62.始動


   62



 それからの数日間は僕にとって日常のリズムを取り戻していく作業にも近かった。つまり僕は久しぶりの暇というのを堪能していた。うん。入院中も暇といえば暇だったけれど、やっぱり家が一番である。


 ちなみにしたためていた『退職届け』に関してはサバイバルポーチで放置していた。マミヤさんへの相談というのも後回しである。


 という感じで三日ほどダラダラした翌朝にメッセージ・バードが僕を起こした。可愛らしい白い小鳥がコンコンと窓をノックしてくるのだ。それで迎え入れてみればメッセージ・バードは師匠の声で鳴く。



『正式な依頼を出しておいた。冒険者協会に足を運んでくれ』



 淡々とした声音であり淡々とした要望だった。……正式な依頼。それがなにを意味するのかっていえば一つしかない。入院中に師匠が僕にお願いした言葉である。



『王立リムリラ魔術学園に潜入してほしい』



 いま考えてみても意味は分からない。一体なんのためなのか。どんな理由があるというのか。ただ正式な依頼を冒険者協会に出したというのならば別だ。きっと足を運んでみれば答えは明らかになるだろう。


 いくらかつての伝説の勇者――キサラギ師匠といえども依頼を出すにあたっては正式な手順を踏まなければならない。冒険者協会は何者に対しても公平であり公正である。たとえば僕たち【原初の家族ファースト・ファミリア】が何らかの過失を犯してしまった場合も厳密に罰せられる。過去になにをしてきたとか立場とか権力などは関係ないのだ。


 つまるところ師匠が正式な依頼を発行したということは――冒険者協会側が師匠の依頼に妥当性を見いだしたということでもある。……ああ。しかし逆に嫌な感じだな。


 僕に依頼して妥当性があると判断されたということは――僕以外には難しい依頼ということにはならないだろうか? 言い換えてしまえばそれは――S級勇者以外には難しい依頼ということにもなる。


 いや。


 これ以上考えるのはよそう。ということで僕は思考を放棄して身支度に勤しんだ。数日ぶりに髭も剃った。そうして遅々とした速度で僕は服を着替えたりなんやかんやして家を出た。


 陽はまぶしかった。


 道には砂埃が立っている。


 遠い往来から王都の賑やかさが伝わってきていた。僕は変装用の黒いローブに身を包んだままマナ・チャリに跨がる。そしてすいすいとペダルを回して風を浴びていく。……そろそろ夏は終わりである。もうじき秋が来る。


 秋といえば第二の入学の時期でもある。春と秋。ミルキーちゃんは飛び級で中学校を卒業して秋からどこかしらの学園に入学する手はずになっているのだ。そういえば実家にはしばらく帰っていない。そろそろ僕も寂しいところがあるし家族に顔を出したいところである。


 なんて考えているうちに冒険者協会が近づく。変装のお陰で僕に気がつく人達はいない。そのまま僕は協会の裏手にある駐輪場と馬車置きが一体となっている広場にマナ・チャリを止めた。そうして表に回り――シラユキと再会する。



「あれ。サブロー」

「お、シラユキじゃん」



 シラユキはシラユキで変装……していたけれどそれは変装になっているのだろうか? 僕とは違う白いローブに身を包んだシラユキはどこからどうみてもシラユキだった。


 まあ気配遮断の魔術なんかを施しているから気がつかれないのだろう。



「シラユキも協会に用がある感じ?」

「いや。私はちょうど用が終わった感じだね。サブローは?」

「ああ。ちょっと個人依頼が入りそうなんだよね。……キサラギ師匠から」

「え……。あの人からか。私に出来ることはある?」

「んー。どうだろ。まあ頼れそうだったら頼るよ」

「うん。ただ……ちょっと私も忙しくなりそうなんだ。後始末を任されちゃってね」

「後始末か。サダレとかの色々だよね」

「そうさ。まだまだ終わる気配もなくてね。他の国との会合にも顔を出さなくちゃいけなくて。……面倒だよ。まったく」

「悪いね。本来だと僕がやらなくちゃいけないんだろうけど」

「いいさ。サブローは怪我の治療に専念して欲しかったしね」



 それから二言くらい言葉を交わして僕たちは別れた。お互いにやらなくてはならないことがある。っていうのはまったく、自由な冒険者っぽくないなと僕は思った。でも立場が生まれるっていうのはそういうことだ。周りに認められれば認められるほどに自由というのは遠ざかるものなのだ。とはいえ不自由だとも思わないけれど。


 冒険者協会の扉に手を掛ける。


 そこでデジャヴ――ふと思うのは遙か昔。いや。遙か昔のように思えるけれど最近のこと。つまりはフーディくん達と合同パーティーを組むことになった日のこと。なんだかあの日と状況が似てはいないだろうか? ……僕は扉を開けながらサバイバルポーチに手を突っ込んだ。そして封筒を掴む。


 いや。


 今日は出さない。僕は通路を歩きながら思う。前回と違うのはまだ変装を続けていることだ。周りの冒険者達は僕には気がつかない。そして僕は変装を続けたままカウンターに近づく。……今日は『退職届け』を出さない。今日は相談するだけだ。相談しながら依頼についても訊く。うん。師匠の依頼はこなしたいと思っている。それをこなした後で退職する……という流れが出来ればいい。うん。それでいい。


 受付カウンターには見知った顔があった。だから僕はその彼女――赤毛の犬耳族であるペンシルさんの前でマスクを外す。隠していた顔を晒した。と。


 すぐにペンシルさんが声を上げそうになるので僕は片手で口を塞いだ。そして言う。



「マミヤさんいるかな。あとあんまりバレたくない。今日は疲れない日って決めてるから」

「……っ。はい。分かりましたです。えっと。サブロー様がきたら奥に通すようにってマミヤさんからは伝えられていて」

「ああそうなんだ。マミヤさんは奥にいるって感じだよね。……ちなみに副会長は?」

「大丈夫ですっ。副会長はお休みなので!」

「良かった。じゃあ案内してもらおっかな」



 また顔をマスクで隠すと同時にカウンターを乗り越えてペンシルさんがこちら側にやってくる。明らかに目立つ動きだったけれど視線は感じない。つまるところペンシルさんがこういう動きをするのは日常なのだろう。


 そして僕はペンシルさんに連れられて冒険者協会の二階――なんだか慣れたような気がする応接間に通された。


 そこには既にマミヤさんが待っている。……右耳から垂れるのはいつものピアスである。透明感のある銀色をした、ナイフの形のピアス。それは怜悧れいりな雰囲気のマミヤさんにはとてもよく似合っていた。



「やあ、マミヤさん。久しぶり」

「こんにちはサブローさん。怪我の具合はどうですか。お見舞いに行ったときには寝ていらっしゃったので」

「うん。まあまあ良い感じ。七割は回復したかな」

「そうですか。サブローさんが今日来るか明日来るかで迷ったのですが……予想が当たって良かったです」

「ちょっと怖いなあ」

「それでは依頼についてご説明いたしますので――お掛けください」



 ちょっと相談したいことがあるんですけど。と切り出すのは後にするか。うん。後にした方が良いだろうな。ということで僕はマミヤさんの対面のソファに腰掛けて――続くマミヤさんの言葉を耳に入れた。



「今回はキサラギ・ユウキ様からの個人依頼と――。冒険者協会側から、をお伝えいたします」



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