56.魔人の矜持と五芒星


   56



「五芒星」



 と。


 暗黒の瘴気で形作られた巨大な唇が囁く。意味は分からない。反応も出来ない。けれど僕が動かずとも僕の仲間達が動いてくれる。


 シラユキが僕の前に立った。瞬間に鉄を割るような炸裂音が響いた。それはラズリーの魔術だった。遅れて爆風が僕を――僕の前に立ってくれたシラユキを襲う。けれどシラユキは既に防御の態勢を取っている。


 ラズリーの魔術によって唇が霧散している。霧のようになってなんの輪郭もえがかなくなっている。


 背後でスピカが精霊に囁きかけているのが聞こえる。なにか得たいの知れない存在が背後で顕現けんげんしていく気配もある。ただ僕は振り返らない。それはドラゴンの動きに注目しているからだ。


 ドラゴンは一瞬で地を駆けてサダレの首無し死体の近くに移動していた。そして――スタンプ。スタンプ。スタンプ。それは容赦のない地ならしにも似ていた。サダレの肉体をぺちゃんこにしてしまうスタンプ。血飛沫が跳ぶ。グロテスクで凄惨な光景が広がる。


 けれど。


 ラズリーの魔術によって霧散していた瘴気が再び集合していく。輪郭を形作っていく。今度は唇ではない――人。それはサダレの形である。


 ラズリーはもう魔術を放たない。そして天才魔女が魔術を放たないということは――意味がないということだ。すくなくともラズリーは意味がないと判断した。


 おいおい。まさか生き返るのか? サダレ。


 だとするならば、僕もいよいよ覚悟を決めなければならないが。



「――ひっどいなぁ。ご褒美のヒントをあげたのにさぁー」



 その声は間が抜ける響きをしている。散々に戦ったサダレの声だった。しかしその声はどちらかというと遊んでいたときの声音に似ていた。


 僕以外の全員が警戒態勢を取る。


 気配を殺していたララウェイちゃんも姿を表す。


 けれど僕は逆に気を抜いた。……たった一時間程度。たぶんサダレと邂逅してからいままでの時間は一時間程度だろう。けれど濃密だった。それこそ生死のやりとりを僕とサダレはおこなったのだ。だからこそ分かるものというものが僕には存在する。


 このサダレは僕たちに牙を向ける気がない。



「……魔人っていうのはしぶといんだね。もうちょっと潔いと格好良いと思うんだけどな」

「えー? そうかなぁ。泥にまみれてる方が格好良いと思うけどなぁ、サダレは」



 それについては同意だ。僕は心の中で笑う。泥にまみれている方がきっと命というのは格好良いだろう。人間に限らずすべてにおいてそうだろう。


 サダレは言葉を続ける。黒の瘴気の姿のままで。……サダレが動くと粒子が動く。それはまるで砂が流れるような原理にも近い。



「だってほら。サダレはだからねぇ。こんなところで負けたからって死んじゃうつもりは毛頭ないんだよーん」

「……是非とも教えて欲しいけどね。サダレが死ぬ方法を」

「? ヒントあげたじゃん! 五芒星だよ?」

「意味が分からない」

「そりゃあ意味が分かっちゃったら答えだもん。答えまでは教えてあげないよー。サダレはあくまでも主人あるじの所有物だからね」

「……魔人の主人、ね」

「? あれ。知らないのサブロー。魔神様のこと?」



 ああ。


 そこでようやく僕は気がつく。気がついてみんなに視線を向ける。スピカと目が合う。そしてスピカの綺麗な瞳を見て僕は確信に至る。――魔神は甦ったのか!


