30.ラズリーとキサラギ


   30



 ――――癖のある長い金髪に、インナカラーのピンクがほどよく混じる。


 【原初の家族ファースト・ファミリア】の魔術師であるラズリー・ラピスは王国の端にいた。


 なぜそんな場所にいるのか? と問われれば、そこにぽつんと一軒家が建っているから、とラズリーは答えることになるだろう。


 どこの領地にも所属していない草原の茂ったところ。あたりには控えめに木々が立っている。風もほどよく通って気持ちが良い。ラズリーは自然と目を細めている。その鮮やかな金髪を柔らかな風になびかせる。……ところでどうしてこんな辺鄙な場所に家が建っているのか。


 人気ひとけがゼロと言っても良い場所。誰とも関わらずに生きていける場所。なんてなのだろう。


 ラズリーは目を開ける。


 すこし古びている家の扉が軋みながら開き、姿を現すのは病人にも似た風貌の女性だった。


 くすんだ黒髪を雑に流している。目元のくまは医者でなくとも心配してしまうほどに濃い。いつも漂っている気怠い雰囲気も変わらない。どこかくたびれた白衣を羽織っているのも。そしてほのかに香ってくる紫煙の匂いも……。


 かつてDouble・S級まで上り詰めた勇者――キサラギ・ユウキ。


 ラズリーの明るいブルーの瞳と、キサラギの濁った黒の瞳が見つめ合う。


 最初に声を掛けたのはキサラギだった。



「やあ、ラズリーくん。久しいじゃないか。私に会いに来たのかい?」

「こんにちは、キサラギさん。まあ、あたしべつに会いに来たってわけじゃないんだけどね」

「おや、違ったのかい。……それにしても、随分と腕を上げたようだね」

「まあね。ちなみにキサラギさん、弟子はもう取っていないの?」

「どうしてだい?」

「気配を感じないから」



 ラズリーは体内のマナを大気に広げてあたりの気配を察知している。野生動物はいるが魔物はいない。そして人の気配もない。


 キサラギは表情を変えることなく頷いた。……ところで、どこまでキサラギはラズリーの実力を見抜いているのだろう? ラズリーにはそれは分からない。ただ実際にキサラギと会ってみて明確に感じるものはある。


 ――まだまだこの化け物には及ばないわね。


 とはいえそれを口に出すこともない。なぜならいつかは越えるからだ。……いつかサブローが越えるのだ。キサラギを越える。実の師匠を越える。


 あたしはその隣にいればいい。他の誰よりも近い場所でサブローを支えていればいい。そしてサブローはやがてDoubleではなくTRIPLE・Sの勇者となるだろう。そのさらに先にも進むだろう。サブローにはそれだけの才覚があるのだ。それをなしえることが可能なだけの人格も備わっているのだ。


 Quadraクアドラ・S級にもサブローなら及ぶはずだ。そして最終的にはサブローは世界最高峰――未だに誰も到達したことのないPENTAペンタ・S級の勇者となる……!


 ああ。よだれが垂れちゃう。そう。あたしはその隣にいればいい。その隣に控えていればいい。世界最強の勇者を支える魔術師――いや。あたしはたとえサブローが最強に上り詰めることが出来なかったとしても隣に居続けられればいいのだ。生涯を通してサブローを支え続けられるのならばそれが幸せなのだ。幸福なのだ。


