77.犬と猿


   77



「レインドルっていう名前に心当たりがあるの?」



 目的地もなく廊下を歩きながらに僕は言っていた。背後には双子の気配がある。廊下は広くて周りには学園の生徒がたくさんいた。それこそ人いきれで汗ばんでしまうほどに。


 レインドル。


 僕はナイリーとの会話で得た情報を整理する。レインドルというのは非常勤の司書である。一ヶ月に二、三回しか現れないのだという。それでもナイリーの良き相談相手とはなっていたようだ。ああ。それだけ聞けば別に接触する必要はないかもしれない。しかし。


 しかし黒本。著者も明記されていない黒本をレインドルは図書室に配置した。Vの八の本棚。自然系統の魔術本しか並んでいないところに、まるで隠すように配置したのだ。しかもそれをナイリーに教えていた。……黒本には五芒星。魔人サダレがヒントとして漏らしていた五芒星が描かれている。


 接触しなければならない。


 双子はなにも答えなかった。


 人が多いゆえの騒然とした空気に僕の言葉は溶けてしまったのだろうか。双子の耳には入らなかったのだろうか? 僕は狭苦しい中で身体を反転してアメとクモを見る。ふたりは平然とした顔で僕に付いてきている。表情はまるで変わっていない。


 ……ああ、これはたぶん見抜けないな。


 A級ギャング。伊達にA級ではないか。僕のS級は伊達だけれど。でもこの二人は闇ギルドでA級まで上り詰めた実力者だ。かつアサシンである。僕は見抜くことを諦める。そのまま歩き続ける。果てには校舎の端に人気ひとけのない階段があった。


 僕はそこでまた反転して最後に訊く。



「ごめん。レインドルって名前に心当たりがあるの?」

「? なんでだ? うちはないけど。アメは?」

「私もないわ。どうして?」

「いや。さっき。……ナイリーからはじめてレインドルっていう単語が出たとき、二人ともちょっと様子が変わっていたから」

「様子? そうかな。あ。でも逆にあれだぜ。うちは探してた感じだぜ? 記憶の中からさー。レインドルってどっかで会ったことがないかなーって」

「私はべつになにも。ぼーっとしてたかも」

「ああ。なるほど?」

「悪いね兄ちゃん。変な不信感とか与えちゃったかなぁ?」

「いや、それは大丈夫。信用はしてるさ」



 そもそも二人が本気で僕を害するつもりであるならばいくらでもそのタイミングはあった。それこそ一週間の共同生活において僕はわざと隙を見せたりはしていたのだ。自然な生活の隙というものを二人に見せていた。与えていた。しかし二人はまるで動かなかった。むしろ僕の隙を守るように自然と動いてくれていた……というのを僕は観察していた。


 学園に来てからも同様である。僕が見せる自然な隙に対して二人は隠すように動いてくれていた。図書室で本や紙に攻撃されているときも同様である。


 だから。


 とりあえず僕は双子の言葉を信じることにした。二人はなにも知らない。レインドルという名前には心当たりがない。信じよう。


 それから僕はなんとなしに階段を上る。喧噪は既に遠ざかっている。足音は遙か遠い。この端の階段の周辺には僕と双子以外の気配がないみたいだった。そんなことはあり得ないのに。でも実際に気配もなにも感じ取れなかった。



「どこ行くん? 兄ちゃん」

「どこ行こうね」

「レインドルっていう司書と接触するつもりなんだろー?」

「そうだね。それが出来たら一番いいけど……。ナイリーの言葉を信じるなら難しそうだ」



 そもそも学園に来る回数が少ない。頻度が低い。かつ僕達は容姿すら知らない状況なのだ。ああ。いまからまた図書室に戻ってナイリーに容姿の特徴でも聞くべきだろうか? とはいえ容姿を聞いたとしても意味はないか。


 これからどう動くか。


 とりあえずレインドルと並行して師匠からの依頼も進めるべきだろう。というか本来はそちらが優先だったのだ。図書室に「秘匿されている世界地図」があると踏んで飛び込んだのだけれど別に気を取られたという感じで……。


 ふと。


 僕は踊り場で立ち止まって窓からの景色を眺める。見下ろす眺望はまさに城や王宮という言葉が適切だった。なんならこの学園において一つの街が形成されている。いや。実際に一つの街なのだろう。なにせここは山の上にある。外部の人間との接触は難しい状態だ。


 となれば王立リムリラ魔術学園という一つの生物となって自給自足の生活を送らなければならないだろう。街が形成されるのも頷けるというものだった。



「兄ちゃん」

「ん?」

「戻らない? そろそろ」

「戻るって?」

「人のいるところ」



 僕は見下ろしていた顔を上げる。クモに振り返る。でも視界に入るのはアメだった。アメはなにかを警戒した様子で踊り場に立っている。窓に向かう僕とクモに背を向けて階段の上と下に意識を集中させている。


 気配。


 気配はない。人の気配はまるでない。いつの間にか耳鳴りが響くような静寂が僕達の周囲に沈滞ちんたいしている。……こんなことはあり得るのだろうか? いくら人気ひとけのない階段だからといって人の足音さえ聞こえないなんていうことがあり得るのか?



「兄ちゃん」

「ああ」

「隔離されてる。うちら」

「……どこからどこまで?」

「分かんない。アメ」

「階段からは出られないわ」

「君たち、魔術は?」

「アメが得意だぜ」

「脱出できる?」

「無理。時間かかるわ」

「どれくらい?」

「八分」

「なるほど」



 僕は気がつく。アメとクモも気がついている。


 ――気配。


 それは人の気配ではない。人ならざる者の気配である。しかして同時に魔物でもなかった。ゆっくりと――ぬるりと。粘液を垂れ流しながら階段の上から顔を覗かせるのは四つ足の獣だった。黒い獣だった。


 一匹ではない。


 三匹。四匹。階段にゆっくりと姿を現していく。さらに階段の下……現れるのは獣は獣でもだった。


 



「稼ごうか、時間」



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