29.ギャンブル


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「非常警戒宣言を発令してください。副会長権限で」



 とマミヤが告げたときのシネンの顔つきというのは面白おかしいものだった。バードがマナ鉄砲を食らったときの表情にも似ている。


 けれど自分の発言そのものが面白いものでないことをマミヤは自覚していた。それどころかとんでもない発言であり、下手をすれば首が飛ぶ可能性すらあるお願いであることも理解していた。


 しばらくシネンは口を間抜けに開いたまま硬直していた。それこそ銅像かなにかのように。けれどマミヤはそれがポーズに過ぎないことを見抜いてもいた。恐らくシネンは冗談であるという線を疑っているのだろう。マミヤが冗談を言っているという線を探っているのだろう。


 やがてシネンは言った。



「……驚きすぎて心臓が五秒くらい停止していたぜ。生き残って良かった。これも俺様の普段の行いが良いからだろうな。で? なんの冗談だマミヤ」

「これが冗談だと思えますか?」

「いいや思えないぜ。だからこそ訊いてるんだ。一体どんな冗談からそんな要望が飛び出してくる? その根っこの部分を教えろ」



 雰囲気が、切り替わる。


 マミヤは感じている。シネンの気配の変わりようを。……いつもふざけていて真面目なところなんて一年を通して一度か二度しか見たことがない。けれどそれでも【ライネルラ王国】の冒険者協会で副会長まで上り詰めた男なのだ。


 優秀だからタチが悪いのだ。これで使えない人間であるならばとっくの昔に引きずり下ろされているだろう。実際にマミヤも自分の手で引きずり下ろしているかもしれない。冒険者協会は一枚岩でもないのだ。全員が纏まっているわけではない。内部で分裂だってある。野心家の派閥だってあるのだ。


 そんな環境で長いことシネン・トグルという男は副会長の座を守り続けている。



「つい数十分前に【王国魔術団】の筆頭団員から連絡が入りました。現在調査隊が派遣されている【トトツーダンジョン】においてスタンピードの兆候を感じ取ったと」

「そうか。だが疑問点は二つあるな。一つは俺様のところに連絡が来ていないということだ。恐らく個人的な連絡なのだろう? まだ【王国魔術団】は正式にその報告を出していないな」

「……ええ。おっしゃる通りです」

「二つ目の疑問点は、スタンピード如きで非常警戒宣言を発令する理由があるのか? という点だ。……まあ、座れマミヤ」

「いえ、結構です」

「座れ」



 それは有無を言わさぬ口調だった。……食えない男だ。マミヤは口の中で舌打ちを殺してからシネンの対面のソファに腰を落ち着かせる。そうして向かい合ってみるとさらに落ち着かない気持ちになってしまう。本当に嫌な男だった。



「で? マミヤ。俺様はおまえを買ってるぜ。おまえがたとえ俺様に靡かなかったとしても関係はない。俺様はおまえを買っている。おまえは優秀だ。だから本来であれば考慮にも値しないことをすこしは考えてやろうかなという気になっている。だがまだ頷けない。……ははは。焦っているな。いや面白い。おまえの焦っているところなんて何年も見てきていなかったからな? それこそ最後におまえが焦ったのは【原初の家族ファースト・ファミリア】が全滅したかもしれない! なんて誤報が入ったとき以来じゃないか? ははは! いやあ、あのときも傑作だった!」



 ……本当に嫌な男だ。相手の感情を逆なでするすべに長けている。なにより馬鹿で愚かな男のふりをするのが上手い。実際には知略に長けているというのに。


 マミヤはもはや表情を作ろうという気にさえなっていない。まるで嫌いな虫型の魔物でも見るかのようにシネンを睨み付けている。


 しかしてシネンは愉快そうに口角を上げるのみだ。シネンもまた己の愉悦を隠そうとはしていない。マミヤの焦りを娯楽として捉えているのだとあけすけにしている。



「……そこまで私が焦っていると見抜けるのならば、私を信じてくれていいんじゃないですか?」

「おや。あのマミヤが随分と弱気なことを漏らすじゃないか。何度でも言ってやるが俺様はおまえを買っているんだ。おまえが優秀な女であることを知っている。仕事が出来る。こいつは素晴らしい長所だ! だがおまえが誰よりも勝っている点。誰よりも優れている点。おまえは自覚しているか?」

「……」

。だからおまえは優秀なんだ。どんな馬鹿げた話であろうともまずは聞く姿勢を持っている。どんな馬鹿げた予想であろうともおまえは疑わずにしっかりと調査する。……だが俺様は違うんだぜマミヤ。俺様はおまえほど甘くない。いや違うな。俺様はこの冒険者協会において、。この意味が分かるな? マミヤ。たとえ信頼を置いているおまえの進言だったとしても根拠が揃っていなければ俺様は頷かないんだ。しかも非常警戒宣言? あり得ないぜ」

「でも、あなたは面白いことには目がない」



 マミヤは話を遮るようにして言っている。


 シネンが目を丸くする。その隙にマミヤは言葉を叩き込む。



「【ハートリック大聖堂】に連絡を」

「……は?」

「は? ではありません。【ハートリック大聖堂】に連絡を。これは簡単に可能でしょう。なんのリスクもない。冒険者協会の副会長であれば容易に普通のマナ回線を繋げることが出来る。そうでしょう?」

「……一体どういう風の吹き回しだ? なんの話をしている? マミヤ」

「頷いてください。これはなんのリスクもない話です。ただ【ハートリック大聖堂】に挨拶をすればよろしい。お久しぶりですと。お変わりありませんかと。そして数分の会話をもってマナ回線を切る。それくらいはしていただきたい。あなたが冒険者協会に来ない間、誰が回していたと思っているんですか?」

「……まあいい。ああ。頷こう。で? 【ハートリック大聖堂】にマナ回線を繋いでなんだ。挨拶をしてなんだ。それでどうなる? おまえの目的は違うところにあるんじゃないか?」

「いいえ、同じことです。――恐らく魔神が復活している。あなたは――副会長は誰よりも早くその情報をキャッチするのです。そして発令してください。非常警戒宣言を」



 まさか魔神が復活したと【ハートリック大聖堂】から情報をキャッチして、非常警戒宣言を発令しない……なんてことはないでしょう? 言外に告げるマミヤに対し、シネンの表情は本当の意味で凍り付いていた。


 ただシネンの目が正直に告げていた。……この女は気が狂ったんじゃないか? と。


 やがてシネンは言った。



「……なにを言ってるんだ、マミヤ。おまえ、気は確かか?」

「これはギャンブルですよ副会長」



 マミヤは真剣な表情で言う。気は確かだ。狂ってもいない。……これはギャンブルだ。【トトツーダンジョン】の異変。百二十年前との関連性。さらにププムルの姉である【王国魔術団】の優秀な団員からの報告。スタンピードの兆候。魔物の軍勢がこちらに向かっているかもしれない? ……ベットするには十分だ。


 魔神が復活している。


 そしてもしも復活しているのだとしたら【ハートリック大聖堂】がいち早くその情報をキャッチしているはずだ。……もしも復活していなかったとしても自分の評価が落ちるだけで済む。ああ。ただそれだけで済むのならばなんて都合の良い賭けだろうか?


 マミヤは微笑む。


 そしてシネンはどこか、飛び立つ前の雛を眺めるような表情をしたあと、席を立った。



「いいだろう。乗ってやる、そのギャンブルにな」



 ――そして【ライネルラ王国】の冒険者協会はどこよりも早く非常警戒宣言を発令することになる。


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