44.開花


   44



 ――死にかけの虫。


 魔人サダレにとって目の前で強がる人間は死にかけの虫にしか見えない。


 満身創痍。痛々しい火傷の痕。さらに新しい傷によって足下には血が垂れている。そうして深い緑の草を赤黒く染めている。嗚呼ああ。まさに散り際の虫に等しい。薄く透明な羽根をもがれた虫。じたばたと藻掻もがくための細い細い足をもぎ取られた虫。地面に仰向けに倒れて自由に動くことも出来ず、もうあと数時間も生きてはいられないだろう虫。……虫だ。


 死にかけの虫だ。その死にかけの虫が言う。……まだ本気を出していないと。


 なんだ? それは。戯れ言にも程があるというものだ。その虫じみた肉体でなにを抜かしているというのか。なにを強がっているというのか。……もしもこれが興味の湧かないただの人間であればサダレは遊ぶことなく殺していただろう。果実を摘むような気軽さで虫の命を散らしていただろう。


 それでも。


 サブロー。


 名前を知る興味が湧いたのはなぜだろう?


 ……目を覚ました直後に感知したのはの気配と――自分と同じ領域に足を踏み入れている異物の気配だった。そして魔神サダレは朝に散歩でも行くような気軽さで異物を見に行った。暗い森に漂う瘴気と濃度の高いマナは散歩に適していた。異物はすぐに見つかった。けれど同時につまらぬものでもあった。


 なぜなら既にすべての虫が死んでいたから……。


 と、思っていたのだが一匹。一匹だけ生き延びている虫がいた。この魔人と対峙しても微笑む余裕のある虫がいた。……とはいえ虫は虫だ。力はまるで感じない。なにか運が作用して生き延びているのだろうと思った。ゆえにすぐに散らすつもりだったのだが……。


 満身創痍ながらもここまで生き延びている。虫。サブロー。


 そして――いまも、サブローは、死なない。


 死の舞踏。今度は一緒に踊るつもりでサダレは笑った。虫なんかと踊るつもりは微塵もなかったのに。でもいまは踊ってもいいと思える。癪だけれど……。ダンス。ダンス。ダンス。ダンス。ああ――ハイな気分っ! 最高にハイな気分っ!


 サダレの繰り出す拳撃けんげきをひらりひらりとサブローは躱す。それがなぜだか嬉しい。簡単に死なないのが嬉しい。いつも……いつも? いつもってなんだろう? 踊りながらにサダレは首を傾げた。遙か昔の記憶と混同しているのだろうか。


 サダレのハイキックがサブローの顎の下を抜ける。代わりにサブローが足払いでサダレの軸足を狙ってくる。それをぴょんと跳ねてサダレは躱す。けれど浮いた身体にサブローが身を寄せて――両手でとん、と気軽に押される。思わず笑ってしまう。空中で押されたサダレの身体が崩れる――わけがない。空中を蹴って体勢を整え――そのまま空中に浮いて拳を振るう。けれどこれも距離を取られて躱されてしまう。


 うん、中々。


 中々、良い。


 ……でも。


 虫にあるまじき回避の上手さだったとしても、ダンスの上手さだったとしても、それでも肉体は虫なのだ。虫にしかサダレは思えないのだ。そして実際に虫なのだ。……だから。


 だから完璧に避けたように思えてもその肉体は傷ついている。


  一息つく。そうして落ち着いてからお互いにお互いを観察する。お互いに視線と視線を交錯させて、まるで睦言むつごとを交わし合ったあとの男女のように視線だけで相手を気遣う。……まあ、気遣っているわけではない。サダレはサブローの傷を確認している。そしてサブローは……なにを見ているのか。サダレには分からない。


 サブローは傷ついている。


 拳撃は当たらなかった。それでも拳撃が発する衝撃波までもを避けているわけではなかった。蹴りも直撃こそしなかった。それでもやはり皮膚のすれすれを掠めてサブローの肉体を傷つけていた。その皮膚を切っていた。血管を切っていた。血を流させていた。


