41.真の勇者


   41



 サブローと目が合った瞬間にフーディの脳裏に浮かんだのは『逃げろ』という強い言葉だった。それは一体どこから浮かんだ言葉なのか。自分の弱さが生んだ都合の良い妄想の言葉なのか……? それとも。


 サブローは既に視線をフーディから外している。そして怪物と対峙している。死というものを煮詰めて凝縮して抽出したような存在と、平気な表情を保ったまま対峙している。その身体は傷つきに傷ついている。満身創痍という言葉がよく当てはまる。それでもサブローは取り乱すこともなく平気で言う。怪物に向かって。



「ところで君はっていう存在だろう?」

「魔人? あー! そういえばそうだねー。うん。サダレは魔人だよ。でもいまさらじゃない? それがどうかしたの?」

「いや、人っていう文字が付いているからさ。どうせ人の真似事をするっていうなら、せめて羞恥心みたいなものも身につけた方がいい。服とか着られないの? それこそ、いまさらかもしれないけど」

「むっ。てか真似事ってなに? なにさ? ねー。サダレはべつに人間の真似事なんてしてないんですけど? むしろ人間側が真似してるんじゃない?」

「それは暴論っていうものだね。ていうか、なんでもいいから服を着てほしいな。僕が君の魔術を食らっちゃったのだって、言ってしまえば目のやり場に困っていたからなんだぜ」

「嘘つき。サダレが服を着てようが着ていまいが結果は同じだよ。でもまー、べつにいいけどね。この身体にはどういう服が似合うかなー?」



 まるでお洒落な服屋ではしゃく幼い女の子のように怪物――魔人は明るく言う。そして次々に魔術によって服を生み出してはころころと変えていく。その様子を呆気に取られながらフーディは見る事しかできない。……恐ろしい存在だ。気がつかれれば殺されてしまう存在だ。それでもサブローと喋っている様子を見るとつい恐怖心を忘れてしまいそうになる。


 だが。


 また――サブローがこちらに振り向く。さりげなく。自然に。まるで質の良い手品のように誰にも悟られることなく。しかしてフーディやププムルには分かるような仕草で。


 交錯する視線の中でサブローの目が鋭さを増した。それは見る者の背筋を自然と伸ばしてしまうような厳しい眼光だった。凍えるような眼光だった。そうして炯々けいけいと光る瞳がまたフーディに告げた。言葉を。



『はやく逃げろ!』



 ――いまがチャンスなのだ。いましかないのだ。この魔人は僕に興味を惹かれている。僕を殺すまではきっと僕から意識を逸らさない。だからいまのうちに逃げろ。下りの螺旋階段を探せ。はやく探せ。――はやく逃げろ!


 フーディの心臓が大きく跳ねる。


 逃げる――そうだ。逃げなければ。生きなければ……! サブローの言葉は気のせいではない。目は口ほどにものを語る。まさにそのことわざの通りにサブローは目で語った。常人では考えられないほどに発達した目で語ってみせた。逃げろ、と。


 フーディはまた視線を自分の後ろに向ける。そこにはププムルがいる。ププムルは――泣いていた。音も立てず、呼吸すら乱さず、ただ泣いていた。泥に汚れた頬を涙が伝っていくのが見えた。ああ。


 なぜ泣いているのかフーディにはよく分かった。


 そして自分も感情を抑えることが難しくなった。でも抑えなければならなかった。なぜならフーディは――俺は合同パーティーのリーダーだからっ。リーダーにはリーダーの責任がある。なにより自分自身でみんなに宣告したのだ。第一目標は『生還』であると。ならばその生還のために最善を尽くすべきなのだ。感情に支配されている場合ではないのだ。泣いている場合ではないのだ……!


 それからフーディはププムルに囁くようにして指示を出す。この、自分たちをまもっている魔術障壁と同程度の障壁を行使できるか。いや。行使しなければならないのだ。ププムルは無言で頷く。それからのやりとりはすべて言葉は発さない。音もなるべく立てない。


 意識を取り戻している仲間もいれば取り戻していない仲間もいる。既にもう役割分担などと言ってはいられない。【竜虎の流星ダブルスター・ダスト】の中で魔術を囓っている人間が【虹色の定理ラスト・パズル】の張る魔術障壁を手伝う。そして【虹色の定理ラスト・パズル】でマナ欠乏を起こした人間が【竜虎の流星ダブルスター・ダスト】で未だ気絶状態の人間を背負って這う。


