59.第一部エピローグ『師匠と弟子』


   59



「……なにしてるんですか、師匠」

「……ん。おや。気がつかれてしまったかい」



 くたびれた白衣姿は変わらない。


 手ぐしさえ入っていないようなぼさぼさの長髪。くすんだ黒色。気怠い雰囲気。病室に漂うのはほのかに甘い紫煙の匂いである。


 どこからどうみても世を捨てたとしか思えない風貌の女性。それでいて決して手には届かないような魅力もあるのだから不思議だ。――キサラギ師匠はそこに立っている。



「気がつかれないと思っていたんだけれどね?」

「……そうですか」



 夜だから暗い。部屋も消灯されてしまっている。それでも僕の目というのは夜目も優秀なのだ。だから容易に気がつくし……そもそも本当に気がつかれたくないなら気配を完全に消せばいい。僕の死角に立っていればいい。


 師匠は僕に気がつかれるような場所に立っていた。それが答えだ。でも僕は無粋ぶすいではないので野暮なことは言わない。師匠の戯れ言に付き合う余裕がある。



「まあ、気がつきますよさすがに。僕だって暗殺者に狙われた経験がないわけじゃないですからね」

「ふむ。それは初耳だ。愛弟子に暗殺者か。ちなみに首謀者の特定は済んでいるのかな?」

「既に内々で終わった話ですから。師匠が出る幕じゃないですよ」

「そうかな。まあ。注意くらいは私がしてもいいだろう」

「よくないでしょ……」



 そうして師匠が顔に浮かべる表情っていうのは意地悪な微笑である。憎いことにその表情というのは師匠によく似合っている。なによりも憎いのは師匠の言葉が本気なのか冗談なのか僕には判別がつかないということだ。これでも人の表情から真実と嘘を見分けるすべには長けている自負があるのだけれど……師匠に関しては分からない。特に師匠がそれを隠そうとしているときには。


 まったく。


 僕は不満げに唇を尖らせながら肩をすくめた。それはたぶん子供っぽい仕草だったのだろう。師匠は微笑みを深める。……師匠の前だとどうしてか僕も子供っぽくなってしまう。それはやはり小さいときから接していたからだろうか? たとえば家族の前だとすこしわがままになってしまうような現象と似ているのだろうか。


 さて。


 僕が黙っている間に師匠はゆっくりと近づいてくる。そしてそのままベッドサイドの椅子に腰掛けた。ああ。なんだかそうしていると昔を思い出してしまう。よく僕が修行で打ちのめされて寝込んで――師匠が横で僕を看病してくれていたのだ。僕を寝込ませた張本人の癖して師匠は心配そうだった。そしてそのときに僕は思ったのだ。


 なんて不器用で不思議な人なんだと。



「おや。少年。いまなにか、失礼なことを考えなかったかな?」

「いやいや。まさか。僕はいつも師匠を尊敬してますからね。失礼なことなんて考える余地なんてないです。はい」

「ふむ。……まあいいさ。で。どうだったんだい」

「はい?」

「魔人と戦ったのだろう。ラズリーくんから聞いた。……きみの見解は?」



 それはどうにも曖昧で答えにくい質問だった。とはいえ僕は師匠との付き合いが長い。そして師匠が同様の質問をしてくる場面にも何回も何十回も何百回も遭遇してきた。……というか強い魔物と激闘を繰り広げることになったときには必ず師匠はこのような質問をり出してくるのだ。たとえば僕が勝とうが負けようが。


