35.教会


   35



 この世界――【惑星ナンバー】にはと呼ばれる区域がある。


 女神信仰の賜物たまものによって生まれたものである。その名の通りの森……というわけではない。暗い色をした木立がすこし集まって空高く伸びている程度、といった方が正しいだろう。ではなぜ鎮守ちんじゅの森という仰々しい名がついているのか? といえば、それは木立の中心にある建物が影響している。


 ――教会。


 それもただの教会ではない。既にすたれて神官も修道士もいなくなってしまった廃教会である。鎮守の森はそんな廃教会を囲っているのだ。……なぜ? というのは実はあまり知られていない。ただ遙か昔の名残であることは明らかだ。文献にも残っていない遙か昔から女神信仰で廃教会となった場所には木立の苗が埋められるのだ。


 ふいに、やわらかな風がププムルの首筋を撫でていった。


 頭上で鎮守の森――にも似た暗い色の木立が揺れた。天を衝くかのように伸びている幹の先が揺れた。枝葉が揺れた。こずえが揺れた。


 サブローの指さした先に向かった一行が発見したのは鎮守の森にも似た木立の群生だった。そしてその木立に囲まれるように建っている灰色の教会だった。はりのところには見たこともない紋様が刻まれていた。女神信仰であればそこに刻まれているのは三角形と、その中心に据えられた女神の横顔である。だがその教会は違う。


 女神ではないべつのなにかを信仰している。



「……見たことがない。なんの教会だ? ここは。……けれど周りは鎮守の森のようにもなっている。女神信仰なのか? ……いや」

「僕も見たことがないな。というか、あんまり詳しくないんだけど。ププムルちゃんは?」

「あ。私も……。その。私にもなにを信仰しているのかは……」



 ププムルは他のメンバーにも視線を這わせるけれど知っているものはいなさそうだった。この教会はなんなのか。どういったものを信仰している場所なのか。


 とはいえ無視はできない。永遠に続くかと思われた草原の光景に現れた唯一の変化なのだ。ゆえにププムルは教会の外観を観察する。しかし外から得られる情報は少ない。すこし壁の剥げている古めかしい教会。それはただの教会なのだ。大きくも小さくもない。


 きっと神官がひとりに修道士が数人。祈りの期間に入れば信奉者達が十数人は現れて女神に祈る。そういった光景が容易に目の裏側に浮かんだ。


 どちらにせよ、入らなければなにも分からない。


 その判断はププムルのものではなく全員のものだった。そして気配察知に優れたものが外から中の様子を探って「生きているものは誰もいません」とフーディに報告を告げる。それでも罠の可能性がある。ゆえに【竜虎の流星ダブルスター・ダスト】の盗賊職が先頭に立った。


 両開きの扉がゆっくりと開かれる。


 教会の内部に光が射し込んでいく。


 ――まるで宝石が舞っているように見えた。それは空気中に舞っている埃が光に照らされてキラキラと輝いているからだった。さらに光が満ちれば教壇の奥に鎮座しているステンドグラスが反射して色を変える。それは場違いにもとても綺麗な光景にププムルには思えた。


 しかし冷静に観察してみれば壁には不明な文字の看板が掲げられている。それは読むことの出来ない文字だった。文字だと認識できるのは雰囲気による直感のみだ。けれど恐らく文字なのだろう。まるでミミズがのたくり回っているような文字だった。そんな文字の横看板が教会のいたるところに飾られている。


 本来の教会に当たり前のように存在している長椅子のようなものはない。神父が立つであろう教壇があるくらいだ。ステンドグラスの模様もなにを意味しているのかは分からない。


 天井から吊り下がっている照明は豪奢ごうしゃだった。すくなくともププムルには見覚えがない形をしていた。いつの時代の照明なのだろう。どれだけ高価な照明なのだろう。いまこそ光を発していないが、もしもこの照明が生きていたのならば思わず見惚れてしまっていたことだろう。


