118.第二部エピローグ『学園長』


   118



 さて。


 エルフとの混血。魔術師になるべくし産み落とされた魔術師――学園長であるカミーリンさんは透き通るような金髪を手で払った。風が吹く、ような気がした。たとえばラズリーの金髪が太陽のように濃いのだとしたら、カミーリンさんの金髪は月のように控えめに、それでも見る者を不思議と魅了する魔力に満ちている。


 漆塗りの机は地震が起きようとも微動だにしないほど重く思えた。赤を基調とした椅子に腰掛ける姿はまるで大国の王様だ。そしてカミーリンさんはまるで動じた様子なく僕を迎え入れていた。……いや。動じるはずがないのか。迎え入れたのはカミーリンさんの方なのだから。


 カミーリンさんは一度大きく背もたれに身体を預ける。そうして豪奢なシャンデリアを仰いだ。一拍。呼吸を挟むようにしてから彼女は身体を前のめりに――机に肘をついて頬を乗せる。にやりと笑った。


 赤い唇がさざ波のように揺れ、流暢な言葉が吐き出される。



「ようこそようこそ。久しぶり、というべきなのかな? サブローくん。どう思う。私と君との再会というのは久方ぶりと表現するに足るものなのかな? いや、いやいや。あるいは劇的でドラマティックと呼んでもいいものなのだろうか。ふふ。どう思う?」

「……どうも思いません」

「ふむ。殊勝な心がけだね。ここまできてまだ私に敬語を使おうというのだから。ふふ。どうだい。君には魔術の才能というものがまったくないが、それでも使いどころは見事だった。見ていたよ? それで、どうかな。一度この学園に入学してみるのはどうだい。悪い提案じゃないと思うんだけど?」

「悪い提案でしょう。どう考えても」

「そうかい? そうかな? 私からしてみれば」

「僕にはやらなければならないことがある」

「気乗りはしていなさそうだけどね?」



 ガラス玉のような瞳が僕を捉える。言葉は底意地が悪いが、しかし単なる意地悪で言っていないことは表情で分かる。――無垢。単純に疑問なのだろう。僕の置かれている状況というのが不思議なのかもしれない。


 一体どうしてやりたくもないことをやっているのか?


 カミーリンさんは自由だ。自由ゆえに奔放だ。それは自らが長として構えている【王立リムリラ魔術学園】における態度を見ても分かる。まったくもって自由奔放。自分の生徒達がどんな状況になろうとも超然としている。学園内において魔人の手下が暴れているというのに動揺もなくすべてを受け入れている。凪のような心で。



「やりたくなければやらなければいい。いやいやまったく。ラズリーくんやマミヤくんの話を聞いていれば分かるよ。君はべつに、勇者として働きたくなんてないんだろう? 勇者としての責務なんて果たしたくはないんだろう? あくまでも巻き込まれている立場にあるんだろう? なら、やめればいい。やりたくないことは、やらなくていい」

「……軽く言いますね、本当に」

「軽いことだからさ。特に――人間。ああ。私は生憎と寿命が長くてね。人間みたいなふりをしているけれど人間とはちと違う。でも、だからこそ疑問だと思うんだよ。人間なんて大して長生きするわけでもないのに――どうして嫌なことをするもんかね? 好きに生きればいいのに! そうは思わないかい?」

「もちろん。思ったことは何度もありますよ。辞めたいなって。てか、なんならいまも思っているかもしれない。心の淵、自分でも気がついていないようなところで。……なんで僕はこんなことをしているんだろうなって。なんで僕は身の丈に合わないような依頼や任務を引き受けて、あまつさえ危機に身を置いているんだろうなって」

「そうだろう? だったら」

「でも」



 でも……なんだろう。僕は思う。僕は否定の言葉を発した。それでも続きの言葉が思い浮かんでいるわけではなかった。なにか言いたいことがあるわけではなかった。ただ……なんだろう。


 それは違うと思った。


 理屈ではなかった。感情だった。


 僕は感情として言葉を発し、そして感情から想起される想像を膨らませていた。いや。それは勝手に膨らんだという方が正しいだろうか? ――僕は役割のない人生を想像する。誰からもなにも求められず、誰からもなにかを頼られることなく、ただただ、自分のためだけに生きる人生というものを想像する。他人のためではなく、ただただ、自分のため。自分のための、人生。


 時には必要なことだろう。自分のためだけの休日というのは。自分を喜ばすための休息というものは。でも、それがずっと長い間、死ぬまでの間、続くとしたらどうだろう?


