46.挑発


   46



 ――落ちくぼんだ眼窩がんかまっている眼球は悪逆の男とは思えないほどんでいる。まったく濁っていない。同時に、鋭い。


 でもそれは悪逆ゆえに澄んでいて綺麗で透明なのだと僕には分かっている。……余計なものを捉えないのだ。暴力という名の唯一無二を持っているから。人を殺すことにさえドラゴンは躊躇ためらいを見せないところがある。たぶん人をとしか捉えていないのだろう。もしかすると人間とすら思っていないかもしれない。


 命。


 奪うか奪わないかの判断だけをドラゴンはすればいいわけだ。……まあそれは極端過ぎるかもしれないけれど。でもたぶん僕の思考は間違っていないはずだ。ドラゴンはそういう風に物事を単純化する能力に優れている。ゆえに迷わないし悩まない。


 僕とは真逆だね。


 そしてその思考と性格こそがドラゴンの瞳を透明にさせているわけだ。



「随分とズタボロじゃねえか。サブロー。よく生きてたな」

「……まあね」

「で、はやく答えろよ。どっちだ? どっちをればいい」

「あっち」



 と僕が指さすのはもちろんサダレの方である。


 ……サダレはララウェイちゃんに右腕をもぎ取られたときよりも唖然としていた。呆然としていた。まったくもって現状を理解できていない表情でぽかんと間抜けに口を空けていた。それはなぜなのか。


 未だにドラゴンの片手には【大罪の悪魔デーモン・ロード】の首が握られている。ダンジョンの前で出会った【大罪の悪魔デーモン・ロード】の、立派な山羊の角をドラゴンは握ってここまで歩いてきたのだ。……重くないのかな? という疑問はまったくもって場違いなものであるだろうか。


 そしてドラゴンの眼光が魔人サダレへと向く。ドラゴンは言う。



「強そうじゃねえか」

「強いよ、実際」

「俺とどっちが強い?」

「あっちかな」

「そうか。なら良いんだ。……やる気が出るからな」



 ドラゴンの両の口角がじわじわと上がっていく。それは本当に嬉しそうなときにドラゴンが浮かべる表情だった。小学校のときに馴染みの駄菓子屋でよく浮かべていたときの表情とまるで変わらない。うんうん。そして僕はドラゴンが嬉しそうだと幸せだ。やっぱり友達だからね。


 そうして笑みのままに次にドラゴンが透いた視線を向けるのはララウェイちゃんだった。ララウェイちゃんは【大罪の悪魔デーモン・ロード】の断末魔の表情を見てどこか複雑そうな顔をしていた。もしかしたら魔族として知った存在だったのかもしれない。


 とはいえドラゴンにそんな事情は関係ない。お構いなしだ。……というかドラゴンとララウェイちゃんは初対面である。まあ。そもそもララウェイちゃんは僕以外の人間とは会話すらしないのだけれど。



「で? サブロー。こいつはなんだ? こいつも敵なのか?」

「いや、味方。僕の友達だよ」

「吸血鬼だろ? こいつ。血のにおいが濃いぜ」

「そうだよ。でも僕の友達だ。協力者でもある」

「そうか。こいつも強いのか?」

「……後から来た身でほざくなよ、小童こわっぱ。我は貴様の何倍も強いぞ」

「そうか。だが味方だろ?」

「うん。味方だよ」

「そうか。ならどうでもいい」



 それでドラゴンは興味を失ったようにララウェイちゃんから視線を外した。……どこか拍子抜けするのはララウェイちゃんの方である。「え、それで我とのやりとりは終わり?」とララウェイちゃんの表情が物語っている。だが終わりだ。ドラゴンとはこういう奴なのだ。


 味方よりも敵に興味が湧く。それがドラゴンという悪逆の男の性質だ。【原初の家族ファースト・ファミリア】が例外なのは『幼い頃からの友達』という前提があるからだろう。もしもそれがなければ自分の所属しているパーティーの仲間にさえドラゴンは興味を湧かせなかったはずだ。そしてきっと孤高の男になっていただろう。孤高の冒険者。あるいは孤高のギャングに。


 またドラゴンは魔人サダレへと視線を向ける。


 ……サダレはようやく口を閉じることに成功したようだ。そうして不愉快そうにドラゴンと顔を見合わせる。



「なにこの人間。なんかちょっとキモい。サブローの仲間? 勇者の仲間って感じじゃなくない? ってサダレは思うけどなー。すくなくともサダレの知ってる勇者の仲間とは違う」

「誰がなんと言おうと僕の仲間で友達だよ。君に否定されるいわれはないさ」


「おい。おまえ、そこのサダレとかいうやつ。……こいつを知ってるか?」



 僕とサダレのやりとりなんてお構いなしにドラゴンは言う。そして彼がおもむろに持ち上げるのは【大罪の悪魔デーモン・ロード】の生首である。……断末魔の表情は凄絶な戦いの様子を表現している。一体なにがあったのか。なにがどうして【大罪の悪魔デーモン・ロード】の生首をドラゴンが持っているのか。


 まあ。


 戦ったのだろう。そしてドラゴンが勝った。それだけは確かだ。



「……知っているから、なに? 【大罪の悪魔デーモン・ロード】でしょ。うん。昔からよくサダレに尽くしてくれていたからね。で? だから、なに?」

「こいつは、そこそこ強かった」



 ――ドラゴンが【大罪の悪魔デーモン・ロード】の生首を地面に落とす。ぼとり。重い質感の音が鳴る。生首はすこし跳ねたあとに、横を向くような形で静止した。


 その様子をサダレは表情を歪めて見る。ああ。歯を食いしばっているのがよく分かった。



「だが、俺が勝った。つまり、俺の方が強かった」



 ドラゴンはその【大罪の悪魔デーモン・ロード】の生首を踏み潰す――寸前で足を止めた。……刹那、サダレの表情が殺意に満ちた。それまで僕に見せていた表情とは百八十度違っていた。ああ。


 サダレから余裕が消えていっている。僕にはそれが分かる。怒りの感情に支配されつつあるのだ。両の拳も強く強く握りしめられている。


 そしてドラゴンは【大罪の悪魔デーモン・ロード】の生首をまた持ち上げる。今度は優しく近くの木の根元に置いた。



「――おまえはどうだ? おまえは俺よりも強いらしいな。サブローが言うんだから間違いがねぇ。だが、知ってるか? 。――おまえは俺に勝てんのか?」

「……いいよ。殺してあげる。殺してあげるよ。ちゃんと殺してあげる。うん。殺す。殺すよ。ちゃんとね」



「……なあサブロー。ところでこれ、我いるか?」

「いるいる。ていうか、ちょっとストップだな。僕もちょっと目を休ませないといけないしね。それに――――これは僕の戦いなんだ。ドラゴンに横取りはさせないよ」



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