90.いじめ
90
精霊による呪い。特に僕達に刻まれた呪いというのは人為的な呪いである。間違いなくスピカのように――精霊と契約している人間がいる。その人間が僕達に呪いを掛けたのである。
動機はなにか。
考えるまでもない。僕達の素性を知っているのだろう。僕達がこの【王立リムリラ魔術学園】に潜入してなにをしようとしているのかを知っているのだろう。その妨害だろう。……となると最も怪しい人物として浮上するのはカミーリンさんになるが。
あんなにも露骨な態度をしておいて犯人であるとは思えない。
「メリーモさん。君の知っている範囲で構わないから、精霊使いの人とかっている?」
「精霊使いですの? というか、その……。見ようとしたわけではありませんが、あなた達、呪われていますの?」
「呪われている。どうにかしないといけない」
「……魔術や魔法関連で精霊と契約している生徒は知っていますわ。それでも一時的な契約ですわ。新たな魔術や魔法を授かるための……。精霊使いと呼べるほどの人は知りませんわ」
「分かった。ありがとう」
僕は淡泊にお礼を言ってからアメとクモの身体にまた紐を巻き付けていく。そのまま僕の身体にも紐を巡らせてふたりを貼り付けるようにする。先ほどと同じ抱っことおんぶを継続する。
メリーモは神妙な面持ちで僕の行動を見ていた。それから不安そうに言った。
「……どうするおつもりですの?」
「秘策」
「はい?」
「秘策を使う。しょうがない。面倒ごとにはなるだろうけど……しょうがない」
しょうがない。しょうがない。しょうがない。それはメリーモに対する言葉ではなくて自分に対する言葉でもあった。果たしてどんなことになるのか……しかし、しょうがない。なにせ呪われているのだ。僕もアメもクモも。呪われている。そして解呪も現状では不可能だ。であるならば強引な手を使うしかない。
僕はまず広さを考える。寮に戻ることも思案する。しかし面倒だ。近場ではトイレがいいか? いやトイレの床は描きにくそうだ。失敗は困る。となれば……僕はこの五日間で歩き回って見つけた一つの穴場を頭に浮かべた。
校舎西側の空き教室。
ほとんど人が立ち寄ることはないはずだ。廊下を歩いている人も少なかった。そこにしよう。僕は決めて立ち上がる。浄水で身を清めた影響でやはり体力と冴えは戻りつつある。とはいえ長くは続かないだろう。行動を早めるに超したことはない。
「あの。秘策といいますのは?」
「んー。誰にも言えないんだ。見せられもしない。ここまで付き合ってくれたのに、ごめんね」
「あっ。いえ。別に構いませんけれど……。大丈夫ですのね?」
「大丈夫だと思う。何からなにまでありがとう。ちょっと行くね。また会おう」
お礼は後ですればいい。いまはとにかく行動を早めたい。僕は立ち上がって歩き出す――早足で。いや。段々とスピードに乗って駆け足になる。右足と左足をリズミカルに出していく。
人の多い廊下をすいすいと抜けていく。いろいろな意味で驚かれるけれど気にはしない。誰かにぶつかることもない。僕はちゃんと――見えている。混雑しているような通りも誰にも掠りもせずに抜けてしまう。スピードを落とさずに。それでもアメとクモの負担にならないように。僕は駆け足の衝撃を殺しながら東から西校舎へと抜けていく。
目当ては三階だった。階段は思いのほか賑わっていた。スピードを維持したままの僕を見て誰も彼もが硬直していた。その硬直する彼らの隙間を縫うようにして僕は階段を上っていく。すいすいすいすいすいすいすい。回避術はこういうときにも役に立つ。
三階に上ると一気に
けれど。
長い廊下の果てに僕の目当ての空き教室はあった。けれど。けれど。けれど。面倒ごとを視界に捉える。あまりにもうざったい現場を見てしまう。それは不幸か。いやある意味では幸運なのか。
――ナイリーがすすり泣いていた。
それはちょうど空き教室の手前の廊下部分だった。窓際に座り込むようにしてナイリーが鼻を啜って泣いていた。でもそれだけでは別に面倒ごとではなかった。なによりも面倒なのは――ナイリーを泣かしたであろう張本人達がすぐ傍に立っていることだった。
