117.招待状


   117



 手紙はどこからともなく現れた。美術室という半ば密室にも近い空間において、吹くはずのない風と一緒に現れた。手紙は僕の視界で踊るようにひらりと舞い、また舞い、そしてやわらかく着地して床を滑る。そのまま手紙――封筒は静止した。


 さて。


 僕は床に落ちた謎の封筒を手に取る前に振り返った。それは気配を感じてのことだ。ちなみにメリーモの気配ではない。


 美術室のドアが開く。


 最初に姿を見せたのはシラユキだった。シラユキはすこしだけ警戒している様子だった。けれど僕の姿とメリーモの姿を見つけてすぐに警戒を解く。状況をおおかた把握した様子だ。次いでシラユキの背後からひょっこりと顔を覗かせるのはスピカだ。スピカもまた状況を把握、というか警戒を解いたシラユキを認識して気配を緩めた。



「ラズリーは?」

「もうすぐ来るんじゃないかな。どうにも人気者だからね、ラズリーは」

「なるほどね」



 肩をすくめるシラユキの姿を見て僕も察する。確かにラズリーはこの【王立リムリラ魔術学園】において人気者だろう。有名人だろう。卒業こそしていないものの伝説と呼ばれていたし――先ほど校内放送で流れていた【リックン・マーシャル】という大会の優勝者だ。学園長であるカミーリンさんが、叶えられる範囲で望みを叶えてくれるという賞品がある大会の――ところでラズリーはなにを願ったのだろう? その望みは叶ったのだろうか? まあ、いい。


 とにかくラズリーは後から合流か。



「サブローくん。なんとなく分かるけど、詳細は?」

「詳細は後で纏めて話そうかな。とりあえずいまは――この子からどれだけ情報を絞れるかだろうね」

「私に任せてもらってもいいのかな?」

「どうだろう。とりあえず学園の偉い人にも報告しなきゃじゃないかな。魔人と繋がっているとすると、冒険者協会とも色々あるだろうし」

「なら私が手配するさ。色々と顔は広いんだ」

「うん。大体のことはシラユキにお願いしよっかな。スピカとも協力してもらって、さ」

「了解」



 と応えるやいなやシラユキは自然な動作で床にへたり込んでいるメリーモを立ち上がらせている。それは自然かつ流麗な動作だった。しかも両手は後ろで紐によって縛られている。一体どんな身のこなしだというのだろうか? 仲間ながらに不思議である。


 そして、やっと僕は床に落ちたままの封筒に意識を割ける。



「……サブローくん。それは?」

「分からない。急に、現れた」



 僕は答えながらに封筒を手に取る。……なんの変哲もない。ただの封筒だ。たとえばメッセージ・バードではなく文通によって誰かと交流を取りたいこともある。そういうときに届けるような封筒とまるで変わらない。あるいはたとえば……それこそ僕のサバイバルポーチに眠り続けている『退職願い』を包むような封筒と。


 封を切る。中には薄い便せんが入っている。指で挟んで取り出した。便せんにはほとんど文章は並んでいなかった。たった一文だけだった。けれどその一文だけで僕は理解した。この封筒を送ったのは誰なのか。手紙は誰が書いたものなのか。



「なんて書いてあるの?」

「ん? ……まあ要は、招待状だね」

「招待状?」

「悪趣味な人からの、招待状だよ」



 振り向けばスピカはと首を傾げていた。


 僕はまた手紙に視線を落とす。……けれどいくら見たところで内容は変わらない。招待状だ。……ああ、そうだ。招待状がなければ立ち入れない場所があったのだ。いくら探し求めたところで決して導かれない場所があった。この学園には。


 ――学園長室。


 便せんの文言はこうだ。



『そろそろ話そうか、サブローくん』



 僕はカミーリンさんの表情を想像する。一体どんな表情でこの便せんを書いたのだろう? そして僕に届けたのだろう? ……あのタイミングだ。たぶんカミーリンさんはすべてを把握していたのだ。すべてを見ていたのだ。さながら鳥瞰のさらに上の段階――神視点のように。


 ああ、まったく悪趣味だ。


 僕がどういう状況に置かれているのか。ナイリーがどのような状況にあるのか。他にもたくさん学園がメチャクチャな状況になっているというのにカミーリンさんは放置をし続けた。すべてをただ見守っていた。ああ。やっぱり神視点というべきか。すべてを傍観しているのだから恐ろしい。


 それでも怒る気になれないのは、先日の会話があるからだろうか?



『私はねぇ、ここの生徒達が優秀に魔術という学問を修めてくれるのならば、たとえ相手が魔人だろうと魔神であろうと悪魔教の幹部であろうと、構わないと思っているんだよ』



 カミーリンさんは言った。そしてその言葉に嘘偽りはなかった。真実だった。本当にカミーリンさんという人格は魔術以外をどうでもいいことだと捉えているのだ。


 優秀な人間が優秀に魔術を修めて優秀な魔術師となる。


 カミーリンさんが望むことはそれだけだ。それはさながら工場のようなものだろう。流れてくる部品が良い品質になることだけを望んでいる。かといって途中で流れてくる汚れた部品や壊れた部品にも手を加えない。どうでもいいからだ。そうだ。カミーリンさんは、ただ望んでいるだけなのだ。自分の手でなにかをしようという気にもなっていないのだ。ゆえに傍観。


 すべてに対して、傍観。



「じゃあ。ちょっとこの子はふたりに任せるね。僕はちょっと、学園長に会ってくるよ」

「うん。気をつけてね」

「あ。呪いはすべて解呪してもらわないといけないから。……それに関してはシラユキじゃなくてスピカかな。頼んだよ。レインドルと同じ要領で……大丈夫。ここの部屋、たぶんしばらく人が来ないだろうから」

「うん。任せて。すぐ終わらせるから」

「なら私は諸々に連絡をしておこうかな。先に」

「じゃあ、また」



 僕はふたりと別れて美術室を出る。ちなみに学園長室がどこに位置しているのかは分からない。それでも僕はてきとうに歩く。廊下を……なんとなく、階段を下りる。一回まで。そしてたぶん僕の行く先というのは操られているのだろうなと僕は理解する。僕は自分の意思で歩いているようでいて誘われているのだろう。封筒によって。


 そして一階を歩いていると人混みに出くわした。いや。それはもはや人混みというよりも人の塊と形容した方が正しいだろうか? 僕はめちゃくちゃに気配を薄めて素知らぬふりをして人の塊を藻掻き、抜ける。


 ちなみに塊の中心には案の定の人物がいた。



「ちょ、ちょっと、もう! 吹き飛ばすわよ! どけなさい! 私には行かなきゃいけない場所があるのよ!」



 きんきんと響く声を無視して僕はまっすぐに廊下を歩いて――なんとなくだ。なんとなく立ち止まった。そして振り向いた先には一年C組の教室があった。


 ドアの窓から覗ける向こう側には普通の休み時間といった様子がある。中には生徒がいる。休んだり談笑したりしている生徒達が。


 僕はそれでも構わずドアを開けて――一歩踏み出した。


 瞬間に景色は変わる。


 一度、足を踏み入れたことのある場所に。


 ――カミーリンさんに連れてこられたことのある部屋に。


 学園長室。


 カミーリンさんは部屋の奥に鎮座する席に、堂々とした様子で座っていた。


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