34.偽りのエデン


   34



 世の中には日帰りダンジョンというものが存在する。


 基本的にダンジョンというものは冒険者しか立ち入りを許されていないものだ。大抵の場合はそれぞれの国が法によって定めている。冒険者のライセンスを持っていない人間がダンジョンに立ち入れば罰せられるのだ。


 そんな中にあって日帰りダンジョンというのは一般人でも立ち入ることが許されている。……ププムルは幼い頃に両親と、そして姉と共に訪れた日帰りダンジョンを思い出していた。


 そこは魔術灯によって明かりをキープされている洞窟型ダンジョンだった。


 ダンジョンXとは違うので魔物も湧く。簡易的だが自然のマナによって発現する罠も存在する。螺旋階段もある。最下層にはボスじみた強敵がいることだってある。ちゃんとしたダンジョンだ。しかして一般人でも立ち入りを許されているのには理由わけがある。


 実力があって暇を持て余している冒険者達がアルバイトとして雇われているのだ。そして魔物が湧いてもすぐに倒せるように配置がなされている。罠にしても盗賊職の冒険者が簡単に解除してしまう。道案内の看板だって建てられている。螺旋階段までの道のりも整備されている。誰でも最下層に立ち入ることが出来る。そして冒険者とボスとの戦いというのは一種の演劇じみた興奮があった。


 ププムルは瞼の裏に鮮明に思い出せた。岩肌をしたたっている水の質感が。親切な冒険者達の笑顔が。魔物が倒れていく光景が。……自分はなにもしていない。ただ両親と姉に連れられて足を運んだだけだ。それでもワクワクした。ドキドキした。ダンジョンは子供の頃にはとても広く思えたのだ。そしてダンジョンから出たときには大きな充実感があった。確かな達成感もあった。


 ……ただもうすこし大人になってから学友と同じダンジョンに訪れたときにはすこし拍子抜けた。成長した自分にとってそのダンジョンは狭かった。ワクワクもドキドキも薄れていた。


 所詮はアトラクションだった。


 それが日帰りダンジョンと呼ばれる場所なのだ。



 そして――いま。



 最果てが見えないほどの広大な大地。広大な草原。一体どこにこのダンジョンの終わりはあるというのだろうか?  広すぎて広すぎて螺旋階段すらも見当たらない。ただただひたすらに草原地帯が広がっている。


 不気味なのは魔物さえも見当たらないことだった。


 本来であれば考えられない。すくなくともププムルが持ち合わせている常識では考えられない。


 ププムルが第二に不気味に思っているのは空間の広さに比べてマナの濃度が薄いことだ。


 スタンピードの瞬間に扉から噴き出ていたマナの濃度は異常だった。それこそ暗黒の瘴気が噴き出していると錯覚してしまうくらいには……。もしもあの濃度がダンジョン内部でも続いているのだとしたらププムルには耐えられなかっただろう。いくら魔術師といえどもマナの許容量キャパシティには限界があるのだ。濃度の高すぎるマナは魔術師にとっては毒でしかないのだ。


 だからダンジョン内部のマナの濃度が思ったよりも薄いのは、ある意味でププムル達【虹色の定理ラスト・パズル】を救う現実である。とはいえ……。


 こんなにも空間が広がっているのに、それに不釣り合いなほどマナが薄い。そして一体たりとも魔物が見つからない。


 ただただ、のどかな光景が延々と続いていく。


 ダンジョンに侵入してからどれだけの時間が経っただろう。どれだけの時間を歩いただろう。


 偽りの太陽は青空の定点からまったく動かない。ただただまぶしい光だけを草原に注いでいる。


 ――光景だけを見るならば、それこそ楽園エデンにも等しい。


 自然とププムルはサブローに言葉を投げていた。



「これ、サブローさんからしてみると、どんな感じに見えるかもですか?」

「……ん? ごめん。どんな感じっていうのは?」

「あっ、えっと。……この状況のことかもです」

「あー。いいよね! 平和でさ。うん。僕はやっぱり争いとかは好きじゃないしね。平和なのがなによりだよ。魔物もいないし。気楽でいいね」



 しみじみと頷くようにして言うサブローの表情には嘘が見えなかった。本当に心の底から現状を安心して見ているように感じられた。……なぜそこまで余裕を保てるのだろう? 現状というのは魔術師であるププムルでなくとも異常だと思えるほどなのだ。きっと【竜虎の流星ダブルスター・ダスト】の面々もフーディも言葉にしないものの感じているだろう。不気味さを。


 終わりのない楽園エデンの恐怖を。


 そしてププムルは胸のうらに湧き出す感情を抑えきれずに言っている。



「サブローさんは、どうしてそこまで強いかもですか?」

「……? いや。僕はべつに強くないけどね。よく勘違いされがちだけどさ」

「……そんなことないかもです。スタンピードのときだって、サブローさんがいなければ、私達は全滅だったかもです」

「そうかな? たぶん僕がいなかったらいなかったで、君たちならどうにかしていたと思うけどね。意外にそんなものだよ。ピンチなんていうのは」

「……あの魔物の軍勢をすべて避けきるっていうのは、どう考えても不可能かもですよ」

「まあ避けたからなんだっていう感じだけどね。ドッジボールと同じだよ。避けるのが上手かったところで勝てるわけじゃない」

「……っ。なんでそんなっ、サブローさんは自己評価が低いかもですかっ?」



 つい苛立ってしまうのはなぜなのか。サブローに見つめられながら会話をしていると感情が表に出てきてしまう。いつも誰にもばれずに隠し通しているものを引き出されてしまう。……そして失礼にも程があるであろう自分の苛立ちもサブローはまるで気にしていない。気にせずに微笑んでいる。


 そしてサブローは言う。



「まあ僕はべつに自分を卑下するつもりもないから言うけど、きっと良いところもあるんだろうね。僕が自覚していない良さ、っていうのは、きっとあるんだろう」

「! 絶対にあるかもです! 私が保証します!」

「でも自分でも中々に気づけないものだからね、それっていうのは。……でしょう? ププムルちゃん。ププムルちゃんにだって良いところがたくさんある。でもププムルちゃんは気づいていない。……僕の自己評価が低いのも、同じ理由だよ」



 ――僕とププムルちゃんは似ている。


 ふと脳裏に過るのは【ヨイマイ森林】での一幕だった。あのときサブローは言っていた。ププムルと自分が似ていると。それはまったく的外れな発言だと思っていた。……けれど。


 自分にもあるのだろうか? 雲の上の存在であるS級勇者と同じように、自覚していない良さというものが……?


 言葉の出てこないププムルに、サブローは続ける。



「さて。平和な時間も終わりみたいだね」



 どういう意味か。


 サブローは地平線の彼方に指を向ける。……指先の方角にププムルは目を凝らす。けれどなにも見えない。ププムルの目では先ほどまでの光景となにも変わらないように思える。草原。花畑。ただそれだけ……。


 しかしサブローは言った。どこかシニカルの微笑みながら。



「建物、発見だ。……大丈夫。きっと終わりは近いから、すぐに王都に戻ろうよ。ププムルちゃん」



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