102.凡人


   102



 ナイリー・ウィッツは優秀な魔術師だった。


 頭角を現したのはいつだったか。子供の頃だったか。いや。子供の頃は平凡だったかもしれない。小等学園? 低学年のときはクラスで一番程度の成績だったはずだ。それは凄いことのようでいて凄くはない。学年では三番目か四番目だ。住んでいた地区では十本の指。王都という全体を含めて考えてみればまったく目立たない子供だった。


 それでもナイリーには夢があった。


 【王国魔術団】に所属するという夢が。……こころざしたのはいつだろう? なにか大きな切っ掛けがあったわけではない。ドラマがあったわけでもない。夢と呼ぶにはあまりにも弱い動機かもしれない。それでも成長する過程においてナイリーは自然と【王国魔術団】に所属したいと思った。大人になったら【王国魔術団】で活動したい……。


 ナイリーの魔術的な才能というのはあくまでも『優秀』の域を出ないものであり『天才』にはほど遠かった。ゆえにナイリーは小等学園・中等学園へと進む過程において一度も魔術の授業で首席に立ったこともなかった。周りからは「秀才」という評価を受けていた。そして実際にそれは正しかった。ナイリーは秀才であり優秀でありながらも天才ではない。


 ところで【王国魔術団】に入団するためには厳しい試験と課程を乗り越えなくてはならない。最も手っ取り早いのは【王立リムリラ魔術学園】に入学し、卒業することであるが……誰もナイリーが卒業するとは思っていなかった。いや。そもそも【王立リムリラ魔術学園】に入学するなど思ってもいなかった。


 なにせナイリー・ウィッツは優秀ではあるが天才ではないから。


 それでもナイリーには一つだけ誰にも負けない才能があった。


 ……周りの天才が進学を機に魔術以外の分野に興味を示す。魔術師という道から段々と外れていく。気がつけばナイリーは追いついている。身近にいた孤高の天才に素晴らしい出会いがある。孤高の天才は友人を作って魔術に対して向けていた情熱を分散する。魔術に使っていた時間を分散する。気がつけばナイリーは背中を抜いている。とある天才が恋人を作る。とある天才が趣味を見つける。とある天才が自分を責めすぎてスランプに陥る。とある天才が……。


 どんな環境に置かれてもナイリーは魔術に打ち込んでいた。友人が出来たとしても友人の誘いを断って魔術に打ち込んでいた。恋人が出来たとしても恋人らしいことはなにもせずにただひたすらに魔術に打ち込んでいた。進学しても家庭に問題が起きても大きな不幸が降り注いでもナイリーは魔術に打ち込んでいた。


 天才ではなかった。


 だが続けた。


 唯一無二の、継続という名の才能。


 いや。


 強いて言うならばそれは才能ではなく――生き方だろうか。


 ナイリーは気がつけば王都の優秀な魔術学園に次席で入学している。首席は――オレンジ髪の女子生徒だった。一学年からずっとクラスが一緒だった。とはいえナイリーから彼女に喋り掛けたことはない。彼女の方から喋りかけてくることは多いけれど。……名前は把握していなかった。そもそもナイリーは他人に対する興味が人一倍に薄い人格を有してもいたのだ。


 ナイリーは魔術学園において何度か成績を落としていた。それはナイリーの怠惰ではなく……単に才能の差だった。魔術に限らずありとあらゆる才能というものはいつ開花するものか分からない。ナイリーはいつまでもずっと平凡なままの延長線上にあった。けれど魔術学園に入学してくるものはある日ある瞬間に飛躍的に上昇する。才能を開花させる。そしてナイリーを追い越しいき……。


 ナイリーは折れずに毎日毎日毎日毎日、自分の平凡な延長線を延ばしていった。


 次席ではなくなった。それでも五本の指に入るほどの魔術師だった。あるいは五本の指から抜けるときもあった。すると周りの才能ある者達は誤解した。



「あいつは魔術師としての勉学をおこたっているのだ。ゆえに成績を落とすのだ」



 違った。むしろ怠っているのは誤解している者達だった。


 成績を抜かれ、抜かれ、抜かれ――遠くなった背中にしかしまた追いつき、抜かし、抜かし、抜かし。それを三年続けた果てにナイリーは十七才で魔術学園を卒業し――【王国魔術団】の入団試験に、落ちる。


