第93話「昨夜はお楽しみでしたね」

 朝起きると昨日の出来事の痕跡は嘘のように消え失せていた。

 識さんは寝る前と同じジャージを着ていたし、湿ったシーツなどもなく綺麗さっぱりしている。

 僕は昨日の出来事は夢だったのではないかと思いながら、日課である朝のランニングを終えて、部屋に戻る。

 部屋を出る前は識さんも美鈴さんもまだ寝入っていた。

 時刻は日の出前なので当然と言えば当然である。

 あれから数時間、日は昇り流石にもう起きていると思いきや部屋に戻ると識さんとピーちゃんはまだ寝ているようであった。


「識さんまだ体調が悪いのかな? それともやっぱり昨日の事は……」


 僕は識さんを心配しつつ、一先ずは掻いた汗を流そうと浴室に向かう。

 汗に濡れたTシャツを脱ぎ、ズボンを降ろそうとして僕はふと違和感に気づく。

 何者かの気配がするのだ。

 それもこの先の浴室から。


「――――――」


 僕がその先に視線を向けた瞬間。

 ゆっくりと扉が開く。

 そして中から使用者が出てきた。

 中に居たのは当然ベッドに居なかった美鈴さんである。


「み、美鈴さん?! あ、あのこれはその……」


 僕は咄嗟に言い訳をしようとした。

 お風呂上がりと言う事で、現在その身に何も纏っていないからだ。


「………………」


 しかし美鈴さんは僕に気づいていないのか、何かをブツブツ呟きながらゆっくりとこちらに足を踏み入れてくる。

 金糸のような髪が水に濡れてキラキラと輝き、プロポーションのいい肢体に張り付いている。

 僕はその光景を素直に綺麗だと思いつつも、その足取りに言いようのない恐怖感を覚える。

 何と言うか、一言で言うのであれば足取りが恐竜なのだ。

 両手をだらんと伸ばし、前傾姿勢でノシノシと歩いている。

 水を含んだ九本の尻尾はその度に揺れ、チラチラとおしりが見え隠れし、僕は思わず目を逸らす。


「生徒会の仕事……朝の挨拶……書類報告……クラスへの手回し……キョウくんの調査……」


 美鈴さんはブツブツ呟きながら、大量の術式を展開する。

 それによりみるみる体は乾いて行き、見えない手が次々と美鈴さんの服を着せていく。

 その光景に僕は唖然としつつも、見えそうになる際どい部分から視線を足元へ向けた。


「………………」


 結局美鈴さんは僕を一瞥すること無く、そのまま洗面所を出て行った。

 今のは何だったのだろうと思いつつ、僕はそのままお風呂に入る。

 数分後、魂の叫びのような悲痛な絶叫が聞こえてきたのはきっと僕の気のせいではないだろう。



 †



「……あ~、糞うるさいな」


 識は聞こえてきた悲鳴により目が覚める。

 長く量の多いもっさりヘアーは至る所に寝癖がついており、識はそれを面倒くさげにかき上げながら体を起こした。

 勿論先程の悲鳴は美鈴のものだ。

 識はしょぼついた眼をその方へ向けながらも、大きく欠伸をする。


「やってしまった、最初の朝にして早速やってしまった~~っ!!」

「別に朝弱いことくらい言えば済む話だろ」


 朝から項垂れている美鈴の姿を見て、識は大凡の状況をその特異な瞳で理解する。

 『一を見て十以上を識る事の出来る能力』

 生まれつきその能力が備わっている識にとって、この程度の状況を理解することなど容易いことであった。


「私には年上としての威厳とプライド、そして女としての意地があるの。女を捨ててるあなたと一緒にしないで」

「へ~、へ~、どうせ私は女を捨ててる喪女だよ。そんな喪女が意見して悪うございましたね」


 識は項垂れている美鈴の横を通り過ぎ、洗面所で顔を洗う。

 隣の浴室ではキョウが24時間湧いているジャグジーを使っていたが、識は極力そちらに意識を傾けないようにしていた。

 見ればどの様に入浴しているか把握できてしまうからだ。

 そしてそのまま歯を磨き始めた時――。


「――昨夜はお楽しみでしたね」

「ぶっ――っ?!」


 ぼそっと耳元に聞こえてきた言葉に、識は思わず吹き出す。


「お? もしかして記憶あるのかなぁ? そりゃそうだよねぇ、あ~んな事されちゃ、当然覚えているよねぇ~」

「な、何の話だ?」


 急に背後に出現した輪廻に驚きつつ、識は振り返える。

 識はだ。

 当然身に覚えがない出来事であろうと、痕跡が残っていれば何があったか識る事が出来る。

 そんな狼狽えている識に輪廻はフレンドリーに肩を組む。


「なぁなぁ、昨日アレだけムラムラしていたのに今朝はすっきりしてるんだぜ。おかしいよね? おかしいよな? その眼で実物見なくても賢い白澤様ならもう分かっているんじゃないかなぁ?」