 なんて。


 甘美な妄想に酔って口元をだらけさせるラズリーを起こすのはキサラギの冷たい視線だ。ラズリーは慌てて表情を引き締める。



「それで、ええと? なんでいないのかしら。お弟子さん」

「……苦しい質問だね。なにを妄想していたのかな? ラズリーくん」

「妄想? 妄想なんてしてないわよ。ただ将来について考えてただけ」

「ふぅん。将来ねぇ。まあ将来なんていうのはすべて例外なく妄想だと思うけどね。私は」

「そうかしら? あたしはそうは思わないけどね。絶対に叶えてやるって意思があるわ、あたしには」

「若いねぇ、いい若さだよ、それは。羨ましいくらいだ」

「……べつにキサラギさんもそこまで歳は取ってないでしょ」



 目を細めてラズリーはキサラギを見る。見た目はくたびれているように思えるが、まだ三十代前半のはずだ。


 内に秘められた身体も魔術も衰えているわけがない。むしろこれから成熟していくという段階でもあるはずだ。



「また冒険者に戻ればいいのに。ってあたしは思うけどね。実力はあるでしょ」

「ふふ。きみは正直でいいね。こちらに気を遣うっていうこともない。接しやすくて助かるよ」

「当たり前よ。気なんて遣うわけないでしょ。……過去になにがあったのかは知らないけど」

「まあ、それについて話すことはないさ」



 キサラギは寂しげに微笑んで言う。


 ……キサラギはかつて伝説の冒険者だった。二十代前半の若さでDouble・S級にまで上り詰めた凄腕の勇者だった。当時のパーティーの名前もラズリーは記憶している。様々なメディアで取り上げられていたから。


 【深海の星ディープ・オリオン】。


 しかしいまからおよそ十年前に【深海の星ディープ・オリオン】は解散した。キサラギも勇者を退職した。冒険を辞めた。以降はメディアに姿を出すこともなく隠居を続けている。一体十年前になにが起きたのか? どうしてキサラギは勇者を退職したのか?


 詮索は数年は続いていたはずだ。けれど次第に新たな世代の誕生によってキサラギについて言及するメディアも少なくなった。いまではキサラギは過去の人になっている。



「弟子に関しては取っていない、というより志願者が減ってきたというのが真実だね。いやまったく、静かで良いものだよ。ひとりというのは」

「ふぅん。そう。でも弟子が現れたら断ることはないんでしょ? キサラギさん」

「まあ、ね。可能性の芽は潰さないよ。もちろん、諦めたとしてそれを止めるつもりもないけれど、ね」

「来る者拒まず、去る者追わずってことね?」

「そういうことだよ」

「じゃあ、弟子入りの推薦してもいいかしら?」

「……きみの師匠になるのは荷が重そうだけれど」

「まさか! あたしが誰かの下につくことなんてあるわけないでしょ。違うわよ、あたしじゃなくて、実は見つけたのよねぇ。才能の芽。その子を育てたら良い感じに使なのよ。サブローのためになってくれそう!」

「……きみは本当に盲目だよねぇ。……まあ、きみの推薦であろうとなかろうと、その子に弟子入りの意思があるなら私は拒まないさ」

「そう! よかった。じゃあ今度連れてくるわね」



 ラズリーが脳裏に思い浮かべるのはとある女学生である。つい最近に国から頼まれた面倒な仕事をこなすがてら、出会ったのだ。そして一目見た瞬間に調教しがいのある才能だと気がついた。良い具合に育てればサブローの手足になるだろう。もしかすると【原初の家族ファースト・ファミリア】のサブ・メンバーに相応しい人材かもしれない。



「ところで、きみはそろそろ王都に戻った方がいいだろうね」

「……? どうして? まあでも言われるまでもなく戻るつもりだけどね。サブローとも遊びたいし」

「そうかい。……まあ少年なら大丈夫だろうね。ただ早めに戻った方が良いことは事実さ」

「……なに、その言い方。なにか起きてるわけ?」

「さてね。戻れば分かるだろうさ」

「うわぁ、嫌味な言い方ね。そういうところもサブローに伝染しちゃったのかしら? たまにサブロー、意地悪な物言いすることあるし……。まあいいわ。じゃ、またねキサラギさん」

「ああ、また今度」



 別れはあっさりとしている。


 小さく手を振るキサラギにラズリーも返す。そうしながら同時進行的に体内のマナを管理して魔術を発動させている。――超高難易度の魔術に指定されている空間魔術。


 すこしでも魔術の管理を誤ればマナが空っぽの状態で上空に放り出される可能性もある。あるいは土に生き埋めにされる可能性もある。壁にめり込む可能性もある。誰かと接触事故を起こしてしまう可能性もある。


 空間魔術にはリスクがある。


 けれど――天才にとってリスクなどあってないようなものだ。


 次の瞬間にはラズリーの座標は王都の中心地にあった。



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