 そして慎重な足取りで一行は教会の中に入っていく。


 瞬時にププムルは無詠唱魔術で魔法陣を展開した。明かりの魔法である。そして魔法陣はすぐに発動して教会内部を明るく照らす。



「まさか、こんなところに……」



 呟くのはフーディだった。その言葉にはププムルとしても同意だった。……視線の先、存在しているのは『螺旋階段』である。


 ダンジョンの次の階層へ進むために上らなければならない螺旋階段。支柱の存在しない不可思議なそれは教壇のさらに後方にあった。寂しげにぽつんと存在していた。それはまるで遊具が撤去されて子供達の去った公園のような寂しさだった。


 螺旋階段は高い天井まで円を描くように巻きながら昇っている。


 誰かの生唾を飲み込む音がやけに響いて聞こえるような気がした。


 螺旋階段というものをププムルは見慣れている。当たり前だ。冒険者にとってしてみればダンジョン探索は切っても切り離せない関係性にある。そしてダンジョンを探索しているのならば螺旋階段を見かけないということがない。それこそ一般人が立ち入れる日帰りダンジョンにさえ螺旋階段は存在しているのだから。


 けれど、見慣れているはずの螺旋階段が、どこか異様な感覚を心に渦巻かせてくる。



「……行くぞ。行くしかない。怖いのは分かるが、俺達は先に進まなければならない。もしもこの先で何らかの儀式――世界の危機に繋がるようなことが起きているのならば、俺達が、勇者として阻止しなければならないんだ」



 フーディの言葉は仲間達に対する鼓舞だった。そして尻込みしているような雰囲気の何人かが深く頷いた。折れそうになっていた気持ちを立て直した。そうだ。その通りだ。もしもこの先にすべての異常事態の原因があるのだとしたら。もしもこの先に世界の危機に繋がるような儀式が行われているのだとしたら……。止めるのが仕事なのだ。そのための調査隊なのだ。そのための、勇者なのだ。


 けれどなによりププムルはフーディに同情を抱いた。


 それは直感にも等しい感覚だった。けれどププムルにはフーディが怯えているのがよく分かった。フーディこそが尻込みしているのがよく分かった。……つまりは仲間の鼓舞であると同時に自分自身に対する声掛けでもあるのだ。フーディは仲間達もそうだけれどなにより自分自身の気持ちを前向きにするために声を掛けているのだ。


 静かに、足音の列が、螺旋階段へと近づいていく。


 そしてププムルは見上げる。支柱もなく、まっすぐに巻き上がりながら天井へと昇る螺旋階段の軌跡を。その最上部にある踊り場を――踊り場に張ってある白濁したを。


 膜をくぐれば次の階層へと進む。


 進みたくない……。一行は階段を上る。……次の階層になんて行きたくない。ププムルは思う。しかしププムルは意思に背くようにして足を進める。一段目の階段に足を乗せた。ああ。家に帰りたいな。お姉ちゃんに連絡がしたい。パパとママにもメッセージ・バードを飛ばしたい。そして安心したい。みんなと一緒にいたい。冒険者の友達や仲の良いパーティーと一緒にいたい。そうして王都の防衛をしていたい。こんな少人数で、こんな得たいの知れないダンジョンになんてもぐりたくないし、その先にも進みたくない……。


 正直な弱音に蓋をするようにして階段を上る。上る。上る。


 そしてフーディ達が足を止めている螺旋階段の踊り場の手前で、ププムルは【虹色の定理ラスト・パズル】のメンバーと、そしてサブローを振り返った。


 ――サブローはぼんやりと退屈そうに螺旋階段の下にある教会内部を眺めていた。


 それからププムルの視線に気がついて顔を合わせる。……なんてことはないように微笑んだ。そうして小首を傾げて「なに?」と無言で問いかけてくる。けれどププムルは答えない。もう十分だった。毒気が抜かれる感覚を味わう。


 そうして合同パーティーは螺旋階段の膜を、くぐった。



 ――――先に広がるのは光虫の飛び交う暗い森だった。



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