 終わりは近い。


 きっとお互いにそれを理解している。


 そしてサダレは言う。



「……サダレさ、勇者っていいなって思うんだ」

「……いきなりどうしたんだよ」



 軽く肩をすくめるサブローには、それでも先ほどまでの元気が足りていない。どこか気力のようなものが欠けているような気がする。威勢も悪い。……血が抜けすぎているのかもしれない。血がなければ人間は生きていけないのだ。魔人とはそもそも身体の構造が違う。



「脆弱な人間の癖してさ、人間にあるまじき強さを持っていてさー」

「……勇者ってのを知ってるんだ? 君は」

「知ってるよ。昔はしのぎを削った仲だしね? ……強かったなぁ。ライバルだったなぁ。あのときの勇者達は」



 


 


 勇者は強かった。まごうことなき勇者だった。そんな勇者にサダレは憧れた。強きライバルとして認めていた。他の人間という名の虫達とは一線を画す。ああ。昔の肉体はよく勇者達によってボロボロにされたものだ。まるでいまのサブローのように。けれどそのたびにサダレは強くなっていった。強く――強く強く強く強くっ。勇者よりも強く!


 けれど、いまは、どうだ?


 勇者を名乗るサブローを見る。……これが勇者? 避けるのはうまい。けれどまったく攻撃はしてこない。しかも避けたようでいてすべてを避けきれてはいない。気がつけば傷ついている。余裕そうでいて呼吸も息苦しそうだ。


 ああ。


 これがかつての勇者達だったならばどうだ? もちろんサダレの舞踏をすべて避けきることは出来ていなかっただろう。拳撃は当たっていた。キックも当たっていた。それでも反撃があったはずだ。なにより風圧や衝撃波などで傷ついたりもしていなかったはずだ。つまりは互角だっただろう。



「サブローはさ、勇者なんだよね? そう言ってたよね?」

「まあね。言っていたかもしれない。というか勇者には違いない」

「でもね、サダレからしてみればね、虫なんだよ」

「……虫ねぇ」

「サブローは虫。散り際の虫。死にかけの虫。……まだ本気を出していないっていうなら、はやく本気を出してほしいんだけど? サダレ、そろそろ飽きちゃうよ」

「さっきも言ったけど、仲間がいないと僕は本気を出せないんだよ」

「なにそれ? サダレの知っている勇者はね、孤独なんだよ。仲間を率いているけど、でも実際には孤独なの。サダレには分かる。勇者ほどの強さを持っている人間はいないからさー。仲間なんていてもいなくても同じ」

「うん。まあそれは、君の知っている勇者像だ。いまの時代は違うんだぜ。仲間と支え合ってこその勇者だ」

「そんなの勇者じゃない。光に群れる虫と、同じじゃん?」



 ――殺そう。


 もういいや。


 サダレはどこか諦めを抱いて思う。失望を抱いて思う。もういい。もういいや。すこしは遊べる相手だと思った。すこしは興味を抱いた。名前を知った。でもいい。虫だ。虫のまま変わらない。サダレの好きな勇者とは違う。……殺す。


 確かな殺意が体内のマナを蠢かせる。


 そしてサダレの目つきが変わった瞬間――サブローは言う。



「後悔するって言っただろ? サダレ」

「……? なにが」

「僕に本気を出させたら、君は後悔するって」

「なんの話?」

「種は蒔いていた。そして、水もあげた。ならばあとは、咲くのを待つだけだ」

「はあ?」

「後悔してもらう」



 気配が、変わる。


 サダレの気配と同様に、サブローの気配が。



 ――かつての勇者達と遜色ない、強者の気配へと――



 そしてサブローは、小さく、花を愛でるように、囁いた。



「おいで、ララウェイちゃん」



「――――貴様の右腕、貰っていくぞ」



 瞬間、背後からの強襲が魔人サダレの右腕をもぎ取った。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る