43.可能性の種


   43



「少年。きみは花をちゃんと咲かせられる大人になりなさい」

「……いきなりなに言ってるんですか? 師匠」



 十四歳。夏の終わり。夕暮れどき。


 長期休暇を利用してキサラギ師匠を訪ねていた僕はいつものようにボコボコにされて平原に倒れ伏していた。でも気分はそんなに悪いものじゃなかった。久しぶりの修行だから楽しんでいるようなところが僕にはあったのだ。


 それに師匠にボコボコにされるっていうのは痛みとか苦しさばかりではないのだ。充実した疲労感のようなものがある。それこそ難題を解決した後に飲むコーヒーのように。あるいは肉体労働のあとに飲むエールのように(ライネルラ王国では十三歳から飲酒が可能である)。


 ということで僕はぼろぼろになって夕暮れを眺めながら言っていた。太陽は真上ではなく遠い山の稜線の向こう側にあった。空の色は赤ではなく夜の気配を匂わせる群青ぐんじょう。それでも雲だけはまだ赤く染まって自分の存在をこれでもかと主張していた。


 師匠は言う。僕の視界には入らず、声だけを響かせる。



「なにを言っているもこうもないさ。私の言葉は私の言葉の通りに受け取りなさい、少年。きみは花をちゃんと咲かせられる大人になりなさい」

「……趣味としてガーデニングでもしろってことですか。大人になったら」

「ふふ。私がそういう意味で言うと思うのかい。だとしたら信頼関係の構築がうまくいってない証左だね。あぁ。今日は満天の星空になりそうだ。夜目よめの訓練でもしようか」

「べつにそれは良いですけど……。師匠、いろいろと回りくどいんですよ。いつも」

「ふむ。……つまりは、いつでも花を咲かせられるように動きなさい。ということだよ」

「ぜんぜん分かんない」



 僕はくたびれすぎていてどうでもよかった。もはや考えることを放棄していた。それも仕方がない。まだ僕は十四歳だったのだ。少年といっても差し支えない年齢だったのだ。朝から夕暮れまで稽古で肉体と精神と思考を疲弊させていたのだ。だから僕は大の字で横たわったまま目を瞑る。


 自分の近くに寄ってくる師匠の気配だけに意識を向けた。たぶん師匠は苦笑を浮かべていたことだろう。そのまま師匠の気配は僕の足下で止まった。そしてくすぐったい感触が太ももを襲う。……そのくすぐったさはすぐに快感に変わっていく。



「ぁ~」

「まったく。私をなんだと思っているんだい、少年は」

「師匠は師匠」



 一日の終わりのマッサージ。それは朝に必ずおこなう柔軟体操のように日課でもあった。特に師匠との修行がある日は師匠がマッサージしてくれるから至福だ。自分でやるマッサージよりも何倍も何十倍も心地が良い。それはたぶん師匠が何らかの魔術を発動させている影響もあるのだろう。


 そして僕は師匠にマッサージをさせながら言う。……まったく。思い返してみれば僕はとんでもない弟子だった。いまでは考えられないほどに図太かった。イタい勘違いをしていたからだろうか? あるいは僕の性根は元々そんな感じなのかもしれない。


 ともかく僕は言う。



「いつも花の種を持ち運んでおけってことですか? それで蒔けるところには蒔けって? なんか変態ちっくじゃないですか、それ。将来は近所で有名なおじさんになりそう」

「ふぅむ。きみ、わざと答えを外しているだろう。お仕置きだね」

「ぁー、ぁあっぁあああああああっ! 痛い痛い痛い痛いっ! 冗談冗談冗談! 冗談です師匠っ!」

「……花はを指して言う。ならば種とはなんだい? 少年。答えなさい」

「えぇぇえっとぉ! ……結果なら過程! 過程! 種は過程!」

「惜しい。けれど、すこし違う。結果に対する過程とは、具体的にはなんだい?」

「っ、――可能性! 可能性! 可能性ぃいいっ!」

「正解」



 締め付けるような痛みから甘く溶けるような快感へ。


 僕は自分の下半身を襲う刺激の変化に戸惑いながら涙を拭く。まったく。普通に泣かすまで痛めつけるとかアリなのか? ……アリなのだろう。師匠って常識人ぶってるけれど頭のネジが飛んでいるしな。


 可能性。


 素晴らしい結果。


 種。


 花。


 ……でも答えが分かったところで実践が難しいのはいつもの事だった。頭では分かっていようとも行動は難しい。それに当時十四歳の子供に過ぎなかった僕に可能性の種を蒔くなんていう行為は頓知とんちにも程があった。なんだそれ? 具体的にはどうすればいいのか? どうすれば花を蒔く行為になるのか? そして花を咲かせられるのか? まるで分からない。