「じ、時間経過で収まったんだろ?」

「アレが時間経過なんかで収まらないくらい分かってるだろ? YOU何があったか認めちゃいなYO」


 朝からテンションを上げつつも、どこか怒っている様にも見える雰囲気で輪廻はしつこく識に詰め寄る。

 その度に識の顔はだんだん青褪めていく。

 考えないようにしていても、その能力が答えを出し続けるのだ。


「だ、だから私は何も知らないって。いい加減離れろ」

「へ~、そういう事言っちゃうんだ。誰がしたと思っているのかなぁ?」

「……嘘、だよな?」

「いや~最近の喪女って凄いわ~。気になる男の子を腰の角で捕まえて抱枕にした挙句、自家発電の道具にして最後はぶっかけフィニッシュってレベル高いわ~」

「あ……あ……」


 棒読みな輪廻の言葉に、識の顔は青褪めるを通り越して血の気が引いて真っ白となった。

 普通に考えれば荒唐無稽な与太話だろう。

 だが、識の眼はそれが冗談でも嘘でもない事を判別できる。

 全身に汗を掻きながら後退る識に、輪廻は止めとばかりにニッコリと微笑んだ。


「後、全裸で寝るのは別にいいんだけどさ、起きたらパンツくらい履いたほうがいいぞ。あたしが昨日着せたのはジャージだけだから」

「ああぁぁぁ――――――ッ?!!!!」


 輪廻がそう言った瞬間、本日二度目の絶叫が部屋の中に響き渡るのであった。



 †



「わ~、凄い広いです」


 僕は美鈴さんに連れられて大きな教室へと足を踏み入れる。

 普段の教室とは違い扇状の階段のような席配置になっており、見るだけでも圧倒される。

 ここが今日から僕達の教室だと言われて、僕は期待に胸を膨らませる。


「ここは本来特別な講義などでスペースが必要な時の為の場所なのだけれど、流石にこれだけ人数が増えるとここしか使える場所がなくてね」


 美鈴さんはそう言いながら僕を一番前の席へと誘う。

 今教室には内外含めて普段のクラスの倍近くの人数がいる。

 これはそれ故の特別措置だそうだ。


「――今まで慰魔師おとこの子に言い寄られても全部断っていた美鈴さんが選んだ子があの子か」

「ん~、確かに顔は整ってるけど……」

「もしかして美鈴さんって年下好き?」

「誰だアイツ? 一年か?」

「なんでアイツばっかり~」


 一歩進む度にヒソヒソと声が聞こえる。

 向けられる視線は矢の様に僕の体中に突き刺さり、緊張で顔が真っ赤になった。

 そんな僕を安心させるためか、美鈴さんは僕の手を握る。

 暖かな感触が掌からじんわりと伝わってくる。


「大丈夫よ、今は私がキョウくんのパートナー。いいえ、今だけじゃない、先輩として生徒会長として、そして退魔師あなたの良き理解者として私が護ってあげるから」


 そう言うと同時に美鈴さんはその身に溢れる妖気を開放する。

 威圧的でも高圧的でもない。

 言うなればそれは耳障りのいい音色のように皆の胸に飲まれていく。

 その力強くも優しい妖気に皆は一斉に口を噤む。

 こんな平和的な芸当ができるのは妖気の扱いに長ける美鈴さんだけだろう。


「ね?」

「あ、ありがとうございます」


 優しく微笑みかける美鈴さんの笑顔に僕の心は安らぐ。

 そんな僕らに横槍を入れるように、別の声が上空から響いた。


「なんじゃ、なんじゃ、イチャイチャを魅せつけるために一番前の目立つ席を取ったのかや? 生徒の模範となる生徒会長としてはちとやり過ぎではないか?」


 ニヤニヤと愉快そうに笑いながら天狗のお面を額に付け、団扇で僕らをまるで冷やかすように仰ぐ女子生徒。

 プカプカと浮かびながらそこに居たのは天狗の若さんだった。


「別に見せ付けるためにこの位置をとったわけではないわ。それにここは慰魔師と妖魔の学校よ? 模範というのであればこちらのほうが正しいんじゃないかしら?」

「何じゃつまらん。赤面でもしてくれたらからかい甲斐があったというものを」


 若さんはつまらなそうにしながら、何故か僕の直ぐ側に着地する。

 困惑する僕を他所に、若さんは僕の耳元へ顔を近づけて行き、そっと囁く。


「……どうじゃった、ベッドでの美鈴アレの抱き心地は」

「? 美鈴さんには抱かれていませんが」


 僕がそう言うと、若さんは驚いたように口を開ける。

 識さんのはもしかしたら夢だったかもしれないが、少なくとも美鈴さんに抱っこされていないのだから嘘ではない。


「何と?! まさかあの白澤の娘に先を越されてしまうとは……。美鈴は何でも出来る風を装ってはおるが、この手の事には疎いからのぅ。今夜巻き返せればよいが」

「?」


 クエスチョンマークを浮かべる僕を他所に、若さんは憐れむような視線を美鈴さんに向ける。

 その視線を受けて美鈴さんは笑顔で青筋を立てた。


「あんまりいい加減なこと言っていると怒るわよ、若~」

「おっと、雷が落ちてはかなわん。儂は退散させてもらうぞ」


 そう言うと若さんはどこかへと消えていく。

 僕はなんだか狐につままれた気分になりながら、始業のベルを聞くのであった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る