33.ププムル・ループル


   33



 ――原風景。


 それがププムル・ループルが【トトツーダンジョン】の扉を抜けて一番はじめに思ったことだった。


 そこは一面の草原だった。一面のグリーンだった。地平線の彼方までグリーンだった。


 そしてププムルは周囲を警戒するように見晴らしの良い光景を眺望ちょうぼうしていく。すると草原が単なるグリーン一色でないことが分かる。ところどころに黄色い花が咲いていた。白い花が咲いていた。青い花が咲いていた。赤い花が咲いていた。


 さらに起伏にもんでいた。


 傾斜は緩いけれど丘の稜線が波のように繋がっている。……このダンジョンは広い。恐ろしいまでに広い。たぶん地平線の向こう側にも次の階層へと続く『』は見られないかもしれない。


 ダンジョンというものはいくつかの階層に分かれている。そしてその階層を隔てるのは支柱の存在しない不可思議な螺旋階段である。


 螺旋階段の踊り場にある膜をくぐれば次の階層へと進める。


 ……驚愕するほど見晴らしが良い。にも関わらず螺旋階段は見えない。あまりにも広すぎる。


 そしてププムルは共感者を求めるようにみんな――【虹色の定理ラスト・パズル】と【竜虎の流星ダブルスター・ダスト】の面々に視線を這わせる。そして自分と同じように不安そうな表情を浮かべている仲間を見つけて安心する。ああ、不安に思っているのは自分だけじゃないのか、と。


 それはププムルの弱点だった。ププムル自身が自覚している欠点だった。ププムルには状況に流されてしまうという欠点があった。周りの顔色次第で自分のコンディションまでもアップ・ダウンしてしまうという欠点が。……いつも自分を持って自分の芯を貫いている姉とは違う。ププムルの劣等感はそんな自覚的な欠点と、そんな欠点などまるで持っていない姉によって築かれてしまったものだった。


 風が吹く。


 それは爽やかで新緑のにおいをたっぷりを含んだ空気の流れだった。……すこし肌寒い。ダンジョン内の気候は春に近いようだ。



「魔物も見えないな」



 ひとりごちるようにフーディが言葉を漏らした。


 ……この調査隊での遠征中にププムルの中でのフーディの像というのは色濃く変化していた。最初こそ傲慢なタイプの人間だと思っていた。自分が合同パーティーにおいて頭を張ることを絶対条件としていたからだ。


 なにより合同パーティーの仲間達を『操る』という風に発言していたことも気に障った。腹の内でなにを思うがそれは個人の自由だ。しかしそれを言葉に出してしまえば敵対にも等しい。


 だが。


 発言や態度こそ鼻につくがフーディという人間は心根の悪い人間ではないらしい。またリーダーとしての才覚にも確かな硬さというものがある。それはスタンピードでの対応を思い返してみれば分かる。


 なによりププムルがフーディを認めているのは――誰よりも先に立ち上がって指示を出したことだ。あの状況。あの絶体絶命。サブロー以外のすべての人間が腰を折って地面にへたり込んで死に飲み込まれようとしていた。


 だがサブローの言葉を受け、一番に雄叫びを上げて立ち上がったのは、フーディだった。


 ププムルではなかった。フーディだった。フーディが奮い立って指示を出したのだ。それに呼応するようにププムルも立ち上がった。他の面々も立ち上がった。そしてサブローの神業的な回避術の背中を眺めながら必死に危機を抜けきった。


 ププムルは複雑な感情の入り交じった視線をフーディに向けた。……フーディは一面の草原を前にしてなにかを思案しているようだった。螺旋階段を見つけようとしているのか。あるいはべつのことを考えているのか。ププムルには分からない。


 ふと視線を転じた先ではサブローが気持ちよさそうに深呼吸を繰り返していた。両手を広げて瞼も閉じられている。日光浴でもしているような気分なのだろうか……? やはり規格外だ。サブローは「似ている」と言っていたけれどププムルはまったくそう思えない。こんな状況で気持ちよさそうに深呼吸なんて出来るはずがない。それをしようなんていう発想や思想もない。


 ププムルはまたフーディに視線を投げる。



「……見晴らしはいいな。とはいえなにが起きるか分からない。ということはさっきの事態でみんなよく理解したはずだ。ゆえに集団行動を原則とする。固まって動くぞ。……罠にも気をつけたい。【虹色の定理ラスト・パズル】は魔術による警戒を怠らないでほしい。うちも盗賊スキルを持っている奴を中心として索敵はする」



 指示は的確である。


 ……既にフーディからは動揺も感じ取れない。……同じ立場であるはずなのに。ププムルは思う。スタンピードに直面した直後は同じ立場だった。でも段々とフーディはリーダーとしての才覚を発揮していった。そして「まだまだ調査は続けるよ」というサブローの言葉に対しても立場は同じだったはずだ。フーディもププムルもサブローの発言に驚愕し、受け入れがたい態度を示していた。


 でも。


 いまはもうフーディも受け入れている。サブローと同じ目線にまで立っている。……まだププムルの心の中には不安がある。緊張がある。恐怖がある。本当は返りたい。王都に戻りたい。それはもちろん王都の防衛が大丈夫なのか? という心配もあるが。


 それ以上に調査隊が怖い。


 王都に戻れば人がいる。頼れる人々がいる。安心したい。安堵したい。心の底から落ち着きたい。それがププムルの望みだった。……勇者としてはきっと間違っているであろう望みだった。


 ああ。


 フーディにはリーダーシップがある。


 それはププムルが持ち得ないものだ。ププムルには【虹色の定理ラスト・パズル】のみんなを導けるような強さがない。みんなを引っ張って前に進める膂力りょりょくというものが存在しない。


 いつも支えられてばかりなのだ。


 それがまたププムルの劣等感を刺激する。だからププムルがフーディに抱く感情というものはより複雑になる。悪い人間でないと分かっていても臆病な気持ちでフーディを見てしまう。確かなリーダーだと分かっていてもどこか穿ってしまう。


 ……同じランク。


 同格。


 B級勇者。


 でも、内実はどうだ?


 本当に肩を並べられているのか?


 自然とププムルは奥歯を噛みしめている。……考えたくない。難しいことはなにも考えたくない。自分を否定するようなことなんて考えたくない。臆病な思考になんて陥りたくない。不安も嫌だ。緊張だって嫌だ。恐怖はもっともっと嫌だ。でも、考えすぎてしまう。ありとあらゆることを。


 ただそれを表に出さないことは得意だった。


 だからププムルは薄い笑みを浮かべて【虹色の定理ラスト・パズル】の仲間達に声を掛ける。じゃあ頑張ろう。私はこういう警戒方法をとるね? みんなこういう風に動いてね。すこしでも違和感や異変があったら私に言って。



 ――そして、そんなププムルの偽物の仮面を、見抜く視線が、一つあった。




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