第二部 王立リムリラ魔術学園潜入編

60.退院


   60



「【王立リムリラ魔術学園】。そこに、潜入してもらいたい」



 といきなりお願いしてきたキサラギ師匠の言葉というのは僕の頭でずっと回っていた。ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる……。【王立リムリラ魔術学園】に潜入? 一体どうして? どういう目的で? というかなんで僕なんだ?


 それこそ【王立リムリラ魔術学園】に相応しいのは我が【原初の家族ファースト・ファミリア】の頼れる魔術師様であるラズリーとか。……いや。そういえばラズリーは一年だけ通って伝説になった後に退学した身なのだ。今更戻るっていうのも難しいだろうか? いやいや。ラズリーほどの才能があればなんだかんだで学園側も許可しそうなところはある。うん。


 あとはたとえば【虹色の定理ラスト・パズル】のリーダーでありB級勇者でもあるププムルちゃんとか。しかしまあ彼女は確か卒業生だったか。……今更だけれどもあの学園を卒業したというのは凄まじいことである。それこそ【ライネルラ王国】が家族親戚までもを手厚く扱ってくれる【王国魔術団】にフリーパスとも言われているのだ。卒業出来ればの話だけれど。


 いま一度【王立リムリラ魔術学園】について考えてみる。


 けれど出てくる思考というのは「王国一の学園であり、同時に入学も卒業も王国一難しい」というものでしかない。「実力至上主義」と言い換えても良いだろう。才能さえあれば三歳児でも入学可能なのだ。……しかし才能が伸びなければそのまま老衰まで卒業出来ない可能性だってある。そういう学園だ。


 実際に僕は聞いたことがある。四十三歳で才能と実力を認められて入学した人の話を。その人は結局八十歳で老衰を迎えた。卒業することなく。


 まったくもって頭のおかしい学園である。それが【王立リムリラ魔術学園】……いや。


 僕にとっての問題はそういうところではないか。やはり師匠の言葉の理由が問題だ。そして意味が問題だ。一体どうしてそんな学園に潜入なんてことをしなければならないのか? 目的がまるで分からない。


 でもキサラギ師匠はその場で答えてくれるわけではなかった。


 それこそクエスチョンマークにあふれている僕を置いて「これで用は済んだ」と言わんばかりの身軽さで病室を去っていった。いやいやいや……。まったくとんでもない人だ。これが僕にとっての師匠という立場でなければ僕は縁すら切っていたかもしれない。


 本当に。


 ということで僕の頭ではずっと師匠のお願いが回ることになる。ぐるぐるぐるぐるぐる。それは僕が入院生活を送る中でずっと続く。ずっとだ。しかも師匠のお願いというのはなんとなく他に漏らしにくいような雰囲気があるのである。べつに直接的に口止めされているわけではないけれど言いにくい。の二文字も関係しているかもしれない。潜入ということはやはり秘密裏だろう。……つまり相談が出来ない。


 入院生活中にいろいろな人が僕のお見舞いに来てくれる。それこそランプちゃんは毎日長時間僕に付き添ってくれていた。また大切な戦友となったフーディくんやププムルちゃん。その二人が率いているパーティーの【虹色の定理ラスト・パズル】と【竜虎の流星ダブルスター・ダスト】もお見舞いに来てくれることがあった。


 そしてどうやら【竜虎の流星ダブルスター・ダスト】はしばらく王都を離れるらしい。最後に会った日にフーディくんは報告してくれた。



「サブローさん。ロディンから聞いていたが……あんたのお陰で大切な幼馴染みを救えるかもしれない。俺達は【精霊の里】に向かうよ。その、リリカルっていう精霊がどんな無理難題を押しかけてくるかは分からないが……。それでもあんたの背中を見ていたんだ。諦めないでやってみるよ」



 フーディくんの目の輝きというのは最初に会ったときよりも強くなっているような気がした。希望にちているような気がした。それは絶対に成し遂げなければならない目的を抱いている人間の目だった。なにより戦っている人間の目だった。ああ。そして僕はそんな人間の目が好きだ。だから僕は深く頷いて【竜虎の流星ダブルスター・ダスト】を送り出す。