 まったく意地悪な人なのだ。それでいて優しい人なのだ。キサラギ師匠という人物は。そして僕は師匠の濁った瞳に視線を合わせながら言う。



「あれに勝つには卑怯な手も惜しまず使わないといけない」

「ふむ。たとえば?」

「僕と同等かそれ以上の等級を持つ勇者パーティー。彼らに協力を要請して、大人数での闇討ちとか」

「なるほどね。とはいえ勇者というのは気高い魂を持っているものだ。闇討ちに賛同してくれるパーティーは珍しいだろうね」

「でしょうね。まあ。僕も見解として倒し方をちょっと考えてるだけです。本気じゃないですよ。さすがに」

「なら良かった。とはいえ……とはいえきみ。少年」

「はい?」

「きみはその魔人には勝った立場なのだろう?」



 ……やはり本気なのか冗談なのか判然としないな。僕は師匠の言葉を考えながら思う。師匠の表情を窺いながら思う。そして本気なのか冗談なのか分からない相手には誠実に答えるべきだと僕は知っている。つまり僕の本心を語るべきだと。


 僕は言う。



「負けてましたよ。どう考えても」

「そうなのかい? 聞いていた話とは随分と違うのだけれど」

「……あれは、あいつにとっては、遊びだった。後半こそ本気で殺そうとしてきた感じはありましたけど、でも、正真正銘の本気とは言いがたい」

「というと?」

。それは後半になっても変わらなかった。決着がつくまで変わらなかった。要は……僕たちがスライム相手に本気を出すのが難しいのと同様の原理ですよ」

「なるほどね」



 得心がいったように師匠は頷いた。……そうだ。僕たちがスライムを相手にするのと同じなのだ。たぶん魔物の中で最下級に位置するであろう雑魚モンスターであるスライム。そのスライムを相手に果たして僕は本気を出せるだろうか? 本気の殺気を向けられるだろうか? ……無理だ。


 たとえば家族をそのスライムに殺されたとか。仲間をそのスライムに殺されたとか。そういった背景があれば別だろう。けれど背景もなく目の前にスライムの群れが現れたとして、僕はそのスライム達に本気を向けられるだろうか? ……どう考えても無理だな。僕は自分で考えながら苦笑する。


 本気を出そうと思ってもそれは百パーセントの本気ではないだろう。百パーセントの殺気ではないだろう。どこか気は抜けているはずだ。どこかで手は抜いているはずだ。


 そしてそれは魔人サダレにも当てはまる。……サダレは後半こそ本気の殺気を向けてきた。でもそれが本当に百パーセントの殺気だったのかは疑問だ。たとえばサダレと同格のライバル的存在に対して向ける殺気と同等だったのだろうか……? 違うだろう。


 あの本気というのはあくまでも――下等生物に向ける本気の上限値である。



「だから、もし次があるのなら――次は勝てない。次は負ける。こんなことは師匠くらいにしか漏らせないですけど……。たぶん次はライバルとしてサダレは僕たちの前に立ち塞がると思います。そのときには、いまの僕たちでは、勝てない」

「……うん。なるほど。ありがとう。きみの言葉は正しいだろうね」

「……つまりはまだまだ僕たちは強くならなきゃいけないということで、いろいろと師匠に教わりたいんですけどね」



 ああ。


 気がつけば僕は修行をおねだりしている。おいおい。僕は思う。これってまさか師匠に誘導されているわけではないだろうな? あくまでも僕の心の底から湧いてきた感情だよな? まさかまさか師匠はこの言葉を僕から引き出すがために僕の病室に足を運んだわけではないよな? ……師匠ならあり得るから怖いのだ。


 そしてその答えは分からない。


 師匠は僕の言葉を聞いて微笑む。微笑みながら言う。



「そういえばきみ、妹さんがいるよね。ミルキーちゃん、だったか。優秀だと聞いているよ」

「……はい? はい。いますよ。ミルキー。どこの高等学園に入学するのかは分からないですけど、今年で義務教育は終わりですね」

「ふむ。、か」

「……なんですか。その含みのある言い方は」

「いやいや。……ところで。実はすこし、私からきみにお願いがあるんだよ」

「え」



 師匠から僕へのお願い? なんだそれ。いままで経験したこともない。いつもいつもお願いするのは僕の側なのだ。師匠が僕にお願いしたことなんて本当にゼロ。


 僕が唖然としているうちに、師匠は二の句を継いだ。



「――――【王立リムリラ魔術学園】に、潜入してもらいたい」





______________________________________




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