 それに師匠は言葉を投げるだけでやり方を教えてくれるわけじゃない。


 ということで僕はそれから十八歳――勇者になるまで可能性の種なんてものを意識したことがなかった。意識せずとも普通に苦労なく生きていけていた。なんなら勇者になって最初のうちも大丈夫だった。【原初の家族ファースト・ファミリア】はみんなが強い。僕の出る幕なんてない。僕が種を蒔かずとも勝手には花は咲く。


 でも。


 どうしようもない危機。僕がなんとかしなければならない修羅場。生き死にを懸けた場面が増えるたび、僕は僕自身のために種を蒔かなければならなかった。


 そして。




 ――肉薄する魔人サダレの表情は凶相に染められている。




 笑みとも怒りとも区別がつかない。踏み込まれた右足が僕の股の間に突き刺さる。僕は瞬間的に重心を後ろに倒している――もっと速く倒れろ! 倒れろ! 倒れろ! 祈る間にサダレの腰が捻られる。バネの作用。突き出された拳は――すんでの所で僕の鼻っ面すれすれを掠めた。しかして衝撃は終わらない。


 風圧が僕の身体を地面に叩きつけた。頭がバウンドする。脳味噌が揺れる。視界が白くくらむ。それでも動かなければならない。


 僕はサダレの踏み込んだ軸足に両足を絡ませて膝関節を押し込む。かくん、と。追撃しようとしていたサダレの身体が力を失う。その隙に今度は反対。膝の皿を蹴り飛ばして僕は身体をサダレから離した。そうして後転して起き上がる。


 肩が上下する。


 呼吸が苦しい。


 息を吸うのはいつぶりだ? 息を吐くのもいつぶりだ? もっと酸素が欲しい。僕はサバイバルポーチに手を突っ込む。痛み止めの錠剤。数なんて数えることもなくてきとうに取り出して咀嚼して飲み込んだ。


 サダレは「ふぅ」と息を吐いて笑った。……汗すらかいていない。呼吸も一切乱れていない。立ち姿は綺麗だ。僕とは違う。



「すごいね、サブロー。三分も生き残ってるよ?」

「…………そうかい」

「呼吸は苦しそうだけど。ねーねー。さっきまでの喋りはどうしちゃったのかな?」

「……思考に意識を回してるんだ。君と違ってね」

「む。減らず口は変わらないなぁ。でも、まあ」



 サダレは意地悪に微笑む。



「さっきまでの微笑みは消えちゃってるけどねぇ、サブロー」



 ……余裕がないからね。


 三分。


 ……これで三分しか経っていないのかよ。と僕は引きつる全身で思う。既に痛みと疲れで身体中の筋肉と骨が引きつっているし震えている。……攻防は凄まじかった。緊張感も凄まじかった。


 なにせサダレの拳と蹴りは――当たれば死ぬのだ。文句なし。先ほどまでの魔術とは違う。すこし掠っても傷つく程度で済んでいたのとは違う。左腕を犠牲にしてなんとか耐えた炎の流星群とも違う。


 当たれば死ぬ。慈悲はなし。問答無用の一撃必殺。


 ――サダレはまた構えを取る。拳法の構えを。



「サブローは避けるのが上手いよね」

「……まあね」

「でも納得いかないな、サダレは」

「……納得ねぇ」

「なんで避けるのが上手いだけで勇者なのさ? 勇者を名乗れるのさ?」



 苛立ち。


 僕はサダレの言葉から苛立ちを感じ取る。あるいはそれは言葉ではなく態度からかもしれない。醸し出されている闘気からかもしれない。――夕焼けよりも朱い、苛立ち。



「さっきのも詭弁だよね。いまを逃げても未来に立ち上がればいいとかなんとか――詭弁にも程があるとサダレは思うな。そんなの、勇者っぽくないよ」

「……随分と、勇者に、執着があるようで」

「――ライバルだからね。サダレにとっては。強くないとつまんない!」

「……ライバルね」

「ねえ、サブロー」

「ああ」

「サダレを失望させないでね」



 苛立ちから、寂しさへ。


 コロコロと感情が変わるな。やっぱり子供なんだろうな。まだ成熟はしていないのだろう。ああ。もしかするとサダレという魔人は永遠に成熟しないままなのかもしれない。なんて。


 僕は言う。



「安心してくれていいよ、サダレ。まだ僕はこれっぽっちも本気を出しちゃいないんだ」

「……嘘つき。嘘は嫌いだな、サダレ」

「嘘じゃないぜ」

「嘘だよ。そんなボロボロの癖して」

「なにせ僕は勇者である以前に――なんだぜ」



 こてん、と。


 首を傾げたサダレに、僕は呼吸が整ったのを自覚しながら言う。



「仲間がいてはじめて本気を見せられる。僕はリーダーだ。だから、いまのうちだぜ。僕をいまのうちに殺しておかないと――君は必ず後悔する」



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