106.隠れ蓑


   106



 ――魔人エイプリルから三度目の呼び出しを受けたときにサダレはちょうどでの仕事を終えて帰途についていた。


 空は燃えていた。暗黒ではなかった。それでも【惑星ナンバー】ほど明るく輝くように燃えているわけでもない。ただ空は赤かった。燃えていた。まるで世界の終わりを表現するかのように。


 サダレが空を飛びながら城へと戻っている最中のことだ。真正面から飛んできた鳥――人の顔を持つ気持ちの悪い鳥が灰色の唾液を地上へと垂らしながらに言った。



「エイプリル様が呼んでおります。エイプリル様が呼んでおります」



 声に抑揚はない。しかし痰が絡んだような喋り方はどうしようもなく耳障りだった。それに同じ言葉を繰り返すだけというのも癪に障る。


 しかしてサダレが睨んだところで人面鳥が言葉を止めるはずがなかった。歪んだ口元からは延々と灰色の唾液が垂れ続けている。喋るたびに唾が飛ぶ。鼻はそぎ落とされている。眼球はあらぬ方向を向いていた。髪の毛もむしり取られている。


 どう考えても生きてはいない。


 屍人だ。死んでいながらに操られているのだ。そこに命はなく、ゆえに心もない。しかし指示されたことに従うだけの知能を。本当に悪趣味な存在だった。そしてだからこそサダレはエイプリルが好きではない。嫌いな部類だった。同じ魔人とはいえ。



「エイプリル様が呼んでおります。エイプリル様が呼んでおります」

「分かってる。うるさいなぁもう」

「エイプリル様が呼んでおります。エイプリル様が呼んでおります」



 ああ、苛立つ。しかしサダレがどれだけ激情を見せたところで人面鳥は言葉を止めないだろう。止められないだろう。なにせ心がないのだ。知能はあっても心はない。……なんて残酷な生命体だろう? いや。生命体という言葉も適切ではないのか? なんて。そんなことはどうでもいいか。



「エイプリル様が」



 サダレは城に向かって空を飛びながらに腕を振った。それだけでよかった。それ以外にはなにも必要なかった。遅れて人面鳥の身体に線が入り、肉体は二つに裂かれ、空中でずり落ちていく。破裂するように噴き出る血液は、しかしサダレを汚すことはない。サダレは既に人面鳥を置き去りにしているから。


 性格が悪い。本当に。


 サダレは嘆息するように思う。……人面鳥を殺したことでエイプリルから怒られることはないだろう。なにせエイプリルは人面鳥が殺されることを理解しながら送ってきているのだから。そもそも捨て駒の処理のような感じで送ってきているのだから。


 そうして浮遊する城――城壁の上に立ち止まってはたとサダレは気がついた。そういえば場所はどこだろう? もちろんサダレは察知に優れている。魔術を使うまでもなくマナを操ればエイプリルの場所など造作もなく発見できるが……まあ発見する必要もない。場所を報せない方が悪いのだから。



「サダレ」



 静かに名を呼ぶ声は足下から届いた。


 高い高い城壁の下。内郭の砂を踏んでいる男がいた。……魔人エイプリル。つい最近も会ったばかりだからかサダレの心には鬱陶しさと億劫さしかなかった。なぜにどうして嫌いな奴と何度も何度も顔を合わせなければならないのだろう? しかもいつも一方的に呼び出されるような形で。


 本来であれば断っている……というか無視が常套だろう。それでも呼び出しに応じるのは負い目のようなものがあるからだろうか? ――サブローに敗北して逃げ帰ったという負い目が。いや。もちろん負い目のように感じてはいない。あれは嬉しい出来事だった。しかして周りからの見え方というものは……いや。サダレは思考を打ち切って城壁を降りた。


 着地するときにわざとエイプリルを踏んづけてやろうとしたのは内緒だ。もちろん躱されてしまったけれど。



「なに。サダレにはサダレのやることがある……っていうかこういうやりとり、前もしたよね? もう。面倒くさーい」

「あなたを呼んだのは私の善意ですよ。優しさです。むしろ感謝していただきたいのですが」

「善意? 鼻で笑っちゃうからやめてよねー。善意なんてものはひとかけらも持ち合わせてないでしょ」

「おや。私はこれでも優しいと評判なのですが?」

「嘘つき。誰からさ? 言ってみなよ」

「もちろん私の使役している屍人達です。優しいと評判ですよ?」



 馬鹿馬鹿しいにも程があった。何度でも繰り返すが屍人は心を持っていない。知能はあっても心はないのだ。そして心がなければ優しさなど感じられるはずもない。本当に馬鹿馬鹿しかった。なにより馬鹿馬鹿しいのはエイプリルがそれを本気で口にしていることだった。


 ああ。


 サダレはあからさまにため息をついて、それから空を仰ぐ。赤い空を。燃えている空を。一体なにがどうして空は燃えているのか。なにか魔物が悪さでもしているのだろうか? あるいは魔人が。



「赤いですね、サダレ」

「赤いねぇ。どーでもいいけど」

「世界が終わるとき、あのように空は赤くなるのかもしれませんね」

「滅ぼそうとしているがわが言うことじゃないよねー、それ」

「命が終わる瞬間というのも、あのような感じなのかもしれません」

「血がぶわーって噴き出るもんね。赤いよね」

「そういうことを言っているわけではないのですが……あなたには風情がない」

「エイプリルはきもい」

「はて。格好良いとよく言われるんですがね」

「どうせ屍人達でしょ」

「いえ。タラララからです」



 ――魔人タラララ、か。


 ああそれも苦手な魔人というか派閥というか……まあそもそもエイプリルと相容れない時点でタラララとも仲良くできるはずがないのだ。タラララはエイプリルを好ましく思っているようだから。


 サダレは無反応を返す。面倒だからだ。そして無反応を続けているとエイプリルは気を取り直したように両手をぽんと鳴らした。



「本題の用件に移りましょうか」

「さっさと移ってほしいんだけど。時間がもったいないから」

「勇者サブローを殺すための準備が整いました」

「あっそう」

「……おや。予想していた反応と異なりますね」

「なにを予想してたの。ほんとーに悪趣味だよね。エイプリル」



 湿った目線でエイプリルを睨む。


 しかしエイプリルは遠い目をして赤く燃えている空を眺めていた。もはやサダレが近くにいることなど気がついてないようにも思えた。自分から呼び出した癖に。本当にムカつく奴だとサダレは思う。


 やがてすこしの沈黙を挟んだ後にエイプリルは言った。



「時間が掛かりましたが、まずサブローの家族と、加えて仲の良い人物に対する友好的な接触がなされました。さらに学園内においては――、私の配下がきちんと暗躍しています」



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