45.悪逆の男


   45



 ――銀髪紅目のゴスロリチックな吸血鬼。



「悪いサブロー。遅くなってしまったな?」

「……本当だよ、まったく」



 なんて僕は軽く言って笑う。けれど本当にうまく笑えているだろうか? かすんでぼやけた視界は白い膜が張っているようで曖昧だ。ララウェイちゃんの表情もよく見えない。そして何度も目を擦るけれど膜は取れない。まったくもって不快だ。とはいえこれは初めての症状でもない。勇者になりたての頃は自分の限界を知らなくて何度も何度も同じような表情に悩まされたものだ。


 ということで僕は対処法として極限に目を細めて眉間に皺を寄せる。……うん。ララウェイちゃんがよく見える。


 ララウェイちゃんがサダレからもぎ取った右腕も、その右腕から流れ出る滝のような血液も、よく見える。……魔人の血は人間と変わらない色をしている。変わらない臭いをしている。



「ダンジョンに湧いている魔物の処理に時間が掛かった」

「……ああ。なるほどね。ありがとう」



 魔物が湧かないという違和感はサダレにあると思ったけれど違ったのか。ララウェイちゃんがひとりで処理してくれていたのだろう。ゆえに時間が掛かった。


 それでもララウェイちゃんが魔物を処理してくれていなければ僕たちはそもそも生きてはいなかったかもしれない。サダレと対峙する前に消耗していたはずだ。そして僕も目をいま以上に酷使して、そもそもサダレとの舞踏を避けきることは出来なかっただろう。


 まったく感謝しかない。持つべきものは友と仲間である。



「それより、身体は大丈夫なのか? 我に出来ることはあるか」

「もちろん。やってもらわなくちゃいけないことは多いよ。ララウェイちゃん」

「……そうか。難敵だものな」

「うん。僕が見てきた中だと、一番だね」

「……弱気なことは言いたくないが、我でも怪しいぞ?」

「大丈夫。持つべき者は友だし、仲間だからね」



 僕とララウェイちゃんの視線は魔人サダレに向けられる。


 ……サダレはと間抜けな表情で自分の右肩を見ていた。腕がもぎ取られて随分と軽そうになった右肩を見ていた。そこから噴水のように噴き出ている自分の血を見ていた。……血は噴き出て噴き出て止まらない。たぶん人間であれば余裕で失血死のラインを越えているだろうに止まらない。無限に湧き出るかのように止まらない。


 人間のようでいて人間ではない。魔人。その血の原理はどのようになっているのだろうか。大量の血が流れ落ちているというのに貧血を起こすような様子もない。焦っているような素振りすらもない。ただただ、自分の血を間抜けに見つめている。


 まるで珍しい蝶々でも目で追っているかのように。


 やがて。


 やっと魔人サダレは血を止める気になったようだった。そして止めるのは一瞬だった。「ふんっ」とすこし気張るような声を出したら次の瞬間には血が止まっている。そして――まるで木の根が土中に伸びていくかのように腕が再生していく。にょきにょきと……。


 驚きはしない。これくらいは想定内だ。


 そしてサダレは僕たちの方を向いた。その目は僕を見てからララウェイちゃんを見据える。……サダレは小首を傾げて言った。



「あなた、吸血鬼だよね。魔族だよねー? なんで人間の味方してるの?」

「友達だからだ」

「……? 言っておくけどサダレ、裏切り者には容赦しないからね。普通に殺すよ」

「貴様の血は良い味がするな?」



 微笑み、ララウェイちゃんはもぎ取った右腕の血を啜った。それはまるで溶けかけのアイスクリームを吸うような仕草だった。まったくもって言い訳不要の挑発である。いや中々、ララウェイちゃんも良い性格をしているようだ。


 サダレは怒る……かと思ったけれど怒らない。直情的にはならない。子供の精神ゆえの短絡さが現れるかと思ったがそこまで単純でもないようだ。掴み所がない……。というのは僕が指摘できた場所ではないか。僕こそよく人に「掴み所がない」と言われるしね。


 さて。


 ララウェイちゃんという強者がもたらしてくれる安心感ゆえか。どことなく僕も余裕を取り戻していく。いままでの死の淵にいたという実感も薄れていく。そして僕は息を吸い、吐く。鎮痛剤のお陰で全身の痛みはいくらかマシになっていた。


 サダレはそんな僕の様子を見てから言う。



「友達に頼る。それがサブローの言っている本気なの? ……だとしたら拍子抜けも良いところだよ。本当に失望しちゃうな」

「誰かを頼るっていうのはそんなに悪いことじゃないと思うけどね」

「そんなの知らないよ。がっかり、って感じ。……所詮は人間だね。そんなので勇者なんて名乗らないでほしいな」

「……サダレには友達や仲間がいないのかい」

「? いるよ。。でも頼ったりなんかしない。サダレはひとりでも強いし。サブローとはぜんぜん違うんだよ。なにもかも違うんだよ。……あーあ。本当に。時間を無駄にしちゃったなぁ」

「悪いけどまだまだ無駄にしてもらう」

「無理だよ。……そんな吸血鬼、奇襲が成功してようやくサダレの腕が取れる程度だもん。あ。ちなみに首とか狙ってたら逆にサダレの餌食だったからね? ……ま、なんでもいいけどさー、もう」

「ちなみに」



 と僕はサダレの言葉を遮るようにして言う。実を言うと僕はもうすこしだけ時間を稼ぎたいのだ。あともうすこし。ほんのすこし。ちょっとの間だけ。その僅かな間だけサダレの気を惹ければそれでいい。


 サダレがすこし小首を傾げる。そして僕は言う。



「持つべき者は友であり仲間なんだ。この意味が分かるかな」

「……? だから友達に頼るってことでしょ? その吸血鬼に頼るってことでしょ? 分かってるよ。なに? さっきから時間を稼いでいたのはその吸血鬼を呼ぶためなんでしょ。もういいじゃん。終わりにしよーよ。サダレも飽きてきたしさー」

「ララウェイちゃんは友達だ。でも仲間かと言われると、ちょっと微妙だな」

「おいこら。すこし傷つくようなことを言うな」

「ごめんごめん。でも実際にそうだ。僕の仲間っていうのは――【原初の家族ファースト・ファミリア】を指して言っている」

「それがなに? パーティーの名前とかべつにサダレ興味ないけど?」

「嫌でも興味が湧くことになるよ」



 と。


 たぶん。


 僕は神様に愛されている。


 と思うほどのタイミングの良さで――異様な気配が表出する。


 それはサダレの奥にある。最初に僕が気がつく。次いでサダレとララウェイちゃんが気がつく。三人分の視線が暗い森の奥へと向かう。木立の隙間へと向かう。光虫の飛び交う先へと向かう。


 そして僕だけが気がついている。


 その気配の正体に。


 ――ぬるり、と。


 思わず背筋を凍り付かせてしまう無気味ぶきみな気配は悪逆の気配である。色に喩えるのならば文句なしの黒。悪の黒。


 そして、生首。


 が手に持っているのは生首である。魔物の生首である。ああ。ああ! 僕はその魔物を見たことがあった。つい最近。というよりつい数時間前に。ダンジョンの扉を抜ける前に。



 ――【大罪の悪魔デーモン・ロード】の、生首。



 やはり、持つべき者は友であり仲間だな。


 長身痩躯のスキンヘッド――悪逆のギャングに、僕は片手を挙げて言った。



「遅いぜ。死にかけになっちゃったじゃないか」


「悪い、待たせたな。で? 俺の敵はどいつだ」



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