95.勇者の弱点
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――魔人エイプリルから二度目の呼び出しを食らったときのサダレの地点は浴場にあった。暗黒に覆われた魔界の城の地下部。本来であれば人型をした魔物がよく利用している浴場だ。しかしいまはもぬけの殻と呼んでも良い。さすがに魔人であるサダレと一緒に入浴をしようという猛者はいないのだ。いくら獰猛な性格を持つ魔物達とはいえ。
エイプリルが呼んでいるという報告は湯水を吸い取る排水溝の奥からうめき声として聞こえてきていた。恐らくエイプリルが操っている屍人の一種だろう。狭く暗いじめじめとした環境を好む屍人だ。あるいはそれはなにかの屍であって人ではないのかもしれない。とはいえサダレからしてみれば細かいことはどうでも良かった。
……何の用だろうか?
サダレは青みがかった銀髪を湯に流しながら思う。滑らかな肌にも指を這わせていく。感覚は以前よりも敏感だった。この優れた肉体に魂の形が適応しつつあるのだろう。やや胸部や臀部が大きすぎないか? とも思ったが順応してみれば気に入った。それに攻撃に体重が乗るのも悪いものではない。
エイプリルの呼び出しに応じるつもりはなかった。
サダレはあくまでも自由だった。なによりも気ままだった。面倒なことには応じない。それにエイプリルなんてサダレからしてみればとっつきにくい魔人の代表格でもあった。まだ他の魔人に呼ばれたのならば応じる気にもなれるというものだが……エイプリルは嫌だ。
湯船に浸かる。心地よさに脳味噌を
ゆっくりと息を吐き出していく。
天井で回る換気扇から声が落ちてきたのは目を瞑った後だった。
「サダレさま。サダレさま」
「……」
「エイプリルさまより、伝言です」
「……」
「勇者サブローについての、経過報告です」
「……うるさい」
「勇者サブローについての、経過報告です」
「……」
「勇者サブローについての」
「
浴槽に浸していた両手で筒を作って水を圧迫する。それは他愛もない水鉄砲だった。しかしサダレの肉体による水鉄砲はもはや凶器だった。噴き出された熱湯は換気扇に吸い込まれて声の主を容赦なく屠った。
あとに残るのは静かな浴場だった。
しかし。
舌を打つ。やはりサブローのことに関しては気になる。そうだ。サダレはさらに思い出す。そういえばエイプリルはサブローに手を出そうとしているのだ。ああ。それを止める権利はもちろんない。しかし経過は知っておきたい。いまサブローはどういう状況にあるのか? まさかエイプリルなんかに翻弄されているはずがないだろう。
何度も何度も舌を打ちながらサダレは浴槽を出た。そのまま魔術で水気を払うと同じく魔術でてきとうに服を着る。すたすたと歩いて――向かうのは食堂だった。いつもの食堂だった。エイプリルが行儀悪く飯を食らっている食堂だ。
中に入れば――しかし咀嚼の音や食器の音はまるで聞こえなかった。
暗闇の隅にエイプリルの姿が覗く。
爽やかなオールバックの髪型にぴしりと決まったスーツ姿。エイプリルは変わらない。変わらないままサダレを認めて気味の悪い愛想笑いを浮かべる。
サダレは憮然とした表情を崩さないまま近づき――やがて不機嫌なままに言った。
「なに?」
「あなたはあの勇者サブローに執着していたでしょう。サダレ」
「……」
「これは私の優しさですよ、サダレ。せめてどのようにサブローが朽ち果て死に絶えていくのか……同じ魔人のよしみです。教えてあげましょう」
「どうでもいいんだけど」
と言いつつもサダレの胸がむかむかとするのはなぜか。分かっている。これは嫉妬に近い。サダレはしくじった。ゆえにいまは城の水槽で新たな生命体を育てるという作業に準じているわけだが……本来であればやりたいことは別にあるのだ。
本来であればいますぐにサブローのもとに駆けつけてサブローを負かせてあげたいのだ。
殺されるのは怖いとサブローは言っていた。だから飼うのだとサダレは決めていた。実力差をちゃんと
エイプリルなぞに負けてほしくないな。
サダレは素直に思う。でもそれを言葉にはしない。やはりあくまでもサダレの魂は主人――魔神のものなのだ。
「呪いを掛けました。勇者サブローの肉体に」
「……? そんなんでサブローが死ぬとは思えないけど?」
「サブローは仲間を引き連れているようです。パーティーのメンバーではないでしょう。なにかしら秘密裏に動いているようですね。気配遮断の魔術を掛けている様子。これはすべて配下からの報告ですが」
「ああ。そういえば言ってたね。配下に殺させるんでしょう?」
「ええ。後で紹介いたしますよ」
「別にいい。どうでもいいから」
「まあまあ。……確かに勇者サブローは手強いですね。サダレが仕留め損なったのも納得できる。ええ。あれを害するには労力がいる」
「そりゃそうだよ。サダレにも殺せなかったんだし。エイプリルなんかに殺されるわけないと思うけど。それに、その配下なんかには」
「ええ。ええ。よく分かりますとも。どこからどう見ても平凡にしか思えませんが……隙がない。不可思議なものですね。最も容易に殺せそうな人間であるというのに、最も難儀する相手でもある。はじめてのタイプでもありますよ」
サブローを認めるようにエイプリルは言葉を紡ぐ。するとどうしてサダレの表情が緩みそうになる。……そうだ。そうなのだ。サダレは思う。エイプリルの言葉というのは最も的確にサブローを表している。
殺せそうなのに殺せない。
弱そうなのに弱くない。
不思議なのだ。ああ。サダレは実際に対峙したからこそ分かる。サブローは不思議だ。不思議な……勇者だ。サダレは頷く。既にサダレの中でサブローは勇者だった。勇者として認められる存在だった。
「しかし」
にやけそうになるサダレの表情を固めるのはエイプリルの二の句だった。
エイプリルは骨張った指で眼鏡を支えるようにする。そのレンズの奥にあるのは薄暗い瞳だった。覗くのはほの暗い感情だった。……屍人の足音が聞こえてきそうになる。どこからともなく鉄剣をひきずる音が聞こえてきそうだ。あるいはその金属の
ああ。
エイプリルは言った。
「どんなに強い勇者であろうとも――弱点はある」
「……サダレにはよく分かんないけど。力が弱いとか?」
「いいえ」
「じゃあなに?」
「足手まとい」
「足手まとい?」
「あの勇者は、優しすぎる」
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