76.司書・レインドル
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僕は一度頭の中でちゃんと物事というものを整理する。
まずナイリーに関して。彼女は三ヶ月ほど前にとある魔術の習得に失敗して魔術を使えなくなってしまった。――黒魔術以外は。黒魔術に関しては才能と適正があったのだという。それはひたすらに試行錯誤した上での発見だったのだろう。
次に黒本に関して。……背表紙に五芒星。本の中身はほとんど殺人関連に特化している。人を傷つけたり人を殺めたりすることに特化している。どこからどう見てもどう考えたとしても禁忌に近い。一般的な書店で売られていることはないだろう。王立リムリラ魔術学園の図書室だからこそといってもいい。ただし――そもそも誰がこの本を書いたのかは不明である。著者の名前すら記されてはいないのだ。
次にVの八の本棚。そこには黒本が一冊だけあった。他すべては自然魔法について記された本で埋め尽くされていた。本来であれば考えられないような配置。それはまるで黒本を隠しているような――そんな印象を受けないだろうか?
そしてすべてを繋げる。
ナイリーは試行錯誤した上で黒魔術の才能があると知った。
けれどそれ以前に黒本がVの八の本棚にあることを知っていたのだ。教えられていたのだ。……誰に? というのはナイリーが答えてくれていた。
『司書』
「司書さんを僕と引き合わせることは可能かな?」
僕は柔和に首を傾げながら訊いた。でもそれはたぶんナイリーからしてみれば質問ではなく強要にも近かったかもしれない。なにせ背後に立つアメがペットでも愛でるようにナイリーの首筋を撫でたからだ。ナイリーはぶるりと顔を震わせた。鳥肌が立っていることは明白だった。
やがてナイリーは絞り出すように言う。
「……引き合わせるっていうのは、たぶん、厳しいです」
「どうして?」
「私の言っている方は非常勤の方なんです。いつ学園に来るかも分かりませんし、前に来たのはそれこそ二週間とか前で」
「連絡先とかは知らないんだ? 寮のどこに住んでいるかとか」
「知りません。親身に相談に乗ってくれた方でもあるんですけど……プライベートは一切、語ったりしなかったので。私もべつにそこまで気にならなかったですし」
「なるほど。ちなみに親身に相談っていうのは、魔術が使えなくなったことに対して?」
「あ……。それもあるっていうか……。それだけじゃないっていうか……」
そこでナイリーは伏し目がちに視線を落とした。心なしか顔が下がったような気もした。なにか心の中に溜まっているものがあるのだろう。
アメがまたナイリーの身体に手を這わせようとする――のを僕は眼光で制した。アメが驚いたように瞠目する。排すべき魔物に向ける視線と同じ圧力の視線を向けたからだろう。それからアメはおとなしくナイリーから一歩引いた。
それら一連の流れを知らないナイリーは、自然と話し出す。
「私、落ちこぼれだって言ったじゃないですか。いまは黒魔術しか使えなくなっちゃったんですけど、べつにそれ以前も他の魔術を堪能に扱えたかっていうとそうじゃないっていうか……。だから……。いじめられているので、私」
いじめ。
という単語は不愉快極まりないものだった。僕は蓋をしていた記憶が溢れ出すのを止められない。……僕の人生において学園生活というものはおおむね幸福だった。その言葉に間違いはない。でも僕は小等学園において一度だけいじめというものと遭遇したことがある。いまはもう名前も容姿も思い出せない女の子。
少女が放課後の学園において涙も流さず泥に汚れていた。机も椅子も汚泥に
少女はいじめられていたのだ。
「司書さんだけでした。私の相談に乗ってくれていたのは」
「……そっか。ちょっと疑いというか、疑惑の目をその司書さんに向けていたんだけど、悪い人じゃないんだね」
「悪い人なんかじゃないですよっ! ずっとずっと私の相談に乗ってくれていたし、黒魔術の適正のことだってそうだし、黒本の読み方とかも教えてくれてたし……。悪い人のはずがないんです! 私に居場所を与えようとしてくれてもいるし!」
「うん。なるほど。……とはいえ黒本に関してはやっぱり気になるから。せめて名前だけでも教えてもらいたい。僕も仕事なんだよね」
僕は苦笑しながら言った。その苦笑はもしかするとナイリーから見てみると苦労人のぎこちない微笑にも思えたかもしれない。一瞬だけナイリーの表情に同情が灯った。
そうだ。僕も仕事なのだ。
僕は手に持っている黒本を丁寧に机へと置く。そしてまたやはり丁寧にナイリーの手元へと本を滑らせた。その際にまた五芒星が目に入る。……魔人サダレがヒントとして言い残していた五芒星。
魔神が関わっている可能性がある。また冒険者協会からの依頼である「悪魔教の幹部の生け捕り」に関してももしかすると関わっている可能性がある。であるならば僕としても引くことは出来ないのだ。僕は仕事で王立リムリラ魔術学園に潜入しているから。
僕は勇者としてこの場に立っているから。
「――レインドル」
ナイリーは手元の黒本を両手でゆっくりと持ち上げて優しく抱擁するように抱えた。そうしながらか細く呟いた。
さらに呟く。
「レインドルさん。っていう方です。さっきも言いましたけど非常勤の方です。月に二、三回くらいしかお会いすることは出来ていません。でも優秀らしくて、学園長と何度か喋っているところを見かけたことがあります。これは凄いことなんです。あの学園長は自分が認めた人以外とは――」
と。
ナイリーが語る。
語るその背後に立つアメの目の焦点がぶれていた。アメの視線が虚空を向いていた。まるでそれは魂が抜けているような表情にも近かった。しかして数秒だった。アメはまた我に返ったようにはっと表情を引き締める。そして。
そして僕と視線が合い――逸らした。
かつ僕は隣に立つクモの気配にも意識を尖らせていた。クモにも魂が抜けるような瞬間は訪れていた。さすが双子だと言いたいところだ。二人とも魂が抜けていた。でも戻るのもまた同タイミングだった。
――僕が気がついた事に双子も気がついているだろう。
なにに反応したのか。レインドルという名前だろうか? あるいは別のなにかだろうか。とにかく双子はナイリーの言葉のどこかに反応した。反応して……あれは驚きのリアクションなのだろうか。または別の感情によって魂が抜けたのか?
「……あの。聞いてます?」
「ん? もちろん。レインドルさんだろ。あと学園長。うん。レインドルさんの方はよく分からないけど、なんとなく癖の強そうなコンビだ」
「そうです。そうなんですよ。それもレインドルさんが優秀ゆえだとは思うんですけど……」
「うん。いやいや。ありがとう。それで、ええと。……そうだね。僕達の方からは二度と関わらないって約束だからね。用が済んだから僕達は退散するよ。いろいろと時間を取っちゃってごめんね」
「あっ……」
「でも君の方から話しかけてくるのはオーケーだ。僕達も歓迎する。友達は多い方がいいしね」
僕は頭の中でスイッチを切り替えながら言う。レインドル。とりあえずレインドルという司書に接触すればなにかしら進展する気配があった。またレインドルという人物であれば黒本の背表紙に描かれている五芒星についてもなにかを知っているのではないか。
「じゃあ。またね」
果たしてナイリーがまた僕達に話しかけてくれるかは分からない。それでも話しかけてくれたら嬉しいなとも思う。なんて考えながら僕は手を振り、返されたナイリーの手に対して笑みを浮かべた。
そうしてアメとクモを引き連れるようにして図書室を出て――とりあえず訊く。
「レインドルっていう名前に心当たりがあるの?」
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