 それはらくな人生なのかもしれない。らくな生き方なのかもしれない。


 それでもきっと、たのしくはないだろうと思う。



「僕は確かに勇者は退職したいと思っている。でも、やらなければいけないことから逃げるつもりはない」

「ふーん。それが君にとって嫌なことだとしてもかい?」

「嫌なことだとしても」

「難儀だねぇ。難儀な人生というか、難儀な生き方というか。ともかく……難儀だ!」



 どこからともなく取り出された扇子が、鋭く響いて広げられる。カミーリンさんは自分の口元を隠すようにした。そして目元だけで笑った。嬉しそうに。……なにが嬉しいのだろうか。僕にはやはり判然としない。


 そしてカミーリンさんは会話の流れを断ち切るように言う。



「で、だ。まあいま呼び出した理由は他でもないよ。事の次第は知っているわけだが、事の顛末はどうするつもりなのかな? サブローくん」

「顛末ですか? そりゃ色々ありますよ。考えていることは、たくさんある。どういう風にこの事件を終わらせるのか」

「事件か。まあ事件だねぇ、確かに。ところで君が従えていた双子はどうするのかな?」

「従えていたわけじゃないですけど……。掛けられた呪いはいまスピカが解呪しているはずなので。精神的な不安定さは薄れるでしょう。後は……まあ、この後も学園生活は続きますからね。サポートとしていてもらいますよ。ずっと」

「ふうん。ナイリーくんは?」

「……名前、覚えているんですね? 前は忘れていたくせに」

「覚えているさ。当たり前だろう? 優秀な闇魔術の使い手なんだから。……あと、誤解しないでほしいな。私はその生徒のポテンシャルをいかに引き出すかを第一に考えている。あれがナイリーくんには一番だった」



 学園長室にさらわれたときのことを思い出す。あのときカミーリンさんはナイリーのことを、まるで知らない生徒のように扱っていた。……けれど演技か。演技なのだろう。いまカミーリンさんの表情と瞳の奥を覗いてみればその言葉が真実であると分かる。まったく、悪趣味な人間だ。



「僕に嘘をつく理由はなかったと思いますけどね。名前、知っていたならば」

「嘘は貫いてこそ嘘さ。違うかい?」

「知りませんよ、そんなの」

「あははは。まあ、そうか。君は駆け引きこそすれど、嘘はつかなそうだものなぁ。で。ナイリーくんはどうするつもりなのかな?」

「どうするもこうするもない。友人として付き合っていきますよ。歳もそこそこ近いし」

「ふむ。それも悪くはないだろうねぇ。……まあ、他の道もあるわけだが」

「? 他の道っていうのは」

「まあまあ。これからおのずと分かっていくさ」



 意味深長な物言いをしながらに、またカミーリンさんは自分の顔を扇子で覆い隠す。けれど震える肩の動きを見れば、現在進行形でくつくつと笑っていることは明らかだった。なにが面白のかを僕は知らないけれど。


 さて。


 いま語った通りに、事の顛末は単純明快だった。すべての呪いが解ければアメもクモも回復するだろう。もちろんすべて完璧に元通りというわけにはならない。それでもまた違った形で明るい未来を歩めるようになるはずだ。無理にアサシンを続ける理由もなくなるのだ。なんなら僕がサポートする形で冒険者という未来もある。きっと優秀な冒険者になってくれるはずだ。


 ナイリーにしてもだ。呪いが解けてさえしまえば、闇魔術しか使えないという束縛に縛られることもなくなる。どんな魔術であっても使えるのだ。使えるだけの素養や知識をナイリーは獲得しているのだ。なにより――ナイリーほど魔術を愛している魔術師は存在しないだろう。それはよく分かる。なにせ闇魔術しか使えないという状況になってもなお、彼女は諦めることなく図書室にこもったりしていたのだから。


