92.ララウェイの視線


   92



 こんなことはあまりにも常識すぎてそれこそ小等学園の低学年の生徒でさえ知っていることだから説明するまでもないのだけれど――吸血鬼は夜行性である。陽が上り詰めたあとに眠って陽が沈み切ったころに目覚める。


 おいおいどんだけ不健康なんだ? と僕は思わずにはいられない。人間の身としては太陽から得られる恩恵というのはとても大きいように思えるからだ。それでも吸血鬼からしてみればそれは余計なお世話なのだろう。僕たち人間が日光からある程度のエネルギーを吸収するように――吸血鬼は月光によって身体を整えるからだ。


 さて。


 ふわりと――唖然としてまさに口が開いたまま塞がらないといった様子のナイリーの視線の先には――ふわふわと宙に浮かび上がっていく吸血鬼の姿がある。


 ララウェイ・ヘミング。


 ララウェイちゃんは眠っていた。いつもの黒を基調としたゴシック・ロリータの格好ではなかった。普通に寝間着――ネグリジェを着ているだけだった。それでもあまり違和感がないのはネグリジェもまた黒を基調としているからだろうか? 銀髪はほどけている。


 結ばれている髪の毛がほどけているだけで新鮮に思えてしまうのはなんだか不思議だ。


 ララウェイちゃんは自分が召喚されていることにも気がついていない様子だった。浮かぶ上がりながらすやすやと寝息を立てている。だから僕は光を落ち着かせていく魔法陣の上に立って――ゆっくりと落ちてくるララウェイちゃんを抱き留めた。


 その衝撃で、やっとだ。


 やっとララウェイちゃんは薄く目を開ける。ぱちぱちと瞬きを繰り返す。僕に身を委ねたままに右手で瞼を擦った。そして今度は大きく目を開けて――僕の顔を見て、驚くでもなく微笑んだ。まったくの無毒の笑みを浮かべた。それはまるで赤ん坊が親の姿を見て自然と微笑むような仕草に似ていた。


 僕もつられてしまう。



「ほ、本当に吸血鬼なんですか……」



 僕の背後でナイリーが言う。ナイリーはまだ座り込んだままだろう。声は下にあった。


 そしてララウェイちゃんはその言葉に反応して表情を引き締めた。他に誰かがいるとは思っていなかったのか。僕の身体をやさしく退けるようにして自分で立つ。……それでも眠そうだ。


 ララウェイちゃんはまずじっくりと観察するように視線を下に向けて……ナイリーを見ていた。ナイリーはナイリーで怯える様子を見せながらもしっかりと視線を返していた。……やがてララウェイちゃんはナイリーから視線を切って僕を見る。



「……で、なんだサブロー。というか、ここはどこだ?」

「とある魔術学園だよ。とびきり優秀な生徒が集まる」

「ふむ。ならサブローは入れないな。勇者をやめて教師にでもなったのか? それならそれで我にちゃんと報告しろ。寂しいだろう」

「教師じゃないよ。いまは一時的な……職員みたいなものだね」

「職員か。それで? 何用だ」

「頼み事なんだけど」

「……つれないな? サブロー。前の魔人もそうだったが、最近は我と遊ぶというより我を頼るっていうことが増えていないか? なあ」



 銀色の目線で射貫かれる。


 ……ララウェイちゃんの言うことにも一理あると思った。確かにサダレのときもそうだったけれど……このところ僕は頼るばかりでララウェイちゃんと遊べてはいない。しかもサダレの前は半年間ほど王国を留守にしていて……あのときはあのときで隙を見つけて召喚して顔を合わせることはあれど遊んだりは出来ていなかった。


 まあ大体対価として血のしたたる指を差し出せばララウェイちゃんは許してくれるのだけれど。


 と。


 ナイリーの手前だからと恥ずかしがっているのも悪いだろう。僕が自分の指を歯で挟んだ瞬間だ。ララウェイちゃんは銀色の目線をさらに細くして言った。



「ところでここに集まっているのは――呪われた人間に限っているのか?」

「お。さすが。実を言うと僕とこの……床に寝ている双子は呪われててさ」

「ふむ」

「ララウェイちゃんに解呪してもらえないかなって思ってね。ほら。やっぱり呪いっていうのは魔族の方が詳しいだろうし、高貴な吸血鬼なら尚更に扱い方を心得ているだろうって思って」

「……解呪にはも影響してくる。たとえばサブロー。サブローなら我は完璧に解呪することが出来るだろう。サブローには基本的な耐性があるからな」

「耐性ね……」



 それはやっぱり僕がつけたくてつけたわけではない耐性である。冒険をしているうちに勝手についてきた耐性だ。それこそサダレとの戦いのときに。あの強い瘴気……濃度の高いマナに適応できたのもある種の耐性だ。地獄みたいな冒険の果てに培った耐性である。


 ララウェイちゃんの視線は動く。たぶんいままで存在にすら気がついていなかったであろうアメとクモに視線が貼り付く。そのとき……ララウェイちゃんは僅かにだけれど眉間に皺を寄せた。



「そこの二人の人間に関しては……出来なくはないが、成功するかどうかは曖昧だ。しかし弱めることは出来るだろうな。……それが

「っていうのは?」

「呪いの難しいところだ。サブロー。痛みというのは気絶してしまえば感じることがないであろう? しかし中途半端な痛みというのは意識を失うこともなく続いてしまう。それはそれで当人達にとっては苦しいものだ」

「……なるほどね」



 とはいえ……解呪しないという手もない。ララウェイちゃんにはまだ説明していないけれど僕達は襲われる立場にある。いまだって黒の召喚獣が現れて僕達に襲いかかってくる可能性だってあるのだ。



「――貴様は無理だ」



 と。


 僕が考えている間にララウェイちゃんは言う。


 顔を険しくさせて。


 その視線の先には――ナイリー。


 ……ナイリー? という僕の疑問と同じようにナイリーも「私?」と言葉にせずとも表情で語った。表情で驚いた。ナイリーはぽかんと開けた口をそのままに、同じようにぽかんとしている瞳で高貴なる吸血鬼を見つめる。


 ララウェイちゃんはいつも僕以外の人間に向けている無機質な視線のままに、言葉を重ねた。



「貴様の呪いは、我では解けない」



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