53.そして僕は勇者になった(中編)


   53



 師匠に渡されたのは木の枝だった。


 ……弱音の吐露から一時間。僕と師匠の座標は見晴らしの良い大平原のまっただ中にあった。


 ところで僕はキサラギ師匠というものをよく知っている。師匠の修行というものもよく知っている。その内容は過酷に過ぎる。だから僕は一種の覚悟を滲ませていた。いや。一種どころではない。僕は確かに強くなりたいのだ。ちゃんとリーダーになりたいのだ。しっかりと勇者になりたかったのだ。


 ……ならば覚悟なんていくらでも持ってやろう。修行がどれだけ過酷だったとしても這いつくばって付いていってやろう。弱音を吐き出しながらも歯で食いついてやろう。逃げ出しかけながらも目でいつまでも追ってやろう。ああそうだ。僕はなんだってやってやる!


 なんて覚悟を拍子抜けさせる光景が広がる。



「……あの、師匠」

「うん?」

「これは、なにを?」

「? 見れば分かるだろう。知らないとは言わせないよ。さ」



 ぷぅううううううっ。師匠はしぼんでいる風船に息を吹き込む。すると風船はまるで命を宿したかのように膨らむ。やがてはふよふよとそらに飛んで漂うようになる。……息にマナを含ませているのだろう。風船は僕の知っている風船よりもすこし動きにキレがある。なによりも軽やかですこしの風にも影響を受けやすいようだった。


 赤。青。緑。黄色。さらに紫。黒と白。合計で七色。


 それぞれの色で五つずつ。風船はふよふよと宙を飛ぶ。それでもある一定の範囲内に収まっているのはこれもまた師匠の魔術によるものだろう。


 そして僕に渡されているのは木の枝だ。


 これで一体なにをするというのだろう? 僕にはまったくもって皆目見当もつかない。



「よし、と。準備はこれくらいでいいかな。うん。じゃあ少年。さっそくやってもらおうかな」

「……え。なにをですか?」

「そうだね。……ところで聞いておきたいのだけれど、きみはどれくらい私のところに滞在予定だい? 泊まり込みをしてもらうつもりで私は計画を立てているわけだが、問題は?」

「あ、もちろん。泊まり込みは泊まり込みの予定です。……期間としては、二週間後にはちょっと王都を旅立つ予定があるので。護衛依頼が入っていて」

「護衛かい。へぇ。随分と期待されているようだね。いくら勇者パーティーとはいえ、普通はもうすこし経験を積んでから依頼が入るはずなんだけれど」

「そこはマミヤさんって方にお任せしていて」

「ああ。彼女か。彼女が担当なのか。なるほどね……。まあ、いい。それで? 二週間後か。とはいえ事前準備とかもあるだろう。……十日くらいかい」

「……そうですね。今日を合わせて、十日くらいで考えています」

「そうか。耐えられるかな」



 すこし不安そうに師匠は呟いた。それは完全に独り言というテンションだった。でも僕は目が特別良いけれど耳だってべつに悪いわけじゃないのだ。普通に聞こえている。……耐えられるってなにが? 耐えられないようなことなのか? と僕はすこしだけ空恐ろしくなる。


 けれどこれから恐ろしくなる未来がまるで頭には浮かばない。なにせ現状の光景というのは本当にのどかなものなのだ。


 やがて師匠は言う。



「今日で三段階は進もうか」

「……三段階ですか」

「まずはワンステップ。五百回連続で言い間違いを無しにしてもらう」

「……師匠。やっぱり師匠は言葉が少なすぎると思います。なにを言っているのか僕にはさっぱり分からない」

「きみには風船の色を当ててもらう」

「はい?」

「私が風船を動かす。きみは動いた風船の色を答える。一秒以内に。それを五百回連続だ。言い間違えたら最初から。いいね?」



 ……一体師匠は僕になにをさせようとしているんだ? これが一体なにに繋がるんだ? 僕のリーダーとしての修行になるのか? とすこしだけ思う。けれどすこしだけ。そしてすぐに疑問は消える。なぜなら僕は師匠を信頼しているからだ。


 そして――ワンステップが始まる。


 ある一定の範囲内でふよふよと浮いている色とりどりの風船。七種五個ずつ。合計で三十五個の風船。僕はそれに視線を配る。……そして風船が動く。ひゅんっ。と一瞬で動くのだ。それを見て僕は口に出して答えていく。



「黄色。緑。赤。青。っ、白」

「遅い。一秒を超えてる。やり直し」

「黒。赤。青。緑。緑。黄色。紫。あ……青っ」

「遅い。やり直し」

「っ。黄色。緑。青。白。黒。黒。黄色。緑。緑。赤……あ」

「赤ではなく青だ。もう一度」

「……青。黄色。青。緑。黄色。白。白。黒。紫。緑。青――――」



 これは簡単なようでいて難しい。やってみれば分かる。なにより人間というのはミスをするものだ。それに風船のすべてを視界に入れつつ動いたものに一瞬で意識を集中させるというのも難しい。そして脳味噌で知覚した色と言葉にする色が相違してしまうのも人間ならば仕方がない。人間ならば。


 それを五百回連続……?


 しかも師匠は意地悪だ。師匠はあえて風船と風船をぶつけることで僕を惑わしてくる。もちろん答えるべきは最初に動いた風船だ。でもぶつかって動き出す風船に意識が逸れてしまう。そして答えを間違えてしまう。



「――笑いなさい少年。ほら。私の声も聞いて。笑いなさい」

「っ。緑」

「遅い。やり直し」



 二百七十二回で最初から。……二百五十回を超え始めると師匠は声を出し始める。すると僕はいやでも耳に言葉を耳に入れないといけなくなる。なにせ師匠の声というのはこれまでの修行によって僕の脳味噌に刻まれているのだ。「絶対に無視してはいけない声」として。


 はっきり言って地獄のワンステップだった。


 そして。


 ワンステップが終わったのは時刻にして午後二時過ぎ。午前九時から平原に移動しての修行が始まったことを考えるとおよそ五時間以上。……脳味噌の疲労というものは凄かった。肉体ではなく精神面への疲弊も凄まじかった。


 ワンステップが終了してすぐに僕は平原に大の字を描くようにして倒れた。そして空腹を自覚した。それは冷や汗が出て手が震えだしてしまうほどの空腹だった。飢餓感と言い換えても良いかもしれない。……ああ。


 そして師匠が僕に手渡したのは高カロリーの携帯食料。それはすぐに食ってツーステップに向かうぞという無言の意思表示に他ならない。まったくもって酷い。酷い師匠だ……。


 でも僕は笑う。苦しいときには笑うように出来ている。笑うように師匠に改造されているのだ。僕の表情筋というものは……。


 師匠は言う。



「ツーステップ。次は同じ作業をしながら――風船と風船がぶつからないようにマナを放出してもらう。その木の枝を使ってね」



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