51.S級勇者の唯一無二の指揮術


   51



 魔人サダレは、見ていた。


 ――サブローの持つ杖から放たれたのは、蒼い、だ。


 つまりは、線である。


 それは魔術ではなかった。魔法でもなかった。なにか特別なスキルでもなかった。ただのマナの線だった。それこそ小等学園で子供が教わるようなマナの発露となんら変わりはなかった。「こうすれば体内のマナを外に出すことが出来ます」と先生が教える。生徒が実行する。ああ。それと変わらない。


 しかし異様なのは――絆が途中で四本に分岐して虫たちの背中に繋がったことだ。


 それはまるで大きな河川が細やかな川に分岐するように。満天の天ノ川から星々がそれぞれに広がっていくように。空中においてマナの絆は分岐した。


 一体、どういう芸当なのか。


 魔人サダレからしてもそれはひじょうに高度でテクニカルな技術だった。もちろん強くもない。大きくもない。脅威にはなり得ない。それでも心を揺らす芸術作品のように、とにかく繊細だった。精密だった。精緻せいちだった。


 ――サブローが杖を振る。マナの絆が緩やかに動く。虫たちの背中をなぞっていく。


 そこまでを、魔人サダレは、見ていた。


 あとはもうなにかを見たり考えたりする余裕などなかった。



「さて。、始めよう」



 サブローの呟き。


 瞬間、背後で大量の木々が爆ぜた。


 それは音の爆弾だ。予想していない衝撃だ。思わず振り返ろうとした――瞬間に長身痩躯の男の虫が、視界の端で消えていた。……違う。


 消えて見えてしまうほどの速度で大地を蹴ってサダレに肉薄していた。もう間近だ。握りしめられた拳が見える。もちろん反応はできる。対応もできる。けれど背後からの迫る――砕けた木々という刃の気配っ。


 サダレは垂直に勢いよく跳ぶ。


 そしてサダレは気がつかない。それが自分がはじめて選択した回避行動であるということに。虫を相手にはじめて選択した逃げという行動であることに。


 なにが起きているのか理解できなかった。なにが切っ掛けだったのか分からなかった。ただとにかく背後からと正面からの挟撃。合図も気配もなくそれは起きていた。まるで自然災害が運命的に発生するように、ただただ現象として起きていた。


 眼下では爆ぜた木々の破片が烈風のように長身痩躯の虫を襲っている。……自爆。いや。意図せぬ仲間割れのようなものか? 最初は驚いた。だが所詮は捨て鉢の暴れに過ぎないのか? 偶然に両者の攻撃が一致しただけか。


 サダレは空中で静止しながら失笑する……余裕はない。こちらを捉える強い視線――眼光に気がつく。


 サブローの目がこちらを捉えている。


 暗い森。その遙か上空。こちらを捉えて放さない。それは大蛇の視線にも似ている。獲物を見つけたならば自分の胃袋に入れるまで決して放さない強い眼光――不愉快な視線。


 それになにより杖から放たれるマナのかすかな絆は、四匹の虫に、まだ繋がっている。繋がりながらサブローの杖の動きに共鳴し、揺れ動く……!



「こうやって」



 呟き。


 瞬間、急の脱力感がサダレを襲う。まったく身に覚えのない脱力だ。さながら脳貧血のようなものか? 突然に冷や汗が出てくる。突然に手足が震え出す。突然に力が抜けていく。横になりたくなる。なにが起きているのかさっぱり分からない。


 しかして身体は空中制御を失って無慈悲に落下していく。


 地上にあるのは――無傷の虫。あの木の破片をすべて避けきったとしか思えない長身痩躯の虫の姿。さらに――ああっ! 黒髪の虫が白い精霊の加護を宿してサダレに手を伸ばしていた。その手の方向に導かれるように小さな小さな精霊が――まじないをこちらに向けているっ! 脱力感は精霊による呪いか!



「……なめるなよっ。虫が! サダレを、なめるなっ」



 叫ぶ。落下しながら叫ぶ。べつに空中に浮かんでいる必要はないのだ。地上でも存分にサダレは戦えるのだ。むしろそちらの方が都合が良いのだっ! サダレは落下しながら体内でマナを練り上げる。強大な魔術を発動するためのマナを。



「チケットA、六秒。こうして」



 サブローの持つ杖が揺れる。揺れるように、小さく振られる。すると――そのマナの絆が栗色の髪を持つ虫の背中をなぞるように動く。それだけが見える。


 その振られる杖の意味は分からない。チケットAという言葉の意味も分からない。しかし意味は分からないが――なにかいままで感じたことのない恐ろしい感覚がサダレを襲っている。いつまでも襲っている!


 サダレは地上に着地する前に魔法陣を展開した。種々雑多な色合いの大量の魔法陣を。それはサブローとの舞踏に使った魔法陣だ。いや。もっと強く殺気に満ちあふれた魔法陣だ。それを容赦なくサダレは発動させる。


 魔法陣が光り輝く!



「僕ひとりにも通用しなかったのに。……チケットB、八秒。こうだよ」



 聞こえるか聞こえないかギリギリの、呟き。


 どうでもいい。どうでもいい。その意味の分からぬ呟きすら消し飛ばしてしまえばいい。なにもかも消し飛ばしてしまえばいいっ! 