 ということは――かつてのように【ハートリック大聖堂】が声明でも出したのだろうか? 出したのだろう。そして国が動いた。あるいは冒険者協会が動いている。既にダンジョンの外は大騒ぎになっているだろう。魔神復活……。



「えー。知らなかったんだぁサブロー。意外。だからサダレのところに来たと思ってたんだけどなぁ」

「……予想はしてたよ。甦っているのかもしれない、ってね」

「ふぅん。まー大丈夫大丈夫。そんなすぐに世界は滅ばないよ!」

「すぐに、っていう時間が問題じゃないと思うんだけどな。滅ぶことの方が問題だよ」

「そーかな? ……ゆっくりゆっくりゆっくりゆっくり。時間をかけて熟成させた方が絶望っていうのは美味しくなるからねぇ。ことことことこと鍋で煮詰めるみたいにして滅ぼしていくの……! ふふ。サブローを食べちゃうのはサダレがやりたいなぁ」

「いいや、やめた方がいい。どうせまたサダレは負けるよ」

「負けないよーだ! 何度だって言うけど、サダレは甦ったばかりだもん。それで負けちゃっただけだもん。次はもっと身体を起こして……全力で殺してあげるよ。サブローのこと」

「……死にたくないけどなぁ、僕は」

「じゃあ飼ってあげるね? サブローだったらいいよ。ペットとしてお世話してあげる!」

「そのときは是非仲間達も頼むよ」

「えー。どうしよっかなぁ」



 本気で悩むようにサダレは首を傾げる。唇に手を当てる。けれど瘴気の集合体で濃淡が薄いから表情までは分からない。


 本気で悩んでいるところが子供っぽくて面白いな。と僕はまるで年の離れた妹に接するようにして思う。ああ。そういえばミルキーちゃん(実の妹)はいまどうしているだろうか。そろそろ高等学園に入学する年である。胸を張って優秀な妹であると言えるミルキーちゃんはどの高等学園に入学するのだろう……?


 と。


 シラユキが僕を振り返っている。その表情が告げている。これからどうするのか? と。それからスピカの視線にも気がつく。顔を見ずともその視線だけで伝わってくる意思というのがある。私達はどう動けばいい? と。


 動く必要はない。ゆえに僕はどちらも無視してサダレに言う。



「そろそろ僕は疲れたよ、サダレ」

「ん。だよねー。疲れてるって感じがありありしてるもん。ね。なんか最初に会ったときより老けてるよサブロー。人間ってそんな簡単に年を取るの?」

「しばらく休めばまた若返るさ。人間って不思議だろ?」

「不思議!」

「ということで喋るのも疲れた。……そろそろお別れしよう、サダレ」

「えー? サダレはもうちょっと喋りたい気分だよ。サブローのこともっと知りたいしさー。ダメ?」

「ダメ。僕たちは帰る」

「ちぇっ。……じゃあ帰れないようにしちゃおっかなー」

「出来ないだろ。出来てたらもうやってる」

「つまんないのー。……ま、いいや。楽しめたしね」



 サダレが言い終わった瞬間だった。その身体がゆっくりと崩れていく。輪郭が壊れていく。そしてサダレはまるで砂嵐のように粒子の流れとなって――最後に言った。



。それが敗者からのプレゼント。サダレを殺すヒントだよ」



 ばいばい。


 言葉はその場に残る。サダレの魂とでも言うべきマナの粒子は一度大きく渦巻いてから空に流れていく。飛び立っていく。そしてやがては景色に溶けるようにして消えていく。……五芒星。その意味は分からない。分からないけれどヒントではあるのだろう。たぶん。


 思い返してみればサダレはフェアだった。


 常に強者側として僕たちと相対あいたいしていた。そこに卑怯な手は存在しなかった。狡さもなかった。ただ真っ向勝負で僕たちと勝負した。そして負けた。……ああ。サダレの言葉には信じるだけの価値があるだろう。たぶん嘘じゃない。意味は分からずとも五芒星という単語は本当にサダレを殺せるだけのヒントなのだろう。


 いまはまだ、意味を掴めないけれど……。



「……ごめん。ちょっと眠るね」



 そして僕は目を瞑る。


 力を、抜いた。




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