39.炎の流星群


   39



 そらに顕現した火球が空気を焦がした。


 熱波が皮膚を熱くさせる。


 しかし構っている余裕はない。


 空間におびただしく展開された魔法陣――複数の魔法陣が絡み合って強大な魔術は発動する。火球は僕に迫りながらに形を変えた。風の魔術によって――朱い竜のあぎと。魔人サダレが高い哄笑を上げるのが聞こえた。瞬間に炎の竜は僕を飲み込まんと大口を上げて襲い来る。


 木々の間に姿を隠しながら僕は避けようとする。けれどすべてを避けきることは出来ない。炎の竜を避けたところで――笛の音が鳴る。それは白い魔法陣から放たれた鋭い風の刃だった。避けられない。僕は判断してすぐに犠牲を選ぶ。身体のどこならば安いのか。そして選んだのは利き腕でもない左腕――前腕をえぐるように風が抜けていって血飛沫が噴いた。


 僕の顔からは、もう笑みは消えている。


 肉が裂かれて骨に至る。その激痛は余裕さえあれば絶叫によって誤魔化していただろう。けれど叫び声を上げる余裕すらもないのだ。木々の隙間で見る。さらに魔法陣が展開される様子を。その魔法陣が光り輝いて発動するさまを。


 炎の竜が再び火球に戻る。大きな火球に。それは目をいて、まるで太陽みたいに大きかった。暗い森が一瞬にしてまばゆい昼間みたいに照らされる。そして僕は思わず呆気にとられて口を開けてしまう。間抜けに……。



「――ほら、もう諦めていいんだよ? 人間。もうっ、もう、人間なんかにはどうしようもないんだからっ!」



 火球が膨張する。そして光っていた魔法陣がさらに輝きを増す。なにが起こるのか……。僕は自然とサバイバルポーチに右手を突っ込んでいる。ふと指に当たるのは封筒の感触だった。ああ……。『退職届け』か。まったく。こういうときにまで意識させないでくれよな。


 なんて。


 僕が封筒を退けて手の平に掴むのはビー玉のような小さな玉だった。そして煙草よりもすこし長いくらいの細い筒だった。



「楽しかったよ。寂しいけど、死んでばいばい、さよなら人間」



 魔人サダレが両腕を開いて天を仰ぐ。


 ――巨大な火球は無数の流星に分裂して大地に降り注ぐ。それは死というものを体現した光景だった。そして同時に綺麗だった。ああ。もしも世界の終わりというものがあるのならばこんな光景なのだろう。宇宙から降り注ぐ炎の流星が【惑星ナンバー】という世界を壊してしまうのだろう。


 でも僕には守らなければならないものがある。


 そして僕はビー玉のような小さな玉――宝玉を投げつけている。……倒れ伏しているみんなに向かって。宝玉はとあるダンジョンで採掘される希少な宝石を加工したものであり魔道具である。役割は一つ。……魔術の内包。


 みんなの近くで砕け散った宝玉は次の瞬間に光の魔術障壁を張り巡らせる。



『――ねえラズリー。これにさ、僕を守るための魔術障壁を込めてくれない? ほら。僕って避けるのは上手いかもしれないけど身体は弱いしさ。奥の手は持っておくべきだと思うんだよね』

『まあ、それはそうね。いいわよ。それ貸して? 一晩かけて超強力な魔術障壁を入れ込んでおくから。……どんな攻撃でもサブローに傷一つ付けられないくらい、強力な魔術障壁を』



 流星が降り注ぐ。


 僕の地点にまで魔術障壁は及ばない。


 僕はずっとみんなから離れて避け続けていたから。


 みんなを傷つけるわけにはいかないから。


 それはなにより僕の責任だった。


 そしてS級勇者としての意地だった。


 僕は――また微笑む。炎の流星群が僕を襲う。皮膚は焼ける。目も眩しさで見えなくなる。それでも避ける。避けきれない火球は傷ついた左腕を傘にして犠牲にする。ああ。血が焼けて止まるから一石二鳥だね。痛みは感じない。アドレナリンが痛覚を遮断してくれる。なにより痛みを感じる余裕もない。僕の身体はかれて傷つきながらも動いている。僕の目は灼かれてなにも見えずとも気配を感じ取っている。僕の脳は灼かれて回らずとも必死に考えている。


