113.仲間達


   113



 光の膜を抜けてトンネルをひた走る。息は切れない。頭は冷静に回転を続けている。未来を見据えている。これから僕はどう動くべきなのか。……僕の身体は軽い。理由は一つだ。スピカによる精霊の加護である。



『行って、サブローくん。こっちの後処理は私がやっておくから!』



 光を抜けた先、寂しい司書室で僕を待っているのはシラユキだった。ナイリーはいなかった。僕は一瞬で理解する。たぶんシラユキはララウェイちゃんのもとにナイリーを置いて、それからまた司書室に戻ってきたのだろう。


 ――鐘が鳴る。


 僕が走ってきてもシラユキの顔つきは冷静だ。


 視線を交錯させる。


 僕には目的地がある。


 シラユキは理解してくれる。



「三階。西だよ」



 走り去ろうとする僕の背中をシラユキの手が押す。――熱。同時に肉体がさらに羽のように軽くなる。足の回転数が上がる。靴底で床を踏みしめてつま先に力を込めてと加速する。僕の肉体はさらに軽やかに、羽ばたくように速度を上げた。


 シラユキの姿が残像のように後ろに置いて行かれる。僕は司書室を飛び出て廊下の壁に貼り付く。左右。東と西。貼り付いた身体を獣のようにねじらせて僕は西に走る。走る。走る。――アイコンタクト。僕は走りながらに、シラユキと交わしたアイコンタクトを思い出す。考える。


 シラユキは無言で語った。一瞬で語った。



『スピカと合流してから、追いかける』



 曲がり角を滑る。つまずきそうになりながらも僕はちゅうで藻掻くように両腕を動かして体勢を制御した。足を動かす。前方を見据える。――授業の終了。教室から一斉にぞろぞろと出てくるのは生徒の群れだった。人の群れだった。廊下が埋め尽くされる。


 が。


 僕は目を開く。人と人。埋め尽くされた廊下。けれど僕は俯瞰――宙から見下ろす。状況を認識する。人間の動線。視線と首と頭の動きからしてその人間がどこへ向かおうとしているのか。人間の動きの予想。予測。僕は速度を緩めない。むしろ加速させる。そして未来を見るように――一秒後の世界を脳内に再現させる。


 驚いたように生徒のひとりが僕を見た。瞬間には僕は人混みに突入していた。低い体勢で胴体と胴体の間を抜けていく。むせかえるような人いきれに呼吸は詰まった。けれど身体は軽かった。恐らくスピカの他にも――シラユキの援護を僕は受けている。シラユキによって何かしら身体が軽くなっている。気孔でも突かれたのだろうか? そうかもしれない。どうでもいい。


 視界には人の身体しか移っていない。それでも僕の身体は必要最小限の減速によって彼ら彼女らの肉体を抜けている。踊るように肉体を動かして抜けている。大事なのはリズムでありテンポだった。右足。左足。右腕。左腕。胴体。首。全身のいたるところにリズムとテンポを染みこませてダンスする。ときにはめちゃくちゃに糸を括り付けられた人形のように――身体をばらばらに動かして人混みを抜ける。


 前方に、階段。


 同時に――気配! 無意識に舌を打つ。気配の正体には見当が付いている。これまで何度も僕を……僕とアメとクモを襲ってきた面倒な敵。うざったい害獣。


 黒の召喚獣。


 階段の下に辿り着いて僕は振り返る。外界が閉ざされ、背後にあったはずの人混みが、まるで霧に化かされるようにして薄れていく。……舌打ち。舌打ち。舌打ちっ! 僕はサバイバルポーチに手を忍ばせる。時間がない。召喚獣はどこだ。くそったれ。ナイフを抜いた。



「なにもする必要ないわよ」



 声は――頭上。


 空間の閉鎖範囲は一階から二階まで。そして一階の踊り場に姿を現したのは――ああ、まったく頼りになる我が【原初の家族ファースト・ファミリア】の魔術師様であるラズリーだった。丸まった毛先の金髪が風も吹いていないのに揺れた。



「あたしがやるから」



 言葉を言い切る前に魔法陣が顕現し展開した。発動は一瞬だった。魔法陣が光り輝き突風が吹く! 僕は思わず顔を伏せ――風がやんで顔を上げたときには閉鎖空間が解除されている。黒の召喚獣はどこにいたのか? そもそもなにが起きたのか? そんなことはどうでもよく……僕はまた走る。走ろうとする。


 けれど。



「あたしがやるって、言ってるでしょ」



 身体が浮かび上がり――意図を察した僕はすぐに言葉を返している。



「三階!」



 返事は必要ない。回転するように描く階段の吹き抜けを僕は一直線に飛ぶ。そして三階の手すりを掴んでショートカット。「ラズリーは」と言いかけて僕は言葉を止めた。なぜならこちらを見上げるラズリーの瞳が言っているからだ。



『まだ、敵はいる』



 理解すると同時に僕は走り出す。そして背後に感じるのは先ほどと同様の気配だった。黒の召喚獣と、世界が閉鎖されていく感覚だった。僕は振り返らない。僕は走る。目的地は美術室。美術室はどこだ? メリーモはどこだ! 黒幕はどこだっ!


 三階に人気ひとけは乏しい。だから僕は走りながらに意識を研ぎ澄ませる。自分の感覚というものを研ぎ澄ませる。――脳裏に浮かぶのは師匠との修行だった。面倒で過酷で鬱陶しいくらいの師匠との修行だった。その日々だった。あの日々が僕にすべてを教えてくれた。勇者として必要なものすべてを僕は師匠にプレゼントされたのだ。


 僕は足を止める。


 それは勘だった。


 勘であり経験則だった。


 優れた直感は経験によって生み出される。


 目の前には辻道とでもいうべき交差する廊下があった。十字路だった。そして僕は迷わずに左の道を選ぶ。走る。走る。そして見えてくる。臭ってくる。気配と――油の匂い。絵の具という名の油の匂いが濃くなり、僕はまた足を止めた。


 美術室の手前だ。


 気配は、中に、ある。


 ドアを開けた。



 メリーモは、祈りを捧げていた。



 かつて【トトツーダンジョン】の廃教会にて見かけた紋様――なにより直近でメリーモの足の付け根に刻まれていた紋様――それと同一の紋様が描かれている、無気味な、像に。


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