 今回の騒動の、被害者と呼んでもおかしくはない人達はみんな、救われる。


 それが事の顛末だ。



「憑きものが落ちた顔をしているね? サブローくん」

「まあ、憑きものは落ちましたよ。終わりは終わりだ」

「ふうむ。それはどうにも……」



 カミーリンさんは言いながらに口角を落とした。それはどこか子供っぽく、不満げな表情に思えた。あるいは拍子抜けしたような表情のようにも。……たぶん望んでいる言葉があるのだろう。僕からその言葉を引き出したいのだろう。ああ。これは駆け引きの分野に及んでいるのかもしれないな。


 どちらにせよ僕は言うことになる。だからいまは口にしない。それが僕なりの精一杯の駆け引きであり、意趣返しでもあった。



「カミーリンさん」

「ん? ん? どうかしたのかい」

「許可を得たい」

「許可! 許可かぁ。うんうん。その言葉を待っていたよ! いやあ」

「【原初の家族ファースト・ファミリア】の面々、これから先も学園に出入り自由にしてもらっていいですか」

「……ふむ?」

「いいですよね。なにせ今回の件、正直に言って僕がいなければ困っていたはずだ」

「うぅん。それは私をなめすぎというかなんというか、別に君がいなくてもだねぇ」

「それでも学園長であるあなたが動くはめになっていた。つまりは大きな騒ぎだ。あなたではなく、あなたの周りにいる人達が重く捉えるでしょう。下手をすれば学園の名に傷がつくはめにもなっていたはずだ」

「……とはいえ逆に、いいかい? サブローくん。君がこの学園に足を踏み入れたからこの状況が起きたという見方が出来るんだよ? また【原初の家族ファースト・ファミリア】を勝手に招いたことで事態は大きくなった。その点についてはどう考えるかな?」

「いい加減に狸や狐じみた発言はよしてください。それこそあなたの言葉通りだ。あなたは動けた。あなたは止めることが出来た。でも――止めなかった。僕の動きを、【原初の家族ファースト・ファミリア】の動きを、止めることが出来たのに止めなかった。それが答えだ。違いますか?」



 カミーリンさんが拒めば僕は学園に踏み入ることさえ出来なかったのだ。【原初の家族ファースト・ファミリア】の面々にしても同じだ。本当にカミーリンさんが僕達の力を必要としていなかったのなら――いや。言い方が違うか。僕達の動きを是としなかったのならば――という方が正確だろう。


 ともかく、カミーリンさんは僕達が動くことをとした。僕の動きや僕が動くことによって起こるすべての状況を是とした。是とした上で僕を一度は学園長室に招いたのだ。そして――教えてくれたのだ。


 カミーリンさんがその自身の権威と能力をもって、叶えられるすべての望みを叶えてくれることを優勝賞品とした、【リックン・マーシャル】という大会の開催を。


 カミーリンさんは扇子をどける。口元には笑みが浮かんでいる。



「交渉能力はまあまあといったところかな。私相手にして、良くはないが悪くもない。うん。上等だとも。いいともさ。許可しよう。好きに動かせばいい、君達の仲間は」

「なら、やっと本題にいけますね」



 僕は微笑む。


 カミーリンさんは目を細めた。



「滑り込み参加も許してもらえるんですよね?」

「……ふむふむ。いいともいいとも。ふふ。その言葉を待っていたんだよ。いやぁ。ラズリーくんが気に入る君の実力というのを、精確せいかくに測りたいと思っていてねぇ」

「お眼鏡に叶うような実力は持っていないと思いますよ」

「謙遜もほどほどに。いやぁ。美術室での一件は見られなかったのが残念だ。一体あの闇の膜の向こう側で、なにがあったというのか。ふふ。楽しみだなぁ」

「【リックン・マーシャル】へ参加したい」

「歓迎するとも。もちろん、優勝賞品は残された依頼――秘匿されている秘密の世界地図の入手だろう?」



 僕は半笑いで答えた。


 カミーリンさんが真顔に戻る。


 一拍。


 二拍。


 僕は、言う。



「僕が優勝した暁には――」



 ――魔人エイプリルを、一緒に討ってもらう。




__________________________



第二部は完結となります。


ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。


また今後も第三部の開始、新作の投稿など続けていく予定です。


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