71.ナイリー


   71



 図書室の二階で待ち受ける鎧の騎士には見覚えがあった。あまり詳しく見ていなかったけれど王立リムリラ魔術学園の正面門扉の両脇に立っていた騎士だ。なぜに巨大な図書室の二階にいるのか? まるで行く手を塞ぐように仁王立ちしているのか?


 考える余裕はない。


 分厚い鉄剣は錆びて血の臭いを醸している。振り下ろされる様は剣というよりも大槌に近かった。そして咄嗟に僕は跳躍して鉄剣の軌道から逸れる。しかし床を粉砕しかねない勢いの鉄剣は衝撃波を発する。


 空中で反転して背中で衝撃を受けた。鈍い痛みが脊椎を通って指先までを痺れさせる。しかし構わず腕の中で縮こまっている女の子を横にぶん投げる。雑だが仕方ない。女の子は悲鳴を上げながら二階の床を滑った。そして僕は着地と同時に女の子と別方向に走り出す。鎧の騎士の意識が僕に向いているのを認識しながら。



「頼んだっ!」

「……え」

「僕の攻撃は通らない!」



 ということは見れば容易に分かった。それに女の子は曲がりなりにも王立リムリラ魔術学園の生徒である。であるならば魔術に長けているのは火を見るよりも明らか。ということで僕に意識を向けている間になんとかしてほしかったのだが……。


 立ち上がった彼女から発せられる回答は予想だにしないものだった。



「で、出来ませんっ!」

「……?」

!」



 は?


 とリアクションする前に僕の身体は勝手に動いている。なぜなら彼女の悲鳴にも似た叫びに引き寄せられるように鎧の騎士の意識が彼女を向いたからだ。騎士は遅々とした動作鉄剣を持ち上げながら彼女につま先を向ける。……それは処刑に近い。


 鎧の騎士を止めるものはなにもない。止まらない動き。それは遅すぎる動作であっても絶望的なまでの暴力性をかおらせていた。


 しかも女の子は――立ち上がった後に動かずに「あ」と言葉だけを発して鎧の騎士を見上げていた。それはまるで落ちてくる隕石を呆然としながら見つめるような様子にも近かった。恐怖と驚愕で身体が硬直していた。


 僕はサバイバルポーチに手を突っ込んで直径十センチほどの鉄のホイールを取り出す。そのホイールにはがぐるぐるに巻き付けられていた。僕はその先端を引っ張り出しながら鎧の騎士に肉薄する。


 糸は極東に生息する特殊なアラクネから採取したものだった。そのアラクネが吐き出す糸は鉄よりも硬く、雲よりも柔らかい。


 鎧の騎士がぎちぎちと軋む音を立てながら鉄剣を振り上げる。その瞬間に僕は正面に立って剥き出しになった鎧の間接――虚空に糸を忍び込ませた。しかし騎士は止まらない。もしかすると知能がないのかもしれない。プログラムはあっても知能はなく意思も存在しないのか?


 僕は間接に糸を巻き付けてから後方に回ってホイールを思い切り引っ張った。


 手応えはなかった。


 しかし結果は明瞭に表れる。騎士の身体が面白いほど呆気なくばらばらに裂けて床に落ちていく。重くて硬い音が響いた。靴底から僕の足を震わせた。……最後に鉄剣が死んだ鎧の上に落ちて激しい音を立て、それが終わりの音になった。


 でも僕は油断せずに周囲を警戒する。鎧の騎士は正面門扉の両脇に立っていたものと変わらない。であるならば二体いるのではないか? ……だが気配はない。


 やっと僕も気を抜く。そしてなにが起きたのか分からず目を白黒させている女の子に言う。



「今更だけど君、名前は?」

「……え?」

「名前は?」

「あっ。ナイリー」

「ナイリー。君に掛かってる。どうにかしてくれないと」



 耳を澄ませば階下でぎゃーぎゃー言い合っているアメとクモのやりとりが聞こえてくる。まだまだ余裕そうだ。けれど体力というのは無尽蔵というわけではない。それに回避というのは意外に体力を使うものなのだ。あまり長引かせるとアメとクモが危ないだろうし……それは僕達にとっても同様だ。


 閉鎖されてしまった図書室からとにかく逃げ出さなければならない。



「っ。Vの八です。Vの八の本棚っ!」



 我に返ったようにナイリーは血相を変えて駆け出す。


 図書室はそれこそ一流アーティストが魂を震わせながら立っているようなドームほどに広く大きい。しかもその空間に隙間なく本棚が整列している。正直言ってしまえば僕は本に酔ってしまいそうなほどだった。どこにどんな本があるのか。そもそも本棚はどういう分類なのか。一ヶ月かけたとしても僕には理解できないだろう。


 でもナイリーは迷いなく走り出して目的の本棚に到着した。


 ……さて。


 ナイリーは本棚を物色して手当たり次第に本を抜き出していく。そしてぱらぱらとめくっては本を床に積み重ねていく。なにをしているのか。僕にはさっぱり分からない。とはいえナイリーがちゃんと現状を打破しようと動いているということは分かる。ならば後は任せるだけでいい。


 僕には僕の仕事がある。


 二階には先ほど交戦した鎧の騎士のような相手はいない。気配もない。だから僕はナイリーをその場に残して吹き抜けから一階に飛び降りた。



「あれっ。兄ちゃんどうしたんっ」



 鋭い紙吹雪を避けながらクモが言う。ショートカットのプラチナ・ブロンドが綺麗に波打っている。



「脱出方法は任せることにした。交代しよう。二階には危険がない」

「さっき戦ってたはず。あれは?」



 開かれた本から雷撃が放たれる。それを光の魔術で相殺しながらアメが言う。纏まりのあるロングのプラチナ・ブロンドは鞭のようにしなっていた。



「あれはもう終わったよ」

「えーっ。じゃあ三人で避けようぜっ。暇だし!」

「私はパス。二階に行く」

「えーっ!」

「クモも二階で休憩してな。いつまで掛かるか分からないし」

「えー……」



 えー。しか言わない魔道人形みたいなクモをアメに任せて僕は避けることに専念する。視界の端でクモが羽交い締めにされながら二階に連れて行かれるのが見えた。まったく性格は違えどやっぱり双子だな……。


 にしても。


 紙と本の攻撃を避けながら僕は思う。考える。思考に意識をくだけの余裕は生まれていた。なにせ鎧の騎士と交戦した際に感じたことだが――プログラムされたような動き。攻撃。それは紙と本にも繋がっていた。


 生きていない。


 そして生きていない攻撃ほど生ぬるいものはない。避けることに集中する必要すらもない。ゆえに僕は淡々と身体を動かす。それはランニングにも近い。リズミカルなテンポ。頭はどんどんクリアになっていき思考の余裕が増える。


 さて。


 思い返すは一時間前。一体どうしてこんな状況になっているのか? ということだった。



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