57.勇者という名の希望
57
――――起きる。
目はまだ開かない。瞼が異様に重い。それこそ接着剤で固定されてしまったかのように。ああ。完全に眼精疲労に陥ってしまっているなと僕は慣れたように気がつく。さらに気がつく。身体の痛み……全身が痛む。錆びたブリキが関節を動かすごとにギチギチと音を立てるかのように。……まあこれも慣れたものだ。予想していたことでもある。
三回ほど深呼吸をする。それからゆっくりと目を開けた。
――部屋には明るい陽が射している。その透明感は午前中の透明感だと分かる。朝か。早朝という感じではない。朝と昼のちょうど間くらい。午前十時くらいだろうか。
ぼやけて白く
「……ランプちゃん」
声は砂漠のような質感をしていた。それに驚く間もなく勢いよくランプちゃんがこちらに振り返った。……目元は前髪で隠れてしまっている。それでも顔立ちが整っていることは分かる。その表情が驚きと不安と喜びと緊張でない交ぜになっていることも。
ランプちゃんは胸に手を合わせてすこしだけ戸惑っているようだった。なんと声を僕に掛けるべきか迷っているようだった。でも結局ランプちゃんは僕に近寄って僕を抱きしめる。純粋な抱擁。僕もそれに応えるけれど……身体が痛い!
やがてゆっくりと離れたランプちゃんは、僕に優しく言う。
「おはようございます、サブローさん」
「おはよう、ランプちゃん。……ところでここは、病院かな」
「はい。【王立ライネルラ医療センター】です。良い部屋なんですよ?」
「だろうね」
僕はゆっくりと部屋の全景を眺めながら思う。相当に良い部屋であり個室だ。窓の外から見える景色というのは高い。もしかすると王都の端から端までがくまなく眺望出来てしまうかもしれない。
僕はそれからしばらくぼんやりとランプちゃんのお世話になった。ランプちゃんは僕の元ストーカーである。気配がまったくないことで有名だ(僕の中で)。
ということでランプちゃんは僕の好きな果実を把握している。僕が喉を渇かしたときにすこし咳払いをする癖も知っている。僕の仕草ひとつで身体のどこが痛んでいるかも把握してくれている。つまり僕専属の介護の達人ともいえた。
そして僕はようやく頭を冴えさせて言った。
「あれ。ちなみにランプちゃん。お見舞いに来てくれてるんだよね?」
「? そうですよ。お見舞いに来たんです!」
「だよね。ごめんね。あまりにも手際が良すぎて病院の看護師さんみたいに思っちゃったよ」
「えへへ。でもサブローさん専門ですよ? 他の人のことはよく分からないので」
「ありがたい言葉だよ。……ところでなんだけど、僕ってどれくらい眠ってたかな」
「えーと。ちょうど六日くらいでしょうか。眠っていたというより、眠らされているという方が正しいですけどね」
「なるほどね」
ひどい病気やひどい怪我を負った際に強制的に眠らされるというのはよくある話だ。やはり人間というのは眠っている間に自分の力で回復していくものだしね。それに医術というのはあくまでも回復のサポートをするものに過ぎないのだ。それはプリーストの使う治癒魔術も同様である。治すのは自分自身。自分自身の肉体が自分自身を治癒するのである。
そういう意味で言えば強制的に眠らせるというのは効果的な治療法だ。……まあ色々と気になることもある。たとえば眠っている間に僕のトイレとかを管理していたのは誰なのかとか。身体を拭いてくれていたのは誰なのだろう。病院の人であるのならばありがたいのだけれど……。
「それと聞いておきたいんだけど、【
「えーと。今日もスピカさんとシラユキさんがお見舞いに来てましたよ。昨日はラズリーさんが。ドラゴンさんはたまに顔を出すって感じでした。たぶん皆さんお忙しいんだと思います。……冒険者協会の方が慌ただしい感じですので」
「そっか。……ちなみにランプちゃん。どこまで知ってる感じかな?」
「どこまで、ですか?」
「うん。つまりはー、いま世界でなにが起きているかって。その。冒険者協会が忙しいのはどうしてかって知ってる?」
「あ! もちろんです。魔神が復活したんですよね?」
なんてこともないようにランプちゃんは言う。さながら「明日から天気が崩れちゃうんですよね?」と快晴を仰ぎながら言っているようなテンションである。おいおい。そんな軽い感じで話せちゃうようなことなのか? ランプちゃんってどれだけ肝が据わっているんだろう……。
そんなことを僕は考える。でもそれはきっと的外れな考えに過ぎない。僕はベッドの上でゆっくりと移動して床に立ち上がる。すぐにランプちゃんが肩を貸してくれる。お礼を言いながら僕は窓際に移動した。そして眼下に広がる王都の街並みを見た。
往来では人々がいつものように日常を楽しんでいた。仕事に励んでいる大人達の姿がよく見えた。広い公園でボール遊びに興じている子供達の姿もよく見えた。商業区では買い物かごをぱんぱんにさせてマナ・チャリを走らせている女性がたくさんいる。耳を澄ませば店への呼び込みをしている活気ある声も聞こえてきそうだ。遠い川沿いでは釣りを楽しんでいるお年寄りの姿もある。そしていままさに冒険に旅立とうとしている若い新米冒険者達の姿も……。
魔神が復活した。
それを知っていても人々は絶望には染まっていない。不安もまるで見えない。ただ日常という名の幸せの最中にある。みんな自覚せずとも希望を胸に抱いている。明るい未来を信じている。それはたとえ俯いて歩いている人も同じだ。いま泣いて悲しんでいる人も同じだ。実のところみんな幸せだし希望があるし未来を見据えているのだ。自覚していないだけで。
ランプちゃんの肝が据わっているわけではない。人々にとって魔神が復活したというのは遠い土地の出来事に過ぎないのか。……いや。そういうわけではないかもしれない。
「みんな信じてるんですよ」
僕に肩を貸しながらランプちゃんは言う。囁くように言う。ランプちゃんの声音は優しい。優しくて暖かくて柔らかい。僕はその声音に引っ張られるように囁くように
「なにを?」
「魔神なんてへっちゃらだって」
「なんじゃそりゃ」
「――真に勇ましき勇者が、なんとかしてくれるって。みんな、信じてるんです」
僕はランプちゃんを見る。……グレーに染まった前髪の隙間からランプちゃんの目が覗く。それこそ一等級の価値でやりとりされる宝石にも似た瞳をしている。綺麗な瞳だ。澄んだ瞳だ。人を魅了して吸い込んでしまうようなある種の魔力を持っている瞳だ。
「みんな信じてるから、怖くないんですよ」
僕はなにも言えない。
なにも言わずにただ視線をまた窓の下に戻して――ふいにドアがノックされた。
「? どうぞ」
ランプちゃんが応えると同時にドアが開き――そこに姿を表したのは、二人。
もはや戦友と呼んで抱き合っても構わないと思える二人。
僕は思わず笑顔になって、そして迎えている。
「やあ。よく来てくれたね! フーディくん、ププムルちゃん!」
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