 他にも入院生活中にはダークちゃんがお見舞いに来てくれた。深い黒髪にプラチナのメッシュを入れているお洒落で今時の後輩である。僕の大事な後輩である。


 ダークちゃんはダークちゃんで家業の鍛冶屋で経験を積んでいる身であり忙しいはずだった。その合間を縫って会いに来てくれたのだからこれほど嬉しいことはない。


 ダークちゃんは僕の状態を見てちょっと呆れている感じだった。



「やっぱサブ先輩、無理しすぎっすよ」

「無理ねぇ。無理したつもりはない……っていうのは嘘かもなぁ。無理はしたかも」

「そんな状態じゃ酒も飲みにいけないじゃないですかー」

「酒が目的か……」

「当たり前っすよ。先輩と行くといっつも奢ってもらえるし。王都に居る間はずっとたかってやろうって思ってたのに」

「とんでもない後輩だ!」

「はやく治してくださいよ。王都にいる間はこの可愛い後輩ちゃんが先輩を独占してやろうって考えてるんすから。……はやく、治してください」

「まあ、治る治る。大丈夫大丈夫」



 たぶん最後のダークちゃんの言葉っていうのが彼女の本心なのだろうなと僕は思った。それは思わず照れちゃうくらいに恥ずかしいことだけれど。でも本当にダークちゃんは僕を心配してくれているのだろう。はやく身体を治してくれと願っているのだろう。


 ああ、まったく。


 入院しているのだから当然身体の状態っていうのは最善ではない。むしろ悪い。身体を動かすたびにどこかしらが痛む。目だって眼精疲労の状態からまだ立ち直っていない。活動限界は十時間ほど。起きて十時間も経てばもう起きていられなくて僕はぐっすりベッドの上で眠る。それが続く。


 でも幸せだった。ここ最近で僕は一番に幸せを実感していた。……いやしい話だけれど人から心配されるというのは嬉しいことなのだ。僕だって人間だからね。色々な人がお見舞いに来てくれる。そして僕に声を掛けてくれる。それは僕にとって幸せ以外のなにものでもなかった。僕は幸せ者なのだ。


 そして僕は約一ヶ月の入院を経て退院した。


 迎えに来てくれたのはやっぱりランプちゃんだった。【原初の家族ファースト・ファミリア】のみんなはまだ忙しいらしい。それはそうだ。僕が入院している間に彼等は冒険者協会に対して情報提供を行わなければならない。魔人について。それからサダレの残していった言葉について。


 ランプちゃんが手配した移動用の馬車が迎えに来てくれる。運転手は雇われである。僕とランプちゃんは病院関係者に何度も何度も頭を下げて馬車の箱に乗り込んだ。そして出発する。


 やがて。


 移動する箱の窓から僕はを発見する。


 それは空にある。果てしない蒼空の向こう側にある。ああ。どうして入院中に気がつかなかったのかまったく不思議だ。それに気がつくほどの余裕がなかったのだろうか。たぶんそうなのだろう。


 が浮かんでいる。



「……ランプちゃん」

「はい。どうかしましたか?」

「最初は僕の目の錯覚っていうか、とうとう僕の眼球にも寿命が来たのかと思ったんだけどさ……」

「そんな怖いこと言わないでくださいよ!」

「……あれ、なに?」

「あれ、ですか?」

「うん。黒い点。あれは僕だけに見えてるわけじゃないよね?」



 まるで黒いゴミ。大きさはどれくらいだ? それこそ虫が飛んでいるような感覚にも近い。それは青空で驚くほどに目立っている。僕の目は良い。でも僕だけに見えているわけではないだろう。そういう類いのものではない。


 やがてランプちゃんは僕の質問に合点がいったかのように手を合わせた。そしてなんてことのないように言った。



「魔神が復活したときから、空に見えるようになったんです」



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