63.二つの依頼


   63



 マミヤさんから告げられた言葉。特に「キサラギ・ユウキ様からの依頼」と「」というところで僕は思わず腰を浮かしかけた。そのまま逃げてしまおうかと思った。さらにはサバイバルポーチにも意識を向けた。もう相談とか言ってられないからとにかく『退職届け』をぶん投げてやろうかな。なんて。


 そんな僕の様子をマミヤさんはたぶん見抜いていたのだろう。ゆえにあでやかな唇がほんの僅かに弧を描いた。……マミヤさんは真面目でクールな人だと思われがちだけれど遊び心にも富んでいる人でもある。たとえば僕があわあわと困ったりしているとすこし意地悪に笑ったりもするのだ。まったく。



「どうかしましたか? サブローさん。二つの同時依頼ですよ。しかも一つは個人。一つは協会側からの極秘任務です。これは冒険者として、なにより勇者としても名誉なことではありませんか?」

「……まあ、そういう視点もあるかもね? でもほら。僕って結構、マルチタスクが苦手っていうかさぁ。シングルタスクなところがあるから」

「そうでしょうか。聞いた話ですとマルチタスクの権化みたいなこともしているとか」

「どこで聞いたのさ。そんな嘘話」

「つい先ほど。シラユキさんから」

「……なるほど。あまり信じない方がいいよマミヤさん。シラユキは嘘つきだからね。普通に真面目な感じで嘘をつくタイプだからね」

「そうなのですか? 分かりました。では後ほどシラユキさんを問い詰めておきましょう。報告などで嘘をつかれては困りますし。サブローさんがこう言っていたけれど実際のところはどうなのか……。聞いてみますよ」

「……うん。まあまあ。そこまでしなくてもいいと思うけどね? 僕は。ほら。もしかしたらシラユキは僕にだけ嘘をつくのかもしれないし!」

「であれば、マルチタスクもこなせるということでよろしいですね。二つの任務もへっちゃらだと」

「マミヤさんが一番意地悪だよね」

「はて。そうでしょうか?」



 よく分かりませんね。なんて言いたげな表情を浮かべてマミヤさんは首を傾げた。しかしその表情と仕草が既に意地悪だった。耳から垂れているナイフのピアスがきらりと照明を反射して輝く。


 ……まあマミヤさんの言っていることも僕には分かる。依頼というものは冒険者にとってどういうものなのか。そもそも冒険者というのは不安定な職なのである。命の危険というところを抜いたとしても不安定なのだ。なにせ冒険者の数は多い。それに対して依頼の数というのは変動するものだ。多ければ良いけれど少ないときもある。また依頼が多かったとしても条件の良い依頼は取り合いなのだ。等級の低い冒険者はそもそも依頼を受けても雇い主に断られることすらある。


 実際に冒険者の中には非正規雇用――いわゆるアルバイトをしながら生計を立てている者も多い。しかもアルバイトといっても過酷な肉体労働が主だ。いつ自分に依頼が回ってくるか分からないし自分で依頼を取るかも分からない。といった条件ではまともな職種には就けないものなのだ。


 ゆえに冒険者は別名で『夢追い人』とも呼ばれている。それは主に蔑称である。


 依頼の入らない冒険者の姿を見たければ王都の水路などを覗いてみるといい。特に地下の水路だ。あるいはトンネルの水路でもいい。覗いてみればすぐに冒険者を見つけることは出来るだろう。彼らは水路周辺に大量に湧くスライムを退治しているのだ。他にも王都から外れた建設現場など。現場に近づく魔物を退治するために冒険者はアルバイトとして雇われていることが多い。


 そうして考えてみれば僕は恵まれている。二つも自分に依頼が舞い込んでくるなんていうのは名誉なこと以外に考えられないだろう。そもそもこれを名誉と考えられないのであれば冒険者として不適格だ。あるいはすこし天狗になりすぎているのかもしれない。僕の鼻は伸びてしまっているのかもしれない。


 というところまで自覚して僕は気を引き締めた。まあいい。退職についての相談は依頼の内容を聞いてからでも構わないはずだ。うん。



「……分かりましたよ。それで、依頼というのは?」

「どちらの詳細から訊きたいですか?」

「まずは師匠から。キサラギ・ユウキさんからの依頼というのを」

「分かりました。――王立リムリラ魔術学園に潜入し、秘匿されている世界地図をコピーしてきてほしい。といった内容の依頼です」

「…………え?」

「はい?」

「それ、いいんですか?」



 僕は思わず訊いている。なぜなら明らかにそれは――それは犯罪だからだ! まるでそれって闇ギルドでやりとりされているような依頼じゃないだろうか? ブラックな冒険者が引き受けているような依頼じゃないだろうか? 潜入して、しかも秘匿されている世界地図とやらをコピーしてくるって……どう考えても違法っていうか犯罪じゃん!


 といった疑問を口に出さずに顔で表現する。するとマミヤさんは答えてくれる。



「これは冒険者側には報せられないのですが……依頼者側の理由わけを聞いた上で妥当性があると判断いたしました。つまり正規の依頼です。ご安心を」

「いやいやいやいや。犯罪じゃん。てかそれ失敗したら僕の立場やばくない?」

「やばいですね。見つかってはいけませんよ? もしも捕まってしまった場合は牢屋行きです。冒険者協会側も知らんふりをします」

「いやいやいやいやいや! おかしいおかしいおかしい! てかそれ本当に犯罪者ギルドのやりとりじゃん! 闇ギルドのやりとりじゃん!」

「まあまあ。落ち着いてください」

「落ち着けるわけないでしょ! なに考えてるんですか!」

「それほど重要な任務ということです。冒険者協会側にとっても――いえ。にとっても」



 なにを言ってるんだこの人は……?


 そして僕は見る。マミヤさんを見る。あまり眼力を強くしすぎると見られている側が怯えてしまうけれど構わない。いまは構わない。まず僕はマミヤさんの精神状態を観察する。外見という名の表面に浮かび上がっている深層からの異常はないか? さらにマミヤさんが僕をからかっている可能性というのも一応確かめる。……うん。


 すべてを加味した上でマミヤさんが本気で言っていると分かる。……重要な任務。依頼そのものは犯罪チックだ。間違いなく違法だ。闇ギルドでやりとりされるようなものである。しかしここは公平で公正な冒険者協会。その冒険者協会が判断した――妥当性ありと。


 のため。


 僕は室内にいながら空に思いを馳せる。僕の大好きな青空を汚している黒点について考える。たとえばあの黒点を消し去るためだというのならば僕はなんだってするだろう。また澄んだ青空を取り戻すためだったら滅茶苦茶に頑張ったって良い。


 そして僕は頷いた。


 マミヤさんは僕に見つめられて汗をかいているようだった。その汗を清潔なハンカチで拭っていた。そんな彼女に僕は訊く。



「で。協会側からの極秘任務というのは?」

「……はい。悪魔教の幹部を生け捕りにしてほしいのです」

「……はい?」



「――王立リムリラ魔術学園に、悪魔教の幹部が潜伏していると報告がありました。サブローさんには、その幹部を生け捕りにしてきてほしいのです」



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