38.死の舞踏
38
さて。
仮説を立てよう。
まず一階層の草原地帯。恐ろしいほどに空間が広かったにも関わらず空気中のマナは薄かった。それはなぜか。僕は仮説を立てる。……魔人サダレがその身にマナを吸収してしまったからではないか。ゆえに空間だけが広くマナは薄かった。
根拠はなにか。
――サダレの全身から噴き上がるマナが形を変える。「あはははははっ!」と愉快な哄笑を響かせながらサダレは両手を広げた。瞬間、マナは無数の青いガラス片のように硬質化して空に舞い上がった。
そして。
サダレが両腕を僕に向ける。それが合図だった。無数のガラス片が僕に目がけて空を滑空してくる。――雨には傘が必要だ。僕は瞬時に判断して木々の間に身体を滑らせる。ガラス辺が勢いよく幹に突き刺さって硬い音を立てるのが聞こえた。
けれど、まだだ。
木々の隙間でサダレが両腕を動かすのが見えた。その動きに共鳴して空に滞在しているガラス片も動きを変える。――まるで風のように。上下左右・前後に、まるで生きているかのように、まるで竜の息吹のように、ガラス片が空気中を踊る。円を描くようにして木々を避けて僕に突き刺さんと迫る。
ダンス。
死の舞踏。
僕も――僕も踊るように避ける。身体が動く。身体は軽い。眼前すれすれを青いガラス片が通り抜けていく。――なぜ身体は軽いのか。マナだ。僕は理解している。僕の頭も驚くほど冷静に動いている。身体と頭のコンディションが最適化されている。
濃すぎるマナは適応できていない人間にとって毒として働く。けれど適応できるのであれば薬なのだ。そして僕は適応している。なぜなら僕は腐ってもS級勇者だ。様々なダンジョンに赴き様々な修羅場をくぐっていままで生き抜いてきたのだ。
そして僕はすべてのガラス片を避けきった。
……地面に刺さったガラス片。幹に刺さったガラス片。それらすべては音もなく砕けて粒子となった。そうして逆再生を描くかのように魔人サダレの身体へと戻っていく。……おいおい。僕は笑うことしかできない。せめて魔人サダレのマナを減らした、と思いたかったというのに。規格外にも程があるだろう。
まあ、分かっていたことでもある。そして、諦めることは得意だ。
さて。
僕に出来ることはなんだろう? 魔人サダレが青白い皮膚にマナの粒子を吸収していく光景を眺めながら僕は思う。……その光景っていうのは場違いだと分かっていながらも神秘的だった。まるで二重に交錯する虹みたいに不可思議だけれど人の心を揺らすなにかがあった。
それでも僕は自分の視線を横に這わす。そこには倒れ伏したままの【
僕が調査を続行すると言ったのだ。そしてこの結末を招いた。であるならば僕は自分自身で彼らに報いなければならない。彼らを生きて帰さなければならない。
そうだ。
僕に出来ることは分からない。ただ僕がしなければならないことはある。……まず時間を稼ごう。頑張って。なんとかして。……まず彼らが起きるだけの土俵を作らなければならない。そして彼らが必死に生き延びるための可能性の芽を探さなければならない。
絶望的に干からびた
そして僕は言う。すべてのマナを自分の身に戻した、魔人サダレに。
「ここまでダンスに付き合ったんだ。ちょっとくらいは僕にも付き合ってもらいたいな」
「んー? なに。人間のダンス? 嫌だよ。あくまでも人間がサダレのダンスに付き合うのっ」
「ダンスじゃない。会話だ」
「会話? なんで? 人間なんかと話すことなんてないよ。だって人間って馬鹿じゃん!」
「君のマナには精神感応作用がある。それは意図しているものかい?」
すると不思議そうにサダレは首を傾げた。
……
フーディくんやププムルちゃん達がいきなり取り乱した理由は別にある。それはたぶんこの空間――暗い森にある。背が高すぎて枝葉すらも拝めない木々にある。あるいはそんな闇を
けれど的外れな発言というものは得てして興味を惹くものだ。なによりも知能のある存在は『間違いに気がついたら正そうとする』ものだ。ゆえに――魔人サダレは僕の狙い通りに口を開く。会話をしてくれる。
「なに言ってるの? 人間。人間はやっぱりお馬鹿なんだね。頭が悪いんだね。弱々なんだね。雑魚雑魚なんだね。目が腐ってるんじゃないの?」
「そうかな。僕には君のマナに異常があるように思えたんだけど」
「あるわけないじゃん。サダレのマナは完璧だよ? 変な作用とかもないの。純粋無垢なんだからね。てゆーか、やっぱり人間ってお目々が可哀想なくらいに腐っちゃってるんだね?」
「そうかもしれない。でも、どうだろう。腐った目でも君の攻撃は避けられちゃうね」
僕は肩をすくめる。そうすれば露骨にサダレは顔を険しくさせた。そうして子供のように頬を膨らませる。
「むぅ。なんか人間勘違いしてない? サダレは遊んでただけなんだけど。まだ身体を取り戻して間もないから、ゆっくりストレッチするみたいにしてウォーミングアップしてただけなんだけど?」
「うん。子供らしい言い訳だ。身体を取り戻して間もない……っていうだけあるね? ていうかそれ、僕に教えてもいいの? 重要そうな言葉に聞こえたけど」
「? べつに教えてもいいんだよ。だってどうせ殺すしー」
「殺せるかな? 僕、避けるのは上手いよ。ダンスも実は得意なんだ」
「避けるのが上手いからなんだっていうの?」
むつけるようにサダレは言う。そしてその言葉を受けて僕は笑ってしまう。それはなにより僕自身が自覚していることでもあるからだ。まったくもってその通り。避けるのがうまいからといってなんなのだ?
それに。
……僕は右足に意識を向ける。右足のふくらはぎ。……気のせいではない痛みがある。痺れにも似た痛みだ。それなりに深く傷ついているような気がする。たぶん血も流れている。……すべて避けていたつもりではあるけれど、どこで切られたのか。
でも僕は笑う。
最大の危機には余裕の笑みを浮かべるように、僕の表情筋は鍛えられているのだ。
「――避け続けることが出来れば、負けないんだ」
「……やっぱり人間って馬鹿。それ、本気で言ってるんだ? ふぅん。……べつにいいよ。サダレが、
次の瞬間――サダレを中心として、種々雑多な色の魔法陣が多重展開された。
――第二ラウンド開始だ。
「踊りなさい、人間」
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