを質問で返すのは筋が通らない」
「あぁ、確かにそうですね。ごめんなさい、これはうっかりしていました」
舌を出し、咲恋は可愛らしく謝る。
あざといと分かっていながらも、その仕草は見るものを魅了するだろう。
勿論それは相手によっては、の話だが。
「――っ」
その瞬間、咲恋のいる場所が円柱状に消滅する。
だが、やはりというべきか。
既に咲恋の姿は別の場所へ移っていた。
「それにしても呪い……ですか。おかしな事を言うのですね」
くうの攻撃など全く意に関していないという様子で、咲恋は人差し指を己の顎に添える。
「私とアナタから見ればあれは祝福だと思うのですが……。そうは思いませんか?」
ニッコリと微笑む咲恋。
その瞬間――。
『――――――』
咲恋がそう言い切ったその瞬間。
くうの妖気が天を衝くかの如く跳ね上がる。
先程までの時点ですら、クラス中の妖魔の全妖気を足しても遥かに及ばないレベルであるにも関わらず、更にギアを上げれるのだ。
コレを天災と言わず、何を天災と言うのだろうか。
そして変化したのは妖気だけではない。
「――――っ」
まるで禁句を口にされたように、くうの表情が変化する。
今までのような無表情ではなく、憎悪と憤怒の相を過不足無く混ぜたようなそんな表情に。
許さない、赦さない、ユルサナイと赫怒の念が辺り全てを塗り替えていく。
辺り一面はあまりの妖気の凄まじさに、地響きが起こり始めた。
「あらあら、これは地雷を引いてしまったようですね」
のんきな口調の咲恋だが、事態はそんな軽いものではない。
噴火の前の火山のように、地震の前のプレートのように、今のくうは『天災』を巻き起こす前段階の状態だ。
最早発動した以上止める
だがそんな手緩い事を彼女が許すはずもなく、彼女は一切の暇も隙も温情も与えず全てを消失させるつもりだ。
大した準備も許さず、破滅の『天災』は解き放たれる。
「黙れ、お前の都合で私を語るな――ッ!!!!!!」
くうが咲恋に吠えると同時。
咲恋のいた場所、いやある地点を中心に学園の敷地の上空ほぼ全域が一瞬で消滅する。
慈悲はなく、運良く逃げれる場所などもない。
一切のタイムラグ無しで、彼女は塵一つ残さず綺麗サッパリと全てを消し飛ばした。
間違いなく、『天災』と呼ぶにふさわしいといえる光景。
もし、咲恋の能力が空間転移で適当な場所に逃げていただけなのであれば、これで間違いなく死んだであろう攻撃。
つまりこれを避けれるということは、咲恋が何らかの手段を用いて攻撃を感知できていることの証左にほかならない。
「駄目ですよ、力を出しすぎてしまっては。私達の力はこの箱庭の中では強すぎるのですから」
ほぼ全域が消滅したというのに、咲恋の声は止まらない。
そしてその声は意外な所から発せられ続けている。
先ほどの攻撃は屋上周辺の空間全域をほぼ網羅しているが、一箇所だけ安全地帯が存在した。
咲恋は屋上の唯一と言っていい安全地帯の中に逃げ込んでいたのだ。
それは即ち中心であったくうの側である。
今二人は、息がかかるような距離で互いに見つめ合っていた。
「…………くっ」
至近距離で腕を捕まれ、くうは奥歯を強く噛む。
キョウを拘束できる程の膂力を誇るくうの腕が、咲恋に軽く握られているだけでぴくりとも動かないのだ。
自分の親以外に生まれて初めて力負けした事に、くうは動揺を禁じ得ない。
だが心と体は別の如く、動揺など微塵も見えないくらいの速度で、くうはもう一方の腕を咲恋に向けて振るう。
「アナタのお母様の復元能力にも限度があります。どうか、これで痛み分けにしてはくれないでしょうか?」
もう一方のくうの腕すらも軽く受け止めながら、咲恋は虚空の方角に視線を向けながら提案する。
そこには何も見えない。
そこには何も感じない。
だというのに咲恋はそこに在る何かに最大限の敬意を払い、止めるように提案する。
まるでこの先の展開がどうなるか分かっているかのように。
「「………………」」
赤子の手を握るように受け止めている咲恋と、全力で攻撃しているくう。
どう見ても膠着しているとは思えない光景だが、両者ともに動けないでいた。
そしてその膠着を破ったのはくうからだった。
「………………お前の目的を教えてくれたらここは一旦引く」
両眼を見開き、動作・思考・感情の一欠片すら見逃さないというように、くうは咲恋の全てを視界に入れる。
針の筵より鋭い視線に晒されながらも、やはり彼女の余裕の表情は消えない。
「私の目的ですか? 簡単な事です、嘗て手に入れることができなかった巫女が欲しいだけです。あぁ、勿論独占する気はありません。――――――アナタ達のようには、ね」
「……………………」
皮肉を込めた咲恋の物言いに、くうは黙る。
無表情のその顔は、普段より濃い闇に覆われていた。
しかし約束は果たす意思はあるのか、あれほど辺りに充満していた殺気は跡形もなく消え失せていく。
「そう、精々腕を磨くことね。そして次同じことがあれば、今度は止めない」
そう言い残すと、くうは来た時と同じく忽然と虚空へと消える。
後には廃墟となった屋上と、咲恋が一人ぽつんと残された。
「――流石に彼女をからかうのは、少し骨が折れましたね」
その姿が完全に消えるのを確認してから、咲恋は大きく息を吐いて脱力した。
間隙の
第三者から見れば、どう見ても勝利者は彼女に見えたことだろう。
しかし終始主導権を握っていたように見えて、その実綱渡りをし続けたのは彼女の方だ。
何か一つ間違えば腕や首が飛んでいたのかもしれない。
それだけ
咲恋が本気を出しているならばともかく、遊んでいて優位に立つなど博打紛いの方法でもない限り不可能なのだ。
それを実行し切る技量を含めて彼女の実力ではあるのだが、それはくうも同様である。
たかが博打程度の出目で、戦局を決められるほど彼女は甘い存在じゃない。
両者は同格ゆえに、全力でぶつかり合えば均衡しか有り得ないのだ。
「けれど、遅かれ早かれ宣戦布告は必要でしたので、これは上々というべきでしょう」
修復が始まっている屋上を見ながら、咲恋はポツリと呟く。
少し
彼女にとっては漸く始まったのだ。
「あぁ、待ち遠しいですね。私達の……いえ、私だけの花嫁さん。どうか待っていてください、必ずあなたを手に入れてみせますから」
咲恋は何時までも、何時までも屋上の風景を愛おしそうに眺めているのであった。
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