54.そして僕は勇者になった(後編)


   54



「ツーステップ。次は同じ作業をしながら――風船と風船がぶつからないようにマナを放出してもらう。その木の枝を使ってね」



 ……師匠はやっぱり言葉数が足りない。その言葉だけではまったく意味が分からない。そして僕は高カロリーの携帯食料を食べ終えて立ち上がる。……ふらふらするのは頭を使いすぎているからだ。肉体的疲労ではなく頭脳的疲労が激しい。


 それでも僕はすこし考える。考えてから言う。



「さっき、師匠は風船をわざとぶつけてましたよね。僕を惑わすために」

「ああ、そうさ。今度はぶつからないようにしてもらう。動かすのはどちらでも構わない。最初に動き出した風船でも、ぶつかりそうになっている風船でも。……どちらでも構わないから、きみはとにかく風船同士がぶつからないように操るんだ」

「マナで、ですか」

「そうさ。その木の枝を杖として扱いなさい」



 ……僕は「ずっと持っていなさい」と師匠に言われてから右手に握り続けていた木の枝を見る。なんの変哲もない木の枝。当然ながらマナに対する感応も良くない。魔術を発動させるための媒体としても弱い。杖なんてお世辞でも言えるはずがない。……これでマナを放出するのか。そして風船がぶつからないように操る?



「それと言葉もすこし長くしてもらうよ」

「……長くっていうのは?」

「動いている風船だけじゃない。動かす風船の色も答えてもらう」

「……えーと」

「物は試しだ。やるよ。ワンステップと同じ、五百回連続」



 ツーステップ。


 師匠が風船を動かす。僕はその風船の色を間違えないように答える。ここまではワンステップと同じ。しかし違うのは風船の動きを予測しなければならないという点だ。つまりは動いた風船の動線を未来予知のように考える。ぶつかりそうならば木の枝の先端を向ける。そしてマナを放つ。放ちながらにさらに言葉を続ける。



「黄色と黒」



 黄色と黒の風船が接触しそうだった。だから僕は体内のマナを木の枝を通して放出した。しかしそれは強すぎるマナの流れだった。青の奔流は黄色の風船にぶつかって――そのまま風船を割ってしまう。



「やり直し」



 師匠は当然のように言う。そして懐から黄色の風船を取り出して息を吹き込む。……またふよふよと風船は宙に浮かんでいく。一からのやり直し。


 黒の風船が動く。ぶつからないと僕は判断しながら「黒」と答える。けれど判断が遅かった。それは一秒を優に超えていた。ゆえにやり直し。……緑の風船が動く。「緑と赤」と答えながら木の枝を向ける。そして緑の風船の動線上に存在する赤の風船にマナの線を……。


 今度はうまく風船をい操ることが出来るが――動かした赤の風船がさらにべつの風船にぶつかりそうになる。と思った瞬間には視界の奥で青の風船が動いている。ああっ。頭がこんがらがる。「青、と赤!」と答えて僕は赤の風船を動かすが――師匠の動かした青の風船が紫の風船にぶつかる。



「やり直し」



 ……あれ。


 これ、やばいな。


 僕は額に汗を滲ませながら思う。これは、やばい。今更ながらに難しさを自覚する。でも師匠は待ってくれない。また風船が動く。僕はその風船の動線を読みながら色を答える。また違う風船が動き出す。予測。答える。違う風船。予測。今度はぶつかる。動かさなければならない。答えながらマナを放出。ぎりぎりでぶつからないように扱うが――違う風船が動き出す。答える。予測。


 ……している間に先ほどぶつからないと予想した風船が違う風船と接触しているっ!


 ああ。そうだ。僕が見なければならないのは師匠の動かす風船だけではないのだ。僕自身が動かした風船に関しても頭に入れておかなければならないのだ。そしてそれが永遠に続くのだ。五百回。……出来るのか? 可能なのか? こんな芸当が?



「やり直し」



 風船が動く――考える。考える。考える。僕は考えなければならない。酷使した脳味噌をさらに焦げ付くくらいに回転させなければならない。考える。考える。考える。僕は見ながらに考える。マナを放出しながらに考える。風船の色を答えながら考える。



「――いいかい、少年。コツは全体像を把握することだ。きみの目ならば可能なはずだ。動く風船という点に集中するんじゃないよ。きみの視界という面に集中するんでもない。……立体だ。鳥が私達を見ているように、立体として捉えるんだ。この世界すべてを。――



 鳥瞰ちょうかん


 僕は師匠に言われた通りに見る。見ようとする。でもそれは難しい。言葉では簡単だ。いつも言葉では簡単なのだ。でも行動は難しいのだ。計画は可能でも実行は難しいのだ。理論を組み立てるのは簡単でも実践は難しいのだ。それでも――鳥瞰。僕は見る。見ようとする。師匠の言葉を信じる。


 僕の目ならば――可能なはずだ。


 すべての風船を――いや。僕の捉えられるすべての光景を頭上から眺める。立体として捉える。それは見ているようで見ていないのと一緒だ。つまりは見ている景色と別に、のだ。


 そして頭の中の景色と同じように現実の景色を動かす……風船を動かす。マナを放出する。


 マナの放出も難しい。繊細な調節が必要になる。強すぎても弱すぎてもいけない。どちらにせよ頭の中の鳥瞰している景色を狂ってしまうからだ。だから正確に。とにかく精確せいかくに。精密に。精緻せいちに。


 それはまるでナノの世界で城を建築するような苦行と同じである。


 それでも――それでも僕は達成する。


 日が暮れている。


 世界は夜に包まれている。



「次はスリーステップ。これが最終段階だ。――私の動きを目で追ってもらう。攻撃を避けてもらう。そしていままでのすべてをこなしてもらう。休んでいる時間はないよ、少年」



 ……休ませる気はないらしい。鬼畜だ。それでも僕は立ち上がらなければならない。なぜなら結局は僕のため――そうだ。僕のためなのだ。


 これはすべて僕のための修行なのだ。僕のための鬼畜なスパルタなのだ。なにより僕がやりたいからやっているのだ。すべて僕が自分で強くなりたくて挑んでいるのだ。僕がちゃんとリーダーになりたくて励んでいる修行なのだ。ならば、だからこそ、立ち上がらなければならない。僕は……。


 師匠は言う。



「言っていなかったけれど、これが最後のステップだ。これを今日から十日間、少年にはこなしてもらう。……なに簡単さ。きみなら出来る。さあ、いくよ」



 そうして、師匠は伝説の勇者として僕の前に立ち塞がる。


 音速にも近い動き。その残像だけが僕の視界には映る。風船が風圧によって動き回る。その中でもひときわに動く風船の色を僕は答えなければならない。さらにこちらに放たれる師匠からの攻撃――容赦のない稲妻だ。師匠の得意な稲妻の魔術だ。


 ああ、いいさ。


 僕は強くなりたい。

 


 ――才能がなくとも強くなりたい。凡人であろうとも強くなりたい。一つだけ授かった目という個性を活かしたい。磨きたい。輝かせたい。そして胸を張って肩を並べられるようになりたい。仲間という天才達に。友達という天才達に。彼らに恥じない存在になりたい。彼等が認めてくれるのだからこそ僕はそれにこたえたい。ちゃんと応えたい。応えなきゃならない。




 そして。


 ――僕は勇者リーダーになった。



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