 這って、進む。


 焼けた草原はピクシーが使うような細かな魔術によって熱を取り払っていく。それに多少火傷をしたところでなんだというのだ? 傷を負ったところでなんだというのだ? ここから生きて帰れる可能性があるのならば文句などあろうはずもない。それに……。


 それに。


 サブローのあの傷ついた全身を見ておいて、口が裂けても言えるはずがないのだ。無傷でありたいなど。


 サブローを除いた合同パーティーは手を取り合って進む。サブローの意思の通りに進む。 ――『はやく逃げろ!』。フーディの頭では何度も何度もサブローの言葉が反芻はんすうされる。『はやく逃げろ!』。決して魔人に気がつかれてはならない。サブローの意思を無下にしてはいけない。なにより無駄にしてはならない。サブローのを……。


 犠牲を……。


 這いながらに視界が滲む。フーディはまた振り返りたくなる。サブローを。そして確認したくなる。サブローが助けを求めてはいないか。本当は助けを求めているんじゃないのか……? いや。分かっている。それこそ確実に分かっている。あり得ないと。フーディには分かっている。サブローは強い。


 振り返ったところでサブローはもうフーディ達を見てはくれないだろう。逃げているのならばそれで良いと喜んでいることだろう。そして本当に喜んでサブローは犠牲になろうとしている。自分の命と引き換えにフーディ達を護ろうとしている。


 ああ。


 ププムルの涙の理由がよく分かる。フーディは這いながらに自分の目元をぬぐって思う。……一体これでなにが勇者だ? 一体この姿のなにが勇者なんだ? 本当の勇者とはサブローを指すのだ。勇者という称号が相応しいのはこの場においてひとりだけなのだ。サブローだけなのだ。


 傷つき、満身創痍であるサブローを囮のようにして、自分たちは情けなく逃げることしか出来ない……。


 これでいいのか? これが正しいのか? これが勇者の有様なのか? 俺達は一体なんなんだ? 俺達は勇者じゃないのか? 俺は勇者じゃないのか? 勇者はこんなにも醜いものなのか? こんなにも情けないものなのか?


 勝てない相手から逃げる。


 死にたくないから逃げる。


 ひとりの仲間を置いて逃げる。


 それが――それが勇者の姿なのか?



「――あー。見てみて。この服どう? これ似合うよね? サダレによく似合うと思うんだよね、これ。ふふ」



 びくりと。背後で聞こえる魔人のなんでもない言葉にフーディ達は硬直してしまう。恐怖で凍り付いてしまう。それでもその言葉が自分たちに向けられていないと理解してまた進み出す。また這って魔人から距離を取る。そうして戻りの螺旋階段を探す……。



「ところでさー、サダレからも質問、いい? 第三ラウンドの前にー」

「? もちろん、いいよ。まあ正直に答えてあげるかどうかは分からないけど」

「意地悪。……サブローさ、さっきのダンスで腐っても勇者って言ってたじゃん?」

「言ってたかもしれない。あんまり覚えてないけど。ほら。僕って自分の発言には結構無責任なタイプだしね?」

「勇者ってなに?」



 その言葉はサブローに向けられている。


 それでもフーディとププムルは動きを止めてしまった。


 やがてまた這い出すと同時にサブローは答える。



「なんだろうね。難しいものだ。定義は簡単だけどね? 前提条件を達成した上で【勇者の試練】に合格したら、勇者だ」

「でもサブロー弱いじゃん。避けるのはうまいけど、ぜんぜん攻撃してこないし。弱いのになんで勇者できてるの?」

「……まあ。なんでだろうな。……難しいけど、前さえ向けていればいいのかもね」

「? どういうこと?」

「……情けなくて、みっともなくて、弱くて。何度諦めたか分からないし。何度も逃げたことだってあるけど。……時間が経ったあとに、前を向いているからさ」



 ――這う。


 這う。


 這う。


 情けなく、みっともなく、弱く。フーディ達は這う。這って進む。這って螺旋階段を探す。



「? もっとサダレにも分かるように言ってよ!」

「――諦める。逃げる。弱音を吐く。もうどうだっていいって自棄やけにもなる。涙だって流す。……でも時間が経ったら、また立ち上がって前を向く」



 やがてフーディ達は見つける。


 戻りの螺旋階段を。


 情けない涙で、歪んだ視界で。



「いまは逃げてもいい。でも未来に、必ず立ち上がる。それを続けていけば――真の勇者さ」



 そして昇りの螺旋階段とは逆巻きの階段を抜けて――フーディ達は一階層に生還する。



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