 熱波で喉と肺が焼ける。だから僕は呼吸すらも止める。生きるために最善を尽くす。……まだ死ぬわけにはいかない。まだ責任は取れていない。まだ【虹色の定理ラスト・パズル】と【竜虎の流星ダブルスター・ダスト】という未来の芽を潰すわけにもいかない。だから。


 だから僕は避けて生き残る。


 服は燃えて灰と化す。皮膚は焼かれて黒く焦げ付く。左腕はもう神経すら通っていないように動かない。全身の表面がぴりぴりと痺れるように痛む。喉も肺も痛む。呼吸すらも苦しい。でも僕は生きている。そうだ。生きているのならばそれでいいのだ。


 そして。


 次に呆気に取られているのは魔人サダレの方だった。


 彼女は僕とは違う綺麗な肌のまま草むらに立っていた。僕が炎の大地から生還して前に歩を進めるのを傍観していた。そして彼女は僕が口に咥えた細長い筒にすら気がついていないようだった。ただただ驚いているようだった。


 僕は細長い筒を口に咥えている。そして痛む肺を膨らませて息を吸い、鋭く吐く。それは毒針の吹き矢だった。ぽんっ。と場違いに軽い音が鳴って、銀光ぎんこうを煌めかせながら毒針はサダレの皮膚に刺さる。


 ちくり。と、きっとちょっとだけ痛んだことだろう。


 まあ、意味はない。


 弱い魔物には覿面てきめんに効果がある。しかして強い魔物には微塵も効かない。ましてや魔人が相手ならばなおさらだ。それこそ本当に蚊にでも刺されたかな? くらいの痛みだし、毒も回らないだろう。……でもいい。でもいいのだ。


 魔人サダレはようやく自分の鎖骨辺りに刺さった毒針に気がついた。そして普通に抜いた。……それを見ながら僕も筒を手放す。


 いつの間にか空間中に多重展開されていた魔法陣も薄く消え去っていた。……たぶん僕を殺したつもりでいたのだろう。僕が死んだと思ったのだろう。


 そして僕は言う。焼けて乾燥してガラガラにれた声で。



「お返しだぜ。ちょっとは痛かっただろ?」

「……人間、何者なの」

「勇者だよ。腐ってるけど」

「そうじゃない」

「?」

「サダレは名前を聞いてるの。人間。名前は?」

「サブロー。君のちゃちな攻撃を軽々と避けてみせた男の名前だ。よく覚えておくといいよ」

「……サブロー。ふうん。強いんだ、サブロー。びっくりした。……でも軽々しくじゃないよね。嘘はいけないってサダレは思うな。満身創痍じゃん! ぼろぼろじゃん!」

「これが満身創痍に見えるのか。魔人ってのは意外と神経質なんだね」



 僕はなんてことないように肩をすくめて言う。もちろん嘘だ。普通に満身創痍だ。普通に死にかけている。普通に全身が痛い。普通に横になりたい。普通に病院に行きたい。あるいは教会でプリーストに治療してもらいたい。


 でもそんな本心はおくびにも出さない。


 なぜなら――チャンスだから。


 ……ラズリーの全身全霊を籠めた宝玉の魔術障壁はまだみんなを囲っている。みんなを焼けた草むらから守り続けている。でもそれだけではない。この暗い森という環境からも守り続けているのだ。……であるならば。


 あとは僕が時間を稼げばいい。稼ぎ続ければいい。そしてサダレは僕に興味を抱いた。会話に乗ってくれている。つまりチャンス。この上ないチャンスなのだ。


 そして僕は言う。



「ところで二回もダンスに付き合った。やっぱり今度は僕の会話にも付き合ってもらわないとね。フェアじゃない。……そうは思わないかい? 魔人サダレ」

「……んー。サダレでいいよ。で、なに? いいよ。ちょっとは聞いてあげる」



?」



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