73.落ちこぼれの空回り
73
「下手すれば死ぬわよ」
図書室の前で僕に忠告するのはオレンジの長髪が綺麗な女子生徒だった。顔つきには強気な性格が滲み出ているような気がした。それでも人に忠告をするということは柔らかな優しさも持ち合わせているのだろう。
図書室に入ろうとしただけで告げられた忠告。
そこで呆気に取られて無言になるのは僕の長所でもあり短所なのだろう。僕は頭の中で言葉を探す。ただその前に僕の隣でクモが言った。まったくの自然体で。
「なにそれ。姉ちゃんなんの冗談?」
「……? 冗談ではないけれど。ところであなたも職員さん? ……お連れってことかしら。なら尚更だわ。入らない方がよろしくてよ? ボーイ」
「どゆこと? どゆこと? てか訊いてるのはボーイじゃなくてうちなんだよねー」
「……幼いガール。これは冗談ではないのよ? 無謀の道連れになりたくなければおとなしく忠告を聞いた方がよろしいわ。とにかく、図書室には入らないこと」
「期間はどれくらいなの」
囁くような質問はアメの口から発せられる。
なるほどA級アサシン。いや。通称の方でいえばA級ギャングか。アサシンというのは細やかな分類であり一般的に闇ギルドに所属している者はギャングと呼ばれているのだ。……A級なだけはあって突っ込むべきところはちゃんと突っ込むのだろう。
子供らしい見かけに騙されてはいけない。まあ僕自身も若干騙されているところはあるけれど。でもやはりA級はA級なのだ。それだけの理由はあるのだ。
「期間は不明よ。というかあなた達は職員よね? 図書室にどんな用があるのかしら」
「いや普通に用はあるっしょ。それに結構切羽詰まってもいるんだよねーうちら」
「不明というのは無責任」
「っ。無責任なんて言われる筋合いはないわね。ボーイ。それから生意気なガール達」
「あ。姉ちゃん理由教えてよ。理由まだ訊いてないし」
「……本当に無知なのね。新しく入った職員さんなのかしら? そういえば見覚えもないし」
ところで僕は軽い気配遮断の魔術を纏わせたシャツをジャケットの内側に着ていた。それはまた絶妙な加減の気配遮断だった。僕を僕として認識は出来るけれどS級勇者サブローとしては認識できない。それでも双子のアサシンのように、S級勇者サブローであると認識している人間にとっては本来の僕として感じ取れるような。
まさに絶妙な加減である。そんな加減で魔術を発動できるのはラズリーしかいない。つまりシャツはラズリーに譲り受けたものである。
「あまりこういう言葉はわたくしとしても使いたくないのだけれど……」
「なに? 姉ちゃん」
「やる気に満ちあふれた無能な落ちこぼれほど面倒なものはない。ということよ」
どこかよそよそしいような言葉にはしかして無自覚な高貴さ――いわゆる貴族が平民に向けるような上からの視線が籠められていた。そしてその言葉はアメとクモにとっては「あぁ」と納得いく言葉だったらしいが……僕には刺さる。
勇者になりたての僕というのは迷走に迷走を重ねていた。普通に社会で働きたいという思いもありつつ勇者らしくみんなと肩を並べなきゃ! みたいな微妙なやる気があったのだ。そして空回りに空回りを積み重ねていた。みんなに迷惑を掛け続けていた。ああ……。あの時期は思い出したくないっ。
でもだからこそ僕にはなんとなく理解が出来た。女子生徒の言葉の意味というやつが。
「どゆこと? うちには分からんけど」
「私にも」
「……これ以上をわたくしに説明させるつもりなのかしら? まったく」
「いや、大丈夫。大方は理解した。……つまり遠回しに言うけれど、図書室の中には数人くらいしかいないんだろ?」
「……話が理解できるようでなによりですわ。ただ、ひとりとだけ言っておきましょう」
「……ひとりか」
「ええ。ひとりです。ひとりだけいらっしゃる。そしてそのひとりを見て……利口な皆さんは離れていく。これがどういうことかお分かりですか?」
「とんでもないってことだね」
「その通り。理解していただいてなによりですわ。ということでわたくしも人助けはこのくらいにして……やるべきことは他にもありますので。特に魔神が復活したということでわたくしも気張らなければならないですし。このあたりで失礼いたしますわ」
「あ。ちなみにどれくらいでまた戻ってくる予定?」
「……そうですね。一ヶ月後くらいでしょうか?」
と。
当たり前のようにオレンジ髪の女子生徒は言った。僕にはその言葉がうまく飲み込めなかった。……一ヶ月? 一日とかではなく? いや一日でも長すぎるものだと僕は思ったのだ。それこそ一時間後とか二時間後とか。その程度の時間を置いてまた女子生徒は戻ってくるのではないかと……みんな戻ってくるのではないかと。
思っていたのに……一ヶ月。
一ヶ月?
「前回は修復にそれくらい掛かりましたのよ。それでは、またどこかで、ご縁がありましたら」
そうして彼女はオレンジの髪先を腰のあたりで揺らしながら去って行く。歩き方にはやはり気品があった。高潔さがあった。なるほどもしかすると本当に帰属なのかもしれないなと僕は思う。思いながら考える。
でも考えるより先に疑問が飛んでくる。
「そんで兄ちゃん。一ヶ月待つ?」
「待ってもいい。アメは」
「……待つわけないだろ、さすがに」
待つわけがない。
去って行く女子生徒は魔神関係でやらなければならないことがあると言った。しかしそれは同時に僕自身も同じなのだ。僕もまた魔神関係でこの学園に来ている。
いまはまだ世界に大きな異変は起きていない。……空の黒点を除いては。いや。あれこそまさに大きな異変なのかもしれない。しかして現実感は薄いのだ。遠くの出来事だから。
けれどいつどうなるかは分からない。
魔神が復活したのだって予兆はなかったのだ。いきなりだったのだ。であるならば魔神が【惑星ナンバー】に対して牙を剥くのだって突然かもしれない。明日のことかもしれない。明後日のことかもしれない。あるいは世界の遠くにある誰も知らぬ土地では既に魔神による侵略が始まっているのかもしれない。
時間を掛けている暇はないのだ。
そして。
そして僕は迷わずに図書室のドアを開けて――現在地点に至る。
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