 不合格。


 ――だから、なんだ。


 ナイリーは一日だけひどく落ち込んだ。自分の才能のなさを呪った。もう二度と魔術師として活動しないと心に決めた。魔術なんて嫌いだと参考書の類いをすべて燃やしてやろうかとも思った。ひたすらベッドの中で泣いた。涙がれるほどに泣いた。喉がれるほどに泣いた。身の置き所がなくなってうろうろと部屋の中を歩き回った。クローゼットに引きこもった。そうしながら呪った。自分を嫌った。魔術を恨んだ。


 そうして疲れて果てて眠って朝が来る。


 ――だから、なんだ。


 ナイリーは起床してすぐに机に向かった。昨夜燃やしてやるつもりだった魔術の参考書を開いた。それは日課だった。朝食を食べる前の勉強の時間。さらりと知識を入れ込んでから外に出て散歩を楽しみ朝食を提供している定食屋に入る。きちんとご飯を食べてから今度は魔術の実践に励むために施設へ向かう。お昼まで時間を潰す。それから夕方までとある魔道具専門店での仕事に励んで――帰宅すると瞑想。体内のマナを練り上げていく。


 瞑想中には自分の思考が邪魔をしてくる。【王国魔術団】に入れなかった事実がまるで底にこびりついた汚泥のようにマイナスを吹き散らかしてナイリーの心を乱す。精神を不安定させる。……けれど。


 ――だから、なんだ。


 念じる。ナイリーは念じる。何度も何度も念じる。――だから、なんだ。これまで何度もナイリーは挫折を経験した。これまで何度もナイリーは周りとの才能の差に嫉妬した。これまで何度もナイリーは諦めた。


 そうだ。周りからは「淡々と勉強し続けている人間」だと思われているかもしれない。「どんな苦境に立たされても平然としている人間」だと思われているかもしれない。けれど実際のところは違うのだ。実際のところナイリーは挫折を経験していないわけではないのだ。嫉妬をしたことがないわけではないのだ。諦めたことがないわけではないのだ。


 挫折し、嫉妬し、諦める。


 自分の好きなはずの魔術を嫌いになり、【王国魔術団】に入るという夢を課したかつての己を呪い、もう才能などないのだしなにもかもを諦めて王都を離れて実家に帰って――自棄やけな思考に、同時に楽な思考に、ああ。


 流されてしまえば楽だと知っている。


 そんな濁流に襲われながらもナイリーは、何度だって水底から立ち上がってきた。


 膝を震わせながら、立ち上がってきた。



「――わたくし、【王立リムリラ魔術学園】に入学しますわ。ナイリーさんも、どうですの」



 常に首席を譲らなかったオレンジ髪の元同級生が言った。それはナイリーがお手伝いとして働いている魔道具専門店でのことだった。既に卒業から時間が経っていた。そのオレンジ髪の元同級生はわざわざナイリーの働いている店を訪れたのだ。


 差し出された手は、やけに白く、冷たかった。


 握り返したナイリーは思った。


 【王立リムリラ魔術学園】……。考える。最難関だ。それでも【王国魔術団】に入ることを考えるならば最も近い道だと考えていい。入学することが出来たならば……いや。卒業することが出来るのであれば。


 卒業、出来るのか?


 握った手を離すことが出来なかった。ナイリーは店先に立ちながら思う。そしてオレンジ髪の元同級生はナイリーの不自然な様子に、しかし優しく微笑むばかりだった。握られた手も離さない。ずっと握手が続く。


 ――無理だっ。私には無理だ。私には出来ない。私には卒業なんて出来ない。そもそも入学すら怪しい。私が一番私のことをよく知っている。私に才能なんてないんだ。私には……いつもいつもいつも抜かされる。最初は良くても抜かされる。才能の差で抜かされる。また抜かし返したとしても抜かされる。そんな私が……でも。でも。でもっ。


 ――才能はなくとも、実力はある。



「……うん。私も、入学する」



 そして、握手は離された。



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