見かけたことのある顔。
ああ。図書室で「ナイリーに関わるな」と僕に言ってきた男子生徒だ。優秀な魔術の素養を感じさせる男子生徒だ。それに図書室において中央の長机を独占していた連中の顔がある。僕は一度目にしたことはそれなりに覚えている。だから理解している。なるほどと。
なるほど――いじめか。
「っ。あんたは。あのときの新米職員か」
顔を知っている男子生徒が面倒くさそうに呟く。でもなによりも面倒だと思っているのは僕の方だった。なんでこんなに面倒なことが重なってしまうのか。
僕は男子生徒には応答しない。ただ先ほどまでのスピード感を維持したまま彼らに近づいていく。具体的にはナイリーに近づいていく。
「っ。言っておくがな、これは練習だからな。こいつが魔術を使えないっていうから、荒療治かもしれないが俺達で魔術を浴びせて」
「ナイリー」
僕はナイリーに声を掛ける。男子生徒にも男子生徒以外の誰にも視線を向けはしない。ただナイリーにだけ視線を向けて声を掛ける。
ナイリーは赤く腫らした目を細い指で拭っていた。髪の毛は乱れていた。そして髪先はすこし焦げているような感じがあった。さらに制服にも傷ついた痕跡があった。なるほど巧妙だなと僕は思う。直接的に魔術による暴行を加えたわけではないのだろう。それでも……俺達で魔術を浴びせて。という滑らせたであろう言葉に言い訳は利かない。
要はいじめ慣れている。
ナイリーが顔を上げる。そこでやっと僕の存在を認めてくれる。つまりいまのいままで余裕がなかったということの裏返しにも繋がる。自分といじめてくる複数人の人間にしか意識が向いていなかったということにも繋がる。
ナイリーは口を開け、口を閉じ、そしてまた口を開けて、唇を震わせながら言った。
「――だ、大丈夫ですよ」
なにが大丈夫なんだ。
――脳裏に浮かぶのは小等学園時代のいじめだった。ドラゴンと一緒に暴れ散らかして無理矢理に解決したいじめだった。あのときのいじめられっ子も……僕達が心配しようとなにがあろうとも「大丈夫」と大丈夫じゃない格好と表情で言っていたのだ。
大丈夫ではないのだ。
「なら良かった」
でも僕は応えて笑みを浮かべる。
……小等学園時代と同じように無理矢理に解決することは簡単だった。ぐちゃぐちゃにしてしまえば良いだけなのだ。そしてそれをひとりでも出来てしまうだけの実力というのを僕は……もちろん僕は弱いけれどさすがにただの学園生に劣るほどではなかった。僕はちゃんと身につけていた。でもそれを行使しない知性も身につけていた。
僕が暴れたところでナイリーの立場はべつに変わらない。
小等学園時代に戻れるのならば――僕はドラゴンと一緒にあのいじめられっ子の逃げ場所を作ってあげるだろう。ただ暴れるだけではなくて。ただ暴力で解決するだけではなくて。
僕はナイリーから視線を外してゆっくりと――彼らを見渡していく。ひとりひとりにちゃんと視線を合わせていく。瞳の奥を覗き込んでいく。ある女子生徒はそれで身を震わせた。ある男子生徒はそれで気圧されたように一歩引いた。そして顔見知りでもある男子生徒は顔色を悪くさせた。
僕はじっくりゆっくりと彼ら彼女らに視線を這わせて――やがて小さく言う。
「消えてくれないか」
それで終わりだった。
彼らはなにか言い訳のような言葉を残して立ち去っていく。もちろんなにを言っているのかを僕は知らない。耳に入れようともしない。頭で理解しようとも思わない。彼らがちゃんとその場を立ち去ってから……ようやく僕はまたナイリーに視線を戻すことが出来る。
ナイリーはなんとか気丈な表情を作ることに成功していた。唇を引き締めていた。ただなにを言うべきか分からないのだろう。
だから僕は機先を制するように言う。
「ナイリー。絵は得意?」
「……え。絵? 絵ですか? いや。その。はい。人並みだとは思いますけど」
「ちょっと魔法陣を描くのを手伝ってほしいな。――召喚したい吸血鬼がいるんだよ。ちなみにこれ、誰にも内緒ね?」
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