50.杖
50
――虫が増えたからなんなのだ?
まだ分かっていないのか? 人間の身である以上は魔人に勝てないということに。サダレには及ばないということに。まだ理解できていないのか? すこしは賢いと思っていた。でも所詮はやはり人間なのか。下等な種族なのか。
失望が増す。どんどんとサブローに対する興味が失われていく。やはり人間。ただの人間。虫けらか……。勇者ではない。たとえサブローが勇者を名乗っていたとしても勇者ではない。サダレの認める勇者像とは違う。
言葉すらも出てこない。
ただサダレは呆れと失望の感情を持って眺める。サブローという虫の周りに群がるその他の虫を。三匹の虫を。
金髪の虫は魔術の素養に優れているようだ。それは見るだけでも窺えるほどの素養であり才能である。とはいえしかしサダレには及ばない。やはり魔人であるサダレには及ばないのだ。ゆえに虫。やはり虫である。
栗色の髪を持つ細身の虫はどうだ? 見て分かるものはなにも感じない。しかしなにかしらの才能に優れているのだろう。実力もあるのだろう。ただそれはこの世界の才能である。この時代の実力である。これもまた虫。眼中になし。
黒髪の虫はどうか。もはや観察する気すら起きない。この虫もなにかしらの特性があるのだろう。なにかしら優れた点があるのだろう。けれど、だから、なんだ? 虫は虫だ。圧倒的な力の前では踏み潰されるしかないのだ。
三匹の虫は虫の世界では優秀なのかもしれない。けれど魔人の世界では劣等種なのだ。それは酷な話ではあるが現実だ。蟻がいくら大きくとも人間に踏み潰されるのと同じである。そこには種族としての絶対的な差があるのだ。埋められない溝があるのだ。越えることの出来ない壁があるのだ。
虫が束になったとしても魔人には敵わない。
サダレには勝てない。
……サダレはなにかを言おうとする。サブローに対してなにかを言おうとする。けれどやはり言葉がない。掛ける言葉が存在しない。投げる言葉が浮かんでこない。……ああ。サダレは我に返って思う。いままで自分はなにをしていたのだろう。一体なにを期待していたのだろう?
虫に話しかけるなんて無駄な行為じゃないか。
サダレの目から光が失われていく。……サダレは期待していた。なにかを期待していた。勇者に期待していた。それは最初のダンスで見事にサブローが踊ってくれたからだった。けれど以降はすべての期待がことごとく打ち砕かれてきた。ゆえにサダレはようやく悟った。期待するだけ無駄だと。
もう、サダレの知っている勇者は、いないのだ。
「――とはいえ五分が限界だな。いろいろと複合的な要因で。……身体と精神の方が限界に近いって感じだ」
「サブローくん。応急処置だったら出来るよ?」
「いや、大丈夫。たぶんそこまで時間がない」
「そうかな。時間稼ぎがお望みなら、私がするけど」
「無理無理。あれが本気出してきたら時間稼ぎなんて言ってられないよ。それにもう本気出してきそうだし……」
「本気出してきたらどうなるのよ?」
「個人じゃ絶対に勝てないね。死ぬよ。間違いなく」
なにを話しているのかも興味がない。頭で理解が出来なくなってくる。理解しようとも思わなくなってくる。どうでもいい……。ああ。どうでもいいという感情が一番に正しいだろうか。虫の言葉などどうでもいい。精々が癒やしを与えるように鳴いてさえくれればいい。虫の役割とはその程度のものだ。
苦悶に
「ごめんララウェイちゃん。ちょっと遊撃に回ってほしいな」
「……遊撃か。我はお役御免か? まあ。それでもいい。負傷も激しいしな」
「ドラゴンはどう? ああ。まだ大丈夫そうだね。オーケーオーケー。まだまだ無理してもらうよ」
「言われなくてもそのつもりだ」
「うん。じゃあ、いつもの通りにね。……いつもの通りに、終わらせようか」
どうでもいい。どうでもいい。どうでもいい。どうでもいい。どうでもいいどうでもいいどうでもいいどうでもいい。はやく終わらせてしまおう。でも……。
それでも嫌に目につくのはどうしてか。嫌でも興味を惹かれてしまうのはどうしてか。精神と肉体が一致しない。そんな普遍的な状態もサダレにとってはストレスにしかならない。
――まるで自分たちの勝利を確信しているように虫たちが振る舞っている。その表情に絶望が浮かんでいない。それなにより魔人を前にしておいて、強敵相手に醸し出すような緊張感もない。「俺達はやってやるんだ!」と、サダレの知っている勇者達がいつも前面に出していたような無謀な鼓舞もない。
ひたすら、淡々と。
日常的な、余裕が。
余裕という名の、希望が。
……この圧倒的な実力差が分からないほどに愚かなのか? 勝てると本気で思っているのか? 殺せると本気で思っているのか?
「で? サブロー。五分でどこまでいけるって考えてるわけ?」
「そりゃもちろん、勝ってもらうさ」
「……やれるかしら?」
「うん。サブローくんが指揮してくれるなら、私達は考える必要ないからね」
「あぁ。つまりは操り人形になればいいわけさ。不安に思うことないよ、ラズリー」
「そうだ。命預けりゃいいんだろ。簡単な話だ」
「全部の責任は僕が取る」
なにを言っているのか本当に分からない。なにを話しているのか本当に理解できない。その表情も態度も理解できない。
「死ぬときは一緒だ。みんな、僕と一緒に死んでもらう。でも――勝つときも一緒だよ。一緒に笑おう」
そして――隊列は整う。
気がつけば魔人サダレに対して虫けらが五人。サブローを中心として左右に広がって向き合う形となる。すこしだけ半弧を描くようにして膨らんでいる。それは基本に忠実な隊列とも言える。一つの強敵に立ち向かうときにパーティーが取る最も基本的な隊列。
だが、やはり、それがなんなのか。
――なによりも目障りなのはサブローの目だった。サブローの目が鋭く尖ったナイフの切っ先のようにサダレを睨んでいる。一直線に見つめている。それはまったくもって目障りとしか言い様がない。こちらの感情を逆なでするような――不快感がある。
やがてゆっくりとサブローは細い棒を――杖を持ち上げた。
……貧弱な杖である。マナを通す媒体としても優れているとは思えない。魔術の増大と拡散にも向いてはいないだろう。そしてサダレは知っている。これまでの舞踏を通して知っている。サブローに魔術の才能はないと。体内に水を張っているマナの量も凡人並みであると。
それでなにが出来るのか。その杖でなにが出来るというのか。
失笑を滲ませるサダレに――サブローは小さく、ほんとうにかすかに、杖を、振った。
――数秒後、サダレの余裕は消し飛ぶことになる。
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