37.魔人サダレ


   37



 ……なにも隠していない裸の女性を見たときの正常な反応ってなんなんだろう?


 僕は自分の視線が女性の際どいところに吸い込まれそうになっているのを自覚しつつ思う。本当に男っていうのはどうしようもない馬鹿なのだ。自分自身が馬鹿だからよく分かる。こんなときにも本能というものには抗えないものなのか。


 わあ! とかって驚くのが正常な反応なのだろうか。それともいまの僕みたいに無言でノーリアクションが正常か。ああ。これが街中とかならば近くの騎士団の詰め所に報告でもするべきか? あるいは「どうしたんですか?」と紳士的に事情でも訊きにいくのか。はは。笑える想像だった。


 場違いな想像は僕の悪い癖だ。要は現実逃避である。


 僕の背後でなにが起きているのか。僕はそれを見なくとも理解出来ている。……みんな倒れている。生きているのか死んでいるのかは不明。しかし現状が長続きすれば高密度のマナによってなんらかの障がいがが残ってしまう可能性もある。あるいは息絶えてしまう可能性すらもある。


 本当の絶体絶命か。


 なにが原因か? 脳裏に浮かぶのはいきなり僕の胸ぐらを掴んだフーディくんの血走った目である。突然の激高である。なにが原因なのか。それは詳しく分からない。けれど元凶は分かる。


 裸の女だ。


 人間――ではない。


 僕の方にゆっくりと歩いてくる彼女を僕は観察する。


 生気をまるで宿していない青白い肌。神秘的なまでに輪郭を形作られたスタイル。光虫に照らされるのは青みがかった銀髪だった。その精巧な造りをした顔の両目も銀色に輝いていた。……歩き方には軸のブレというものがまったく存在していない。これはあり得ない。どんな達人であろうとも歩き方には癖によるブレが生まれるものなのだ。それがない。まるでマナによって作られたロボット……。


 一瞬だけロボットの線を疑った。けれどすぐに否定する。これはロボットなんかではない。生きている。生きているのに完璧なのだ。だから……だからこそ、不気味なのだ。


 


 彼我ひがの距離は五メートルほど。それだけの距離を残して裸の女は立ち止まる。僕の方を見ながら。……銀色の瞳が僕を観察している。僕が女を観察していたように女も僕を観察している。そうして永遠にも一秒にも感じ取れる時間の流れがあった。


 やがて女は言った。すべての遮蔽しゃへいをすり抜けて鼓膜を直接くすぐるような、透き通った声音で。



「ねー。なんで君は倒れていないの?」



 それはまるで物心のついていない子供が母親に訊ねるような聞き方だった。ねえお母さん。なんであの人間は倒れていないの? 他の人間はみんな倒れているのに。……なんて。


 言葉はもしかすると返すべきではないのかもしれない。なぜなら明らかに敵だからだ。僕はこの女こそが元凶だと気がついているのだ。……フーディくんに引き返すべきだと告げた。あのときに僕は得たいの知れない悪寒に背筋をおかされていた。それこそそれは虫の報せにも近かった。


 なにか、僕たちだけでは絶対に敵わないような凶悪な力を持つ存在が、こちらに、近づいてきている……。


 予感があった。というか実際に僕は見ていた。高密度のマナに満たされた空間の流れから。察していたのだ。でも遅かった。すべては遅すぎた。……螺旋階段は上るべきではなかった。膜はくぐるべきではなかった。調査はすべきではなかった。



 ――全部、僕が悪いな。



 僕は罪悪感を自覚しながら息を吐く。そうして言葉を返すことに決める。なぜならどうせ敵わないから。僕ひとりではこの女には敵わない。というか【虹色の定理ラスト・パズル】と【竜虎の流星ダブルスター・ダスト】が万全の状態で揃っていたとしてもかなり厳しい。


 そして僕は諦めたように言う。



「耐性があるんだよ、いろいろと」



 厄介なことにね。と僕は言葉を付け足しておく。人によって羨ましいと思うかもしれない。けれど僕としてはとんでもない。いまだって本当はみんなのように気絶しておきたいのだ。ひとりだけで得たいの知れない女と対峙するくらいであるならば気絶しておきたい。意識を飛ばしておきたい。耐性なんていらない。


 そして女は僕の言葉に対してと首を傾げた。よく言葉の意味を理解できていないのだろうか。本当に子供のような存在である。……いや。


 本当に子供なのかもしれない。僕は思い直す。身体は人間の大人である。しかし精神面はどうだろう? もしかするとまだ生まれたばかりなのかもしれない。だからこそどこかチグハグさのようなものを感じ取ってしまうのかもしれない。


 女は小首を傾げながら言う。



「人間のくせに。生意気なんだね」

「……人間のくせに、か。まるで自分が人間じゃないみたいに言い草だね?」

「? 人間じゃないよ。サダレは魔人。下等な劣等種とは違うんだよ?」

「なるほど。選民思想が強いね」

「せんみん? ってなに? 当たり前のことをサダレは言ってるんだよ?」

「弱者に優しく。っていうのが本当の強者だと思うけどね、僕は」

「んふふ。なに言ってるの? 人間」



 微笑み――それは容姿に見合った妖艶な微笑みだった。それまでの大人の身体に子供の精神というチグハグな感じではなくなった。サダレ――たぶんそれがこの女の名前なのだろう。


 サダレは艶やかな色香の漂う微笑みを浮かべたままに言う。



「弱者は踏み潰す。それが強者の役割なんだよ? 人間。――。んふ。んふふふふっ。強い魔人っ。強すぎる魔人っ。あー。あー! だんだん、思い出してきたよー人間っ。サダレの役割。サダレのするべきこと……! あははははっ! うん。殺しちゃおっかな、人間」



 そして僕は――屈んだ。


 刹那。


 僕の首があったところを抜けていく風の刃がある。



「ええっ!? すごい! あはっ。ダンスがうまいんだねー人間はっ。うん。死の舞踏――サダレと一緒に踊ろうかっ!」



 まるで天使みたいに天真爛漫にわらって、魔人サダレは全身からマナを噴き上げた。


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