 発動した魔法陣から顕現けんげんする魔法の数々。虫など一瞬にして塵芥ちりあくたに変えてしまえる強大な魔術。強大な魔法。


 闇の濁流。


 暗黒に呑まれようとする世界で、サブローの声だけが響いた。



「A、消化」



 ――光。


 まばゆい光の奔流が闇の濁流とぶつかって世界を輝きに照らす。それは栗色と金髪の、二匹の虫によって織りなされた奇跡にも近い現象だった。


 栗色の虫が見たことも聞いたことも触れたことすらもない魔術を発動している。それは薄い光の壁である。その光の壁を通すように――金髪の虫が強大な光の奔流を放っていた! 光の壁は魔術の増大と強化か!


 ――――魔法と魔術の拮抗。


 それはサダレにとってありえない光景だった。ありえない現象だった。認めることの出来ない現実だった。……魔人だ。サダレは魔人だ。人間など本来であれば小指の先で潰せるのだ。小石を蹴飛ばすように潰せるのだ。殺せるのだ。そして実際にそうだったのだ。いつでもサダレはサブローを殺すことが出来たのだ。殺さなかったのは興味を持ったから。遊びたかったから。ただ、それだけだ。


 でも、いまは、どうだ?


 ……殺せない。殺そうとしているの殺せないっ。小虫を潰すために叩かれた両手から虫がひらりと抜け出すように。ひらりと躱してくるようにっ。殺せない!


 とうとう光と闇のエネルギーが大きく爆ぜた。


 ――――相殺のインパクト。


 木々を薙ぎ倒さんばかりの凄まじい衝撃波に一瞬だけサダレは目を細めた。視界を狭めた。けれどその狭くなった視界に、サブローの杖の軌跡が映った。


 サブローが杖を振っているっ!



「B、消化。……チケットC、三秒。これ」



 ――刹那。


 背後で殺気が膨らんだ。そこで膝を屈めたのはサダレの戦闘センスだった。瞬間に頭上を通過するのは研ぎ澄まされた蹴りだ。長身痩躯の虫が背後にいる。いつの間にっ!?


 サダレは反転しながら裏拳を放つが――既に虫は飛び退いている。



「C、消化」



 ぞくり、と。


 反転し背を向けていたサダレの足が取られる。足下を見れば灰色の精霊がサダレの両足に息を吹きかけていた。足が、固まる。それは石化のまじないである。



「っ、ざ、っけんな!」

「シラユキ――これを、こうだよ」



 激情のままに足を強引に動かし石化を解く。だがその代償として皮膚が張り裂けるっ。痛み。確かな痛み! いままで経験したことのない痛み! 右腕をもぎ取られたときの唐突さではなく、確かに感じる足の痛み! ああ! むしゃくしゃする! イライラする!


 と。


 マナを噴き上げるサダレに接近するのは――栗色の虫。それはあまりにも無防備な接近。簡単にほふれてしまう肉薄。……にも関わらず。にも関わらず反応できないのはなぜか。


 気配だ。そうだ。気配がない。目の前にいるのに危機として認識できない。ゆえに接近を許す。どころではない。接近を許しながらに反応が出来ない。拳を握れない。


 まるで、そよ風でも相手にしているかのように。


 それはサダレがいままで見た事も聞いた事もない特殊な武術の足運びだった。



「チケットD、三秒で。チケットFinaleフィナーレ、九秒。――これで、終わらせよう」



 そして栗色の虫からサダレの眼球に唐突に放たれるのは粘液だった。それはまるで落とし物を拾うかのように自然な動作で放たれた粘液だった。やはり自然すぎて反応できなかった。気配が普遍的すぎてまったく反応が出来なかった。まるで日常の延長線上にあるような攻撃だった。


 そして視界を奪われたサダレがようやく拳を振るうも、手応えはない。


 代わりに皮膚に感じるのは――――熱だ。


 灼熱の予兆。


 ……ちょうど、それは、サブローの呟きから、三秒後に訪れた。


 ああ。確かにサダレには聞こえていた。チケットという謎の言葉が。その後に続く秒数が。意味は分からずとも聞こえていた。でもようやく分かった。三秒後に――こういう現実が訪れるという、さながら未来予知のような、指揮。


 


 そして――。まるで盤の上で物言わぬ、駒のように。



「D、消化。……それにしても、楽しいみたいでなによりだよ、サダレ」



 粘液に汚れた目を擦っている暇はない。


 もはやその熱波はサダレの寸前に迫っている。ゆえにサダレは全身全霊を賭けて――己の命ひとつを護るための、まるで圧倒的強者を前にした弱者がすべての技術を懸けて防御を取るかのような、を張った。


 灼熱を遮るために、に!



「自分で笑ってることに気づいてるか? サダレ。……Finale、消化だ」



 ああ。


 そして、ようやく、気がつく。


 ――――本命は背後。


 凶相を浮かべている長身痩躯の虫――ドラゴンという名に相応しいだけの力を持った人間を気配だけで察知して、そしてサダレは、無邪気に笑っているのを自覚しながら言った。


 まるでゲームで負けてねつつも甘える、天真爛漫な少女のように。



「なにこれ。インチキじゃん!」

「君に言われたくはないよ」

「こんなの勝てるわけないしー」

「お褒めの言葉をありがとう」

「ね、ね。どうやったらこんな指揮、出来るの?」

「どうしてだろうね。……諦めなかったからかな?」

「やっぱ、勇者って面白いなぁ。……もっと、遊びたかったな」



 最期の言葉には切なさが滲む。



 ――ドラゴンの拳がサダレの頭を粉砕した。



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