91.醜い者は誰なのか
91
ナイリーは一体なにをされていたのか。どういういじめを受けていたのか。そもそもあの男子生徒達とはどういう関係性なのか。なにが起きていまに至っているのか。
訊きたいことはたくさんあったけれど訊くことはしない。
ナイリーが泣いている状態から我を取り戻すまでの時間は短かった。それはいじめられることに慣れていることを示しているような気もした。
ナイリーは立ち上がってすぐに自分の制服を軽く叩いて埃を落としていく。鼻を啜りおえて喉を鳴らす。目尻に溜まっている涙を指先で撫でて払う。やがてナイリーは僕の言葉を聞き返すように言う。
「えーと? もう一回いいですか? なにを手伝ってほしいんですっけ。ていうか。え? その生意気な双子はどうしたんですか? 大丈夫なんですか? ぐっすり眠ってますけど」
「うーん。まあ色々と説明しなきゃいけないのは分かってるんだけど、時間が惜しいからね。とりあえず付いてきて」
「あ、はい」
そうしてナイリーのペースに合わせるようにして
ナイリーは未だに理解が出来ていないようだった。僕は一度空き教室のドアに手をやって……鍵が掛けられていることを確認する。それからサバイバルポーチから布を取り出して……窓ガラスに貼り付ける。
「……え。なにするつもりですか? え? サブローさん?」
「まあまあ」
「まあまあって」
ナイリーの言葉の途中に僕は窓ガラスに拳をぶつけて割った。激しくなるはずの音はしかし布に吸い取られて溶けていく。遅れて割れたガラスが教室の中で跳ねて音を立てた。それも小さかった。埃がクッションになっているのだろう。
ナイリーの唖然とした表情は面白いものだった。ゆえに僕はかすかに笑みを浮かべながら割れた窓に手を伸ばし、ドアの鍵を開ける。
「よし」
「……いやいやいや! よしじゃないでしょ!」
「まあまあ」
「まあまあでもないですよっ。なにしてるんですか一体! ていうか私もこれ共犯になりませんか? ねえ!」
「僕が上から指示を出すような感じにするから、ナイリーには魔法陣を描いてほしい。マナを筆に流すようにしながら。頼むよ」
僕はずかずかと教室に入り込むが……するとまるで
しばらくは口を塞がないと咳が止まらないくらいだった。
それでもようやく教室は綺麗になる。いや。綺麗という程ではないかもしれないが魔法陣を描くのに支障が出るほどではなくなる。……ナイリーはちゃっかり廊下に待機していた。床から埃が消えてようやく教室の中に入ってくる。
さて。
とりあえず僕は綺麗になった床にアメとクモを寝かせた。いくら軽いとはいえさすがに負担にはなっていた。主に肩と腰に強ばりを感じる。それを無視して僕はサバイバルポーチからメモ帳を取り出し……初日に記録していた魔法陣を切り取る。
線と紋様は
「あ。ナイリーって魔術が使えないって言ってたけど……マナはあるよね?」
「? はい。もちろん。マナはありますよさすがに。じゃないと闇魔術とかも発動できませんしね」
「まあそれはそうか。うん。じゃあオッケー。じゃあちょっと僕の言う通りに魔法陣を床に描いてほしいわけだけど……」
「……ていうか普通に私がやるんで、メモ帳貸してくださいよ。そっちの方が話がはやくないですか?」
「……それはそうだ」
やっぱりちょっと僕は抜けているところがあるんだろうな……。……それにナイリーは一時的に魔術が使えなくなってしまっている状態ではあるものの元は優秀な魔術師であったはずだ。というか、でなければ【王立リムリラ魔術学園】にはそもそも入学できないのだ。つまり僕よりもよっぽど魔法陣を描いたりする経験には富んでいるだろう。
ということで僕は切り取ったメモ紙をそのままナイリーに手渡し……ナイリーは指先に青白いマナの光を灯らせながら、その指先を床に這わせていった。僕が俯瞰するようにして全体像を把握する必要もなかった。
ナイリーは完璧だった。
……落ちこぼれ。ナイリーの自虐を思い出す。そういえばメリーモもそういった類いの言葉を発していたか。……しかしこれのなにが落ちこぼれなのだろう? 初見の魔法陣を完璧に描いていく姿は熟達した魔術師そのものだった。走らせる指先に迷いは見られない。躊躇もない。……あくまでも魔術を使えなくなってしまっただけだ。それだけで人は落ちこぼれに認定されてしまうのか? ……【王立リムリラ魔術学園】とはそういう場所なのだろう。
開け放たれた窓から風が吹き込んでくる。
ナイリーの髪先を揺らした。
そしてナイリーは魔法陣の最も複雑な部分である内側の紋様を素早く指先でなぞり――ふと、口を開いて呟くように言った。
「……恥ずかしいところを見られちゃいましたね」
「……恥ずかしいところ?」
「泣いているところですよ。なんか、今更ですけど普通に恥ずかしいものですね」
「そうかな。僕なんかよく泣いてるよ。冒険の最中とかにね」
「へえ。冒険に行ったりするんですね? 魔術が下手なのに?」
「まあね。趣味みたいなものだよ。仲間と一緒にいるためというかなんというか」
「ふうん。……まあいまの私にはなにも出来ませんけどね。冒険もなにも。授業すらまともに受けられませんし」
「……」
「あの人達の言う通り、醜いですよ、私は」
「ちなみに、僕は目が良いんだ」
唐突な呟きにナイリーが顔を上げる。同時に魔法陣が完成して数瞬の間だけ星のように瞬いた。完璧な魔法陣。僕はそれを見下ろしながら指先を噛んで――言う。
「だから、本当に醜いのが誰なのか、僕にはよく分かってるよ」
ナイリーが目を丸くした。
僕は魔法陣に近づき、腕を伸ばした。
ぴんと張った指先から、血が、垂れていく。
――魔法陣が朱く光り輝く!
「おいで、ララウェイちゃん」
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