3.退職届け


   3



 それから僕とダークちゃんは真面目な話から一転して会話を続けた。会うことの出来なかった一年間に起きた変な事件や変な人との関わりや面白いことについて散々に積もる話を消化していった。


 僕は勇者として【ズミナー共和国】や【テリアン帝国】を旅していた。一時的にそちらの国を拠点とする事も多かった。だから【ライネルラ王国】との文化の違いや人々の性格の違いなんかについて語った。


 ダークちゃんはダークちゃんでいまは家業を継いで錬金術師として魔道具のクラフトなどを職としている。だからそこに来る変なアイテムの話とか変なお客さんとかの愚痴を話していた。


 なんだかんだで合計して三時間くらいは語り合ったのではないだろうか?


 昼間に合流して飲み始めたはずなのに気がつけば夕陽が世界の影をぐんと濃くする時間帯になっていた。客層も変わっていた。そして僕とダークちゃんは酔っ払って酒場を出る。


 ああ。夕焼けのなんてまぶしいことか。


 そうして夏のぬるい風を浴びながら僕は酔ってぐだぐだに溶けた頭を急速に冴えさせていく。というのもこれでも【原初の家族ファースト・ファミリア】においてに僕はある。だからどんな状況下にあっても頭はクールにさせられるようになっているのだ。



「じゃあ先輩、また。……急にいなくなったりしちゃダメっすよ? 寂しいんで」

「もちろん。どこかにまた行かなくちゃいけないってなったら、必ずメッセージ・バードで連絡するよ」

「メッセージ・バードぉ? 違うでしょ先輩。ちゃんと直接に顔を合わせてお別れするんでしょ! このダークちゃんをなめてるんすか? 先輩にとって私ってそんな軽い存在なんすか!」

「違う違う。間違えた間違えた。そうだね。必ず会ってお別れする。うん。ばいばい」

「えーやだ! 会ってお別れはめっちゃ寂しいじゃないっすか! 普通に悲しくなっちゃうじゃないっすか! なんでそんなことも分からないかなー先輩は! 乙女心ってのがまったく分かってないっすよ!」

「うわあ面倒くさい。酔ったダークちゃんマジでめんどい!」

「なんすか!?」



 ぐわあ! と詰め寄ってくるダークちゃんをいなすように僕は彼女を優しく抱擁して落ち着かせる。それから背中を向けて彼女をおんぶに導いた。そのまま住宅地まで運んでいく。


 人気ひとけの多い通りを歩くときにはラズリーに感謝した。恐らく王国、いや世界中を探してもここまで精度の高い気配遮断の魔術を掛けられる使い手っていうのはいないだろう。すべてはラズリーの才能と努力による賜物である。本当に感謝。


 そして一年前と変わらないダークちゃんの一人暮らしの家まで彼女を帰してから僕はまた【王都ミラクル】の中心地まで戻る。その足で冒険者協会へと向かうことにした。


 冒険者協会。


 僕が勇者として籍を置いているところ。


 なにをしに行くのか?


 というのは決まっている。



 ――僕はもうかれこれ五年以上も悩み続けた。十八歳のときから現在地の二十三歳まで。悩みに悩みに悩み続けてきた。なぜならすべての始まりが僕のイタい勘違いであると僕は自覚していたから。僕は勇者という輝かしい職を背負っていい強者ではないのだ。優秀な親友達の上に立っていい冒険者でもないのだ。それこそ十七から十八まで仕事として経験していた事務作業とかの方が身の丈にあっている人間なのだ。安全な仕事の方がいいのだ。安定した仕事の方が性に合っているのだ。



 これは逃げとかではなく向き不向きの問題でもある。


 僕は冒険者協会の頑丈そうな両面扉を前にして呼吸を落ち着かせる。それから腰に巻き付けていたサバイバルポーチを漁って綺麗な封筒を取り出す。封筒の表題は明確だ。そこには『退職願い』の文字が大きく書かれている。その四文字を書くのには大きな葛藤があった。それはまさに五年間の悩みの集大成であり同時に結論と言えるだろう。


 一年ぶりに故郷の王国に戻ってきて、僕はようやく腹を決めた。


 ――僕は勇者を辞める。

 ――僕は勇者を退職する。


 考える。その後の人生を。たぶん四人の親友達とは離ればなれになってしまうだろう。僕はともかく彼女たちは優秀だ。それになにより彼女たちは冒険を心の底から楽しんでいるようなところがある。そして王国が彼女たちを手放すとも思えない。


 僕よりも優秀な冒険者をリーダーに据えればいい。その冒険者を勇者とすればいい。なんだかんだで上手く冒険を続けていってくれるはずだ。そして魔を祓い邪を穿うがち、世界の安全と安心を保証してくれるだろう。


 ちなみに彼女たちにはなにも言っていなかった。変なことを言って心を惑わそうとも思っていなかった。退職に関していえば相談は悪手なのだ。自分自身で決めた方がいいというのはたぶん勇者や冒険者に限らない。他の職種でも同じだろう。


 さて。



「――『解けろ、魔術』」



 呟くのはラズリーに指定された魔術解除の言霊ことだまだ。僕自身には感じ取ることが出来ないがたぶんそれで気配遮断の魔術は解除されたはずだ。


 そして僕はまた一息つく。胸がやけにドキドキしているのを感じる。焦燥感にも似た感情を抱いているのを自覚する。しかし自覚出来ればそれを落ち着かせることも容易だ。そして僕はすべての感情を制御してから扉を開けた。


 瞬間――冒険者協会にたむろしている冒険者すべての視線が僕に突き刺さる。次いでその視線は驚きに変わった。ざわめきがほんの僅かに起こるがそれはやがて沈黙に変わる。


 慣れた反応だ。いや。すこし過剰だろうか? とはいえ一年ぶりだしな。こうして驚かれたりするのは……でもちょっとやっぱり変かも?


 思わず首を傾げてしまうのは奥のカウンターで慌ただしく動いている協会職員の人達の動向ゆえだ。彼らは明らかに焦っている様子でそこら辺を動き回っていた。しかし僕の存在に気がついてその動きを停止させた。


 僕は観察する。たむろしている冒険者達にも違和感がある。どこか彼らも焦っている。ぴりぴりしている。大きな緊張感を身体に纏わり付かせている。


 なにかが起きている予兆を感じる。


 そしてそれを感じた瞬間に僕の身体は引き返したくなっている。この場に滞在したくない。逃げたい! でも退職したい!



「あれが、【原初の家族ファースト・ファミリア】の勇者サブローか」

「……A級なんでしょ? サブロー以外のパーティー全員」

「ああ。噂だと、五年らしいぜ。サブローがS級に上り詰めるまで」

「化け物かよ」

「にしても、どこに耳がついてんだ?」

「このタイミングで来るなんてな。街のどこから情報を聞いてるんだか」



 なにかいろいろと好き勝手に言われているけれど僕は気にしない。スルースキルというのは勇者の宿命として身につけているのだ。


 そして僕は意を決する。ともかく退職届けが優先だ。なんのために準備してきたと思っているんだ。そうだ。この緊張感だって僕が勝手に勘違いしているだけかもしれない。なんの問題も起きていないかもしれない。


 僕は騒然としている中を突っ切ってまっすぐカウンターへと歩いた。そしてそこに立って呆然としている職員の女性に言う。



「いま忙しいですか?」



 こくりと。


 職員の女性が頷いたのを見て、僕は(やっぱり忙しいのかよ。失敗したな)と心でひとりごちた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る