107.黒幕


   107



 退屈さをアピールするかのように、サダレは足下の砂を蹴り飛ばした。


 それが幼い仕草であることは理解していた。精神的に未成熟な動作であることも理解していた。ただそれでもサダレにはコントロール出来ていなかった。やはりまだ生まれたばかり……というわけではなく、元々サダレはそのような性質を持っていたのかもしれない。子供らしい性格なのかもしれない。そして性格というものは子供から大人になろうとも早々変わることのない部分だ。もちろん、大人になればなるほどに隠すことは上手くなるけれど。


 エイプリルの説明は続いていた。ぺらぺらぺらぺら。しかしサダレの耳にはほとんど言葉は入ってこない。退屈だ。退屈だ。退屈だ。ただひたすらに退屈という感情が、さながら排水溝に吸い込まれていく汚水のように渦を巻いては心の天秤を乱してくる。ああ。退屈すぎて脳味噌が痺れてしまいそうだった。



「いいですかサダレ。聞いていますか? サダレ。何度でも繰り返しましょう。あの勇者の弱点とはことなのです。たとえ他人であっても平等に手を差し伸べてしまう。たとえ足手まといであっても自己を犠牲にしてまで助けようとしてしまう。それが自分と親交の深い者であれば尚更です。捨てるべきなのに、捨てきれない。捨ててしまえば楽であるのに、背負ってしまう。ああ。勇者としては美徳なのでしょうか? 私としてはまるで理解できない。他者は他者。身内は身内。しかし身内であろうとも自分にとって負担となり得る存在は切り捨てる。それがまさに合理的というか――」



 エイプリルの話は長い。そうだ。サダレは足下を削りながらに思う。いままではサダレがエイプリルを遮るようにして言葉を放っていた。そのお陰でエイプリルのひとり語りというのは短く収まっていた部分がある。


 しかし邪魔する存在がいなければ、エイプリルは延々と喋り続けてしまうのだ。一体全体どうしてそのような芸当が可能なのだろうか? 喋ることが面倒だとは思わないのだろうか。サダレからしてみれば……いや。相手によるだろうか。相手が気心の知れている相手であればサダレも喋り続けてしまうかもしれない。



「私は策を練りました。最善の策を。ええ。私は常に最善を追い求める魔人でもあります。サダレもよく知っているように、です。もちろん次善の策など考える必要もありません。繰り返しになりますが勇者サブローを殺す準備はすべて整ったのです」

「あのさ」

「いいですか? サダレ。強大な敵……もちろん勇者サブローはそれなりに強大なのでしょう。私は油断と慢心をしないことに定評がありますからね。ええ。これもまた説明するまでもなく周知の事実、あなたも知っていることではあると思いますが。とにかく私は勇者サブローという存在を正確に捉えてします。あなたを退しりぞけたほどの実力者です。そこは評価し、その上で――弱点を突く。強大な敵は弱点を突くに限る」

「もう、いい? なんかさすがに時間の無駄って感じが分かってきちゃったよ、サダレとしてもさー」

「? ははは。冗談がうまいですね、サダレ。あなたの冗談はよく分かります。よく分かった上で面白い。まず一つ。私の説明というのは決して時間の無駄ではない。二つ目。よく時間を無駄にしているあなたの発言ではない。ははは。面白い」

「……」



 拳は自然と握られている。ぶっ飛ばしてやろうか。殺す気で、本気で殴ってしまおうか。それは悪くない考えのように思えた。それでも実行に移さないのは、いま立っている場所があくまでも主人あるじのものであるという認識があるからだった。


 ここは暗黒を支配する城の、内郭だ。


 血で汚すわけにはいかない。それも魔人エイプリルという特別にけがらわしい血で汚すわけにはいかないのだ。ゆえにサダレはゆっくりと拳を開き、そして無表情に言う。



「要点だけ教えてくれない?」

「私の説明のすべては重要な点だけを押さえていますよ。すべてが要点です」

「じゃあいいや。サダレが質問するから、その質問にだけ答えてくれない?」

「ふむ。まあ良いでしょう。出来の悪い屍人の質問に答えるような心持ちで、答えてあげましょうとも」

「……」

「おや。どうかしましたか?」

「いや。なんでもない。喧嘩売ってるように感じたけど、悪気ないしね。どうせ」

「なにを言っているのかさっぱり分かりません」



 本当に分からないという風にエイプリルは肩の上で両手を開いた。その仕草を見ただけでまた拳を握りそうになり……息を吐き出して感情を落ち着かせる。ああ。大人になりたくなくとも大人になってしまうのはどうしてか。


