70.自律攻撃の図書室


   70



 なにがどうして初日からこんな状況になっているのか……回想を挟む余裕なんてない。



「私を助けてくださいっ!」

「もちろんそれは助けるけど、さ」



 なんて。


 ――僕の視界を鋭く横切るのは薄っぺらい紙だった。それから革で装丁された本だった。なにがなんだか分からなかった。それでも分かることは一つあった。現状がピンチであるということだ。


 王立リムリラ魔術学園――その図書室にて。


 きっと砂漠地帯に生息する巨大なミッシェル・エレファントが群れになってもその空間は埋まらないだろう。それほどまでに広く、空間魔術によって歪められた図書室をしかし埋め尽くすのは本棚だった。人間が一生を尽くしても読み終えられないであろう膨大な本の数々だった。


 その本が――牙を剥いている。


 風を切る音が激しく行き交う。それは笛を吹く音にも似ている。そして僕はひとりの女の子を支えていた。その両肩に手を乗せて――飛び交う紙という刃を躱すために僕は彼女を動かす。自分自身も動く。紙がびゅんびゅんと図書室を飛び回っている。自由に。楽しそうに。



「兄ちゃんっ」

「ああ」

「これやばいっ」

「死ぬ気で躱せ。じゃないと死ぬ」



 アメとクモ。


 二人はすこし離れたところで僕と同じように踊っていた。それは事態が急変したときの位置関係を表していた。そうだ。僕は開かれた本から放たれる氷のつぶてを避けながら思う。思い出す。……図書室に入った瞬間はまったく問題がなかったのだ。けれどいま僕の腕の中で震えている女の子が――ああまったく。


 出入り口のドアまでは遠かった。


 他に人がいないのは幸いというべきか。……いや。そもそも僕達は忠告を受けていたのだ。――複数の紙が無秩序な軌道を描く。そして僕の髪の毛を数ミリ切り落とした。それを認識しながら僕はくるりと回転する。本から放たれる雷撃を机を蹴り飛ばして相殺する。さらに屈んで頭上を過ぎる風の螺旋を避けた。


 ゆっくりゆっくりドアに近づいていく。



「やばーい兄ちゃん! 助けに来てっ!」

「いまは無理。後でなら可」

「ひいぃっ、鬼畜っ! 狙われる側なんて初めてなんだよぉっ! まったくさぁ!」

「クモ、うるさいわ」

「っ、アメこら楽すんなっ! うちを盾にすんなっ!」



 考える。考える。魔術を放った本は一度閉じてからゆるやかに旋回して場所を変える。そしてまた開いて魔術の発動動作を始める。その瞬間を狙って簡易的な炎の玉を指先から放つが――当たる直前で弾かれる。


 それどころか腕の中で女の子が「なにしてるんですかっ!」と悲鳴にも近い叫びを上げた。



「本は燃やしちゃダメですっ! あなたは躱すだけっ! そして私を助けてください!」

「無茶ぶりがすぎる……」

「お礼はあとでしますからっ! いまはお願いします!」



 お礼なんて要らないからこの状況をなんとかしてくれませんか? と僕は縋りたい気分になった。でもこの女の子でもどうにもならないから現状があるのだ。


 なにがどうしてこうなってしまったのか。


 すり足。忍び足。それから反転。回転。僕は女の子を抱擁するようにしながら回転を繰り返して距離を稼いでいく。ドアまでの距離は残り僅か。しかし僕達を逃さないように紙の息吹は勢いを強めていく。魔術が僕を狙い撃つように放たれていく。……女の子を無傷で逃がすというのが重石おもしになっていた。僕ひとりであれば楽に避けられたのだろうけれど……。


 なんて考えても仕方がないか。


 視界の奥でアメとクモがぎゃーぎゃーと言い合いながら本や紙からの攻撃を避けているのが見えた。かなりギリギリの回避ではあるけれど言い合っている状況でのギリギリだ。つまりはまだ余裕があると考えて良いだろう。これでも回避に関しては自信があるからなとなく分かるのだ。まだまだ二人は耐えられる。


 だからとりあえず女の子を図書室の外に逃がそう。それからアメとクモのふたりをサポートする感じにしよう。


 ――フラッシュ! いきなり光の玉が眼前で弾けた。



「きゃっ!」



 と腕の中で悲鳴が上がる。しかし僕はすんでの所で目を瞑っている。ただ光の玉がどこからやってきたのか分からなかった。ゆえに意識を研ぎ澄ませる。集中する。そして気持ち急いで移動を早めてドアの前になんとか辿り着き――ドアは、開かない。


 ドアは閉鎖されている。


 まったくこれはなんの冗談なのか。


 失笑が漏れる。でも失笑している場合ではない。僕はなんとかしなければならない。それと同時に脳裏に浮かぶのは学園長であるカミーリンさんだった。あの人はなんだか意地が悪そうな感じがあった。その意地の悪さがこの図書室にも影響し伝播でんぱされているのではないか? なんて考えてしまうのは飛躍しすぎだろうか。どうだろうな。


 鋭い風の槍をひらりと避ける。僕達を飲み込まんと迫る大きな水の玉も走って避ける。さらに襲い来る石の散弾は机の上を滑るようにして躱す。でもまだまだ攻撃は迫る。それらを避けながら僕は言う。未だ僕の腕に収まるようになっている女の子に。



「君が作ったんだろ、この状況」

「っ……。作ったっていうか失敗したっていうかなんていうかその……」

「べつに責めてるわけじゃないんだけど、どうにかしてほしい」

「どうにか出来るならどうにかしてますよっ!」

「ドアが開かない。どうにかしてほしい」

「だからっ、どうにか出来るならどうにかしてるっていうか」

「どうにかする能力があるはずだ。君には」



 なぜならここは王立リムリラ魔術学園。


 王国中の優秀な魔術師が集まる学園であり――この女の子はそこの生徒だ。優秀なのだ。ならばどうにか出来るはずだ。どうにか出来ないと自分で思い込んでいるだけで――どうにかなる。どうにかしようと思えば、たぶんどうにかなる。


 それは希望的観測か。しかし閉じ込められてしまった以上はどうにかしてもらわないといけない。


 女の子はすこしの間だけ俯いていた。けれどすぐに顔を上げて言う。



「じゃあ、その。……Vの八の本棚までまず移動してください」

「……場所が分からない」

「えっ、職員さんですよね? 把握してないんですかっ!?」

「してない。場所が分からない」

「っ。……あっちです! 二階ですっ! 急いで!」



 やれ。なんだか今度は僕が申し訳ない立場だな……。確かに職員にからな。アメとクモもだけれど。


 女の子が空中に指の先を向ける。吹き抜けになっている二階。そこに向かって僕は跳躍した。その瞬間に豪奢なシャンデリアが爆ぜる。殺傷能力にちたガラスの破片――怪我を覚悟したが急に破片がそっぽを向いて流されていった。



「借りだぜ兄ちゃんっ! うちは美味い肉が食べたいっ!」

「私はお寿司」

「おっけー。今日の夜に食べに行こう」



 二階。


 ――鎧の騎士が待ち受けていた。



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