 成長というものは不可逆的なものなのかもしれない。良くも悪くも。



「サブローの家族とかを襲うんでしょ? でも最初に訊いた話だと、相手も手練れだからうまくいかないって感じじゃなかったっけ?」

「ええ。当初はうまくいきませんでした。接触も難しければ、接触したあとの警戒具合も高い。しかしそこはパターンの組み合わせでどうにかなる問題でもありますし……屍人の便利なところというのは、数にありますからねぇ」

「質は悪いもんね」

「はて。私の使役しえきしている屍人はそれなりに知能を有していると……」

「もういいもういい。で? 殺しちゃうの?」

「まさか。家族を殺したところでサブローの命は奪えない。あくまでも人質に過ぎませんよ。……私の言いたいことはよく分かるでしょう? サダレ」

「分かりたくないけどねー。サダレの心まで濁っちゃいそうだから」

「はは。既に濁っているでしょうに」



 足下の砂を思い切り蹴飛ばす。砂利のつぶてが銃弾のようにエイプリルの細身の足を襲い、しかしエイプリルは痛がる素振りも見せず、首を傾げるのみだった。やはり本気で殴らないとクソみたいな顔を苦渋に染めることは出来ないらしい。


 そしてサダレは舌を打ちながらに想像する。


 数――きっと当たり前のようにサブローの実家の周辺に屍人をたくさん配置しているのだろう。接触は難しい。それでもを演じることは難しくない。たとえば公園に遊ぶ子供達。たとえば近所で庭の剪定をしている老人。たとえば川沿いを手を繋ぎながら散歩しているカップル。たとえば簡単な魔術の練習をしている親子連れ。たとえば……。例を挙げていくと枚挙にいとまがなかった。


 殺すわけではない、というのもよく理解できた。


 あくまでも人質だ。あくまでも脅しの道具なのだ。殺してしまっては意味がない。傷つけることに意味がある。そして傷つけるタイミングというのも重要だ。いつどこでどのようにして……いや。考える理由もまた存在しなかった。なぜならエイプリルは性格が悪い。であるならば既に手はずは整っているはずだ。



「学園のイベントに合わせて、事を起こすんでしょ?」

「ええ。未だサブローはなにも感づいていない。イベントに合わせて、すべてを明らかに、サブローの命を奪います」

「方法は? 避けるのうまいよ、サブロー。一筋縄ではいかないと思うけど」

「ええ。もちろん物理的にはかなり難しいでしょうが……魔術ならば」

「魔術も軽々しく避けられちゃうけどなあ」

「禁忌の魔術ですよ」



 サダレは正気を疑うようにエイプリルを見る。しかし憎たらしい魔人は平然とした表情のまま、繰り返す。



「禁忌の魔術です。避けることも不可能。確実に命を奪う、禁忌の、闇魔術」

「……扱えるわけなくない? 私でも無理だよ。てか、エイプリルにはもっと無理でしょ」

「いるんですよ。扱えるだけの天賦の才を持った――不幸な人間が」

「へえ。……その人間に殺させるわけ?」

「そうなればよろしい。そうならなくとも、ダメージは確実に与えられる」



 迂遠な言い回しだが、言葉自体は真実なのだろう。


 僅かばかりに口角を上げたエイプリルに、サダレは最後の質問をする。



「で、その配下っていうのは? いい加減教えてよ。誰なのさ」

「おや。あなたが知るはずはありませんよ?」

「そりゃそーでしょ。でも名前くらいは気になるじゃん」

「ふむ。まあ優秀な配下ですからねぇ。あ。事が終わればサダレにも紹介してあげましょう。も喜ぶと思いますよ」

「女なんだ。で。誰?」

「ええと……あの学園ではなんという名前だったか」

「覚えてないの?」

「あ。思い出しました!」



 エイプリルは顔を上げて、言った。



「メリーモ。オレンジ髪が鮮